第16話 side:レイモンド6





 ハンナとはもう何日も顔を合わせていない。

 何度か家には帰っているのだが、着替えだけ済ませてまたすぐ出たりして、ハンナと会わないようにしていた。



 そんな俺の行動に、とうとう家令が苦言を呈してきた。


家令を務める男は、父親が実家の家令を務めていて、代々我が家に仕えてくれている家族の一人だ。

口が堅く信用がおける彼は、ハンナが呪いを俺の引き受けたことを知る唯一の者だ。

我が家に関することは全てハンナがこの家令とおこなっていたので、今ハンナが呪いに侵されていることを伝えないわけにいかなかったのだ。


「レイモンド様、いい加減になさってください。奥様がどれだけ辛い思いをされているのか分からないわけではないでしょう。どれほど軍の仕事が忙しいのか知りませんが、せめて家には帰っていらしてはいただけないですか?悪い噂が出回るのも時間の問題ですよ?」


 子どもの頃から知っている間柄のこの家令は、俺に対して遠慮が無い。


「分かっている。だが、俺がそばに居ても呪いが解けるわけでもない。仕事を疎かにするほうが、ハンナは嫌がるだろう。生活のことは不自由のないようにお前が取り計らってやってくれ」


 俺の言葉に家令は顔をしかめたが、『かしこまりました』と言って引き下がった。実際ハンナは、特に困った事は無いしあなたは仕事を優先して、と言ってくれる。


 その言葉に甘えて、仕事に復帰して半年も経つ頃には俺は週の半分も家に帰らないような生活になっていた。





 イザベラとの関係もずるずると続いていた。ハンナが病気だと知ったイザベラに、『奥様が回復されるまでの関係でいい』と言われ、ハンナが妻の役割を果たせない状況ならば仕方がない、娼館に通うくらいなら私のとこに来て、と言われ彼女の元に通っていた。



 そんな日々が続いていたが、これまで何度もハンナへの面会を求めてきた協会の人間が、ある日仕事場に直接押しかけてきて、ちょっとした騒ぎになった。


これまで断られ続けてきたが、どうしても一度ハンナの見舞いに行かせてほしいと訴えてきた。


「ここにいるのは皆、ハンナ様に命を救われた者たちばかりです。私は、夫が亡くなり生活が立ち行かなくなって、子ども達は孤児院にやるしかないかと思っていた時に、助けてくれたのがハンナ様です。

生活が困窮すると、親戚や友人は自分たちに頼らないでくれといって、皆離れていってしまって、正直人間不信になっていた私と子ども達は、最初訪ねてきてくれたハンナ様に酷い暴言を吐いて追い返したりしたんです。でもハンナ様は怒ることもなく何度も足を運んで、これからのことを一緒に考えてくださいました」


「家族で住める場所を提供してくださいまして、私でもできる仕事をくださったおかげで、こどもたちを学校に通わせられたんです。ハンナ様はこどもたちの誕生日を覚えてくれていて、今でも毎年お祝いに来てくださる。そのハンナ様が重いご病気なら、なにか力になりたいんです。看護が必要ならば私たちにやらせてください」


「私もです。夫が戦死してしまって、後を追いたいと喚いていたのですが、そんな私を心配して何度も会いに来てくださって、話を聞いてくださいました。ハンナ様には助けていただくばかりで恩返しもできていません。奥様のお加減はどうなのですか?少しだけでもお会いできませんか?」


 女性たちが口々にハンナに会わせてくれと訴えてくる。だが、呪いに侵されたハンナの姿をみせるなどできるはずがない。


「妻を気遣ってくださるのは有難いのですが、今はハンナ自身が人に会いたくないと言っているのです。病気で弱った姿を知り合いの方に見られるのは辛いと言っているので、申し訳ないですが、もう少し具合が良くなって妻の気持ちが上向くまでお待ちいただきたいのです」


 俺がそう言うと皆意気消沈したように静かになった。この言い訳をいつまで続けなくてはいけないのか、考えると暗澹たる気持ちになってくる。


 また状況をこちらから協会へお知らせするので、といって女性たちに帰っていただこうとした時、近くに立っていた年配の婦人が小さな声でポツリと言った。


「本当に、ハンナ様が会えないと仰っているのかしら……」


 俺だけに聞こえるような声で呟き、ちらっとこちらを疑惑に満ちた目で仰ぎ見てきた。俺はきこえなかった振りをして女性たちを館外まで見送った。


 女性達がいなくなってから、俺はもやもやする気持ちが押さえられなくなっていた。


 先ほどの婦人の呟きは、どういう意図があったのだろう。

なにに対する疑いなのか分からないが、あの婦人が俺に対してなにかしらの悪感情を持っているのだということは間違いないように思う。


 家令が言ったように、家にあまり帰らず酒場に居ることを誰かが噂しているのだろうか。納得がいっていないような雰囲気だったが、今日来ていた女性たちは随分とハンナを慕っているようだった。俺の言葉を信じずに家まで押しかけてくる可能性もある。

 まさかハンナが顔を見せることはないだろうが、万が一窓から姿を見られたりすれば呪いの事が公になってしまう。


 窓をふさぐべきか、と一瞬考えるが、それはさすがにできない。ただでさえ閉じこもらざるを得ない生活なのに、外を見ることもできないのでは辛すぎる。



 

 婦人方を見送って、そのまま考えにふけってしまっていたら、後ろから声をかけられた。


「どうした?今のは軍の婦人会の方々かね?奥方の病状を尋ねに来られたのかね。なあ、奥方の具合はどうなんだ?話をするのも困難なのか?」


「あ……局長。すみません、お騒がせしまして。そうですね……婦人会の方も心配してくださっているのですが、どうも芳しくなくて」


「無理をさせるつもりはないが、もし少しでも面会できそうになったら奥方と話をさせてくれ。呪いの解呪についても、偶然か、複合的に作用したかは分からないという話だったが、それも本人の口から一度詳しく聞いてみたいと上層部も考えているんだ。

まあ、君のように死の呪いに触れて生き残った者はいないから、調査内容が生かせるとは思えないがね。急ぐことではないが、奥方の体調をみて返事をしてくれ」


 局長はそれだけ言うと、俺を労うように肩を叩いて館内へ戻っていった。



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