第14話 side:レイモンド4



 彼女を抱いてしまったが、それ以上関係を続けるつもりはなかった。

ハンナの献身を思えば、ただの一度だけでも酷い裏切りだ。


もうイザベラのいる酒場に行くべきではないと考え、ナイフを俺が買い取ったという形にして、少なくない額の金と手紙を家令に託し彼女の元へとどけさせた。


 新たに加わった罪悪感と、妻と向き合えない自分の弱さを打ち消したくて、酒の量ばかりが増えていく。違う酒場で飲み明かしてそのまま仕事に向かうこともしばしばだった。



 その日もいつものように酒場で長い時間過ごしていると、独りで座っていた席の隣に誰かが腰を掛けてきた。

顔をあげると、彼女がいた。


 悲しげに微笑むから、あれから自分の元に顔を出さないことを責められるのかと思ったが、彼女は意外な事を口にした。


「レイモンド様は、どうしてそんなに辛そうにお酒を飲むんですか?お酒は楽しく飲むものですよ。いつもそんな苦しそうにしてらして、見ているほうが悲しくなっちゃいます」


 イザベラの言葉に苦笑するしかできない。

 現実から逃げるために酒を飲んでいる俺が、楽しく酒を飲むなど許されるはずがない。


「……ねえ、私じゃあその苦しみを癒してはあげられませんか?辛さを抱えている者同士、慰め合うことはできないですか?」


 初めて酒場で俺を見た時から、ずっと辛そうな顔をしている俺を心配していたと彼女は言った。

 不義理をした俺を責めるでもなく、俺の心配をするイザベラの言葉に不覚にも胸を打たれた。


「苦しいのは……自業自得なんだ。だから俺には慰められる資格などないんだ」


「でも独りでずっと耐えていたら、いつかポッキリ折れちゃいますよ。いくら強い人でも、辛いものは辛いですよ。ちょっと苦しみから逃げたっていいじゃないですか。ずっと苦しみ続けたら死んでしまいます」


 そういって彼女は俺に指を絡める。


 逃げたい。ハンナにある呪いから目を逸らしたい。心の奥底ではそんなことを思っているのを見透かされた気がした。


「ちょっと逃げて、気持ちが回復したら、また頑張れるっておもいません?」


 そういって彼女は微笑んだ。


 少しだけ、少しだけ逃げてもいいのだろうか。少しだけ現実を忘れて楽になってもいいだろうか。そうすればまたあの呪いに侵されたハンナに向き合うことができるかもしれない。


 イザベラの指が俺の指にからむ。潤んだ瞳と目が合って、俺は自然と彼女を抱き寄せていた。

 







***



 呪いを受けた瞬間の、激しい痛みを今でも思い出す。不快な虫が体中を這いずり回って内側から食い破っていくような、そんな感覚が今でも忘れられない。


 呪いに侵された体は、化け物のように変貌し、誰もが触れるのはおろか視界にいれることすら嫌悪した。呪いが移る、穢れをもらうぞと囁く人々の言葉は、俺の精神を狂わせるには十分だった。


 そんな呪いを俺は妻に背負わせたのだ。自分がどれだけ酷いことをしたのか、ハンナの顔を見るたびに思い知らされる。


 そんな現実から目をそらすように、俺はイザベラと逢瀬を重ねていた。肉欲に溺れている時だけは全てを忘れられた。


 こんなことを続けてはいけない、いつまでも逃げてばかりではいられないという言葉がどこか遠くから聞こえてくるが、それを振り払うように俺は彼女の体におぼれた。



 ハンナとはもう何日も顔を合わせていない。

 何度か家には帰っているのだが、着替えだけ済ませてまたすぐ出たりして、ハンナと会わないようにしていた。



 そんな俺の行動に、とうとう家令が苦言を呈してきた。


家令を務める男は、父親が実家の家令を務めていて、代々我が家に仕えてくれている家族の一人だ。

口が堅く信用がおける彼は、ハンナが呪いを俺の引き受けたことを知る唯一の者だ。

我が家に関することは全てハンナがこの家令とおこなっていたので、今ハンナが呪いに侵されていることを伝えないわけにいかなかったのだ。


「レイモンド様、いい加減になさってください。奥様がどれだけ辛い思いをされているのか分からないわけではないでしょう。どれほど軍の仕事が忙しいのか知りませんが、せめて家には帰っていらしてはいただけないですか?悪い噂が出回るのも時間の問題ですよ?」


 子どもの頃から知っている間柄のこの家令は、俺に対して遠慮が無い。


「分かっている。だが、俺がそばに居ても呪いが解けるわけでもない。仕事を疎かにするほうが、ハンナは嫌がるだろう。生活のことは不自由のないようにお前が取り計らってやってくれ」


 俺の言葉に家令は顔をしかめたが、『かしこまりました』と言って引き下がった。実際ハンナは、特に困った事は無いしあなたは仕事を優先して、と言ってくれる。


 その言葉に甘えて、仕事に復帰して半年も経つ頃には俺は週の半分も家に帰らないような生活になっていた。




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