四節

 雷田は死の世界を覗き見ていた。たった一瞬で、世界は暗転し、人々は行方を晦ませる。震える足取りでその場を歩き出した。終末を今、確かにこの目で見ている。実感は恐怖の形で以って雷田を歓迎した。そこは第三次世界大戦などで想像されるような、荒廃した様相はなく、どちらかと言えば幽霊都市に近しい。まるで、大勢の住民たちがこぞって疎開したような印象がある。

 宇宙みたいだ、と雷田は思った。何者の意思も見当たらず、在るものが、在るべくして存在している。ただそれだけのように見えた。あまりにも真っ暗で、優しく、冷たい。ここは冷淡な現実だ、という印象を抱いた。現実は、冷酷なまでに素直な結果が現れてしまうから、きっと寄る辺ないものに思えてしまうのだろう。

 来るべくして、終末は訪れたのだ。何故か、そう直感する。

 もし終末を齎した原因があったとしたら、それはきっと人智を超えた存在による仕業であろう──と、雷田は想像した。ピアスから現在時刻を確認してみれば、未だに電波の通っていることがわかる。また自宅に寄ってみれば、壁面スクリーンも生きていて、容易にネットに繋ぐことが出来た。町は滅びていない。滅びたのは、人間だけだった。

「人間だけを狙ったのか?」雷田は壁に向けて話し出した。「何なんだ、一体……」

 思い出すのは、空気が振動したこと。後になってみれば、あれには細胞のひとつひとつが死に行き、進んで自ら破滅させられるようなイメージがあった。繋がりが途切れ、指先から砂のこぼれ落ちるように、肉体が分解されるような……。背筋が冷たくなって、空想を止める。

 雷田は恐怖を薄めるために、手帳を取り出した。栞のように挟まれた、一枚の写真を取り出して、見返す。この家の玄関で撮影した、叔母との記念写真だ。本来であれば、秋乃はもうひとりの自分などではなく、彼女に引き取られる予定だった。今この世界にも、叔母は居るだろうか。葬式を思い出して、涙が出そうになり、堪えた。

 ここはあまりにも淀んでいるから、死後を連想させられる。ここでなら、会えるのではないかと幻想に取り憑かれそうになった。物音がして、雷田は慌てて振り返る。まさか、そこに居るのではないか──考えるよりも先に身体が動いていた。確認してみれば、しかし、誰も居ない。

「僕は何をやっているんだ」

 我に帰って、そう独りごちた。

 家と別れを告げ、雷田は外を回る。終末の原因は終ぞ不明なままだ。そう言えば、自分は春臣に助けられたような気がしたが、彼はどこに居るのだろう。無事だろうか。おーい、と声をかけてみるが、誰の返事もない。孤独の所為か、暗澹たる心持ちになって、今度はピアスから春臣に連絡してみる。やはり、応答はない。彼もまた、住民と同じようにどこかへと消滅してしまったのだろうか……。

 それから順々に場所を移し、原因と思われる痕跡をくまなく調べていったが、住人の残したメモ書きや、データファイルなど、終末に関連した情報を発見することはなかった。寧ろ、道端に転がった靴や、寝室に置かれた眼鏡などを鑑みるに、彼らは睡眠中に突如として消されたのだ、と見えなくもない。

 終末の後でなら何か分かるかもしれないという希望は、探偵行為を繰り返していくうちに、段々と薄れていった。

 雷田は壁にもたれ掛かり、俯く。

 自分には何も出来なかった。

 何ひとつとしてわからない。

 自己嫌悪に陥りかけて、雷田は何とは無しに空を見た。微かに音がしたような気がしたのだ。耳を澄ましてみると、どこか遠くから悲鳴が聞こえてくる。学校の方からだ。もしやと思い、雷田は走り出す。あれは、間違いなく冬人だ──

 校門に入り、下駄箱を抜け、階段を駆け上る。屋上の扉を開くと、そこには十月十五日に居なくなった少年が倒れ込んでいた。クッションから落とされて、背中をさすりながら、冬人は立ち上がる。雷田の存在を認識して、顔を上げた。

「えっと、こんにちは」目が合ったので、雷田は挨拶した。「春臣に落とされて……来たんだね?」

 冬人は首を捻り、「いえ、違います。僕は、自分の意思でここに」

 雷田は瞬いて、二秒ほど言葉を失った。すぐに我を取り戻すと、彼の言葉を咀嚼する。

「君は突き落とされたとばかり思ってたけど」

 冬人は雷田の話も聞かず、手摺りの向こうに見える、死んだ景色に目を奪われていた。身を乗り出すほどに頭を出して、衝撃を受けたように目を見開かせている。

「ここは……一体」冬人は雷田の方へと向き、「あの、貴方は誰ですか?」

 ここに来て、彼は今自分と初対面するのだと理解する。雷田にとっては、車で迎えに行った十五日の晩に、顔合わせをしているつもりだったので、このことを失念していた。

「僕は秋乃の叔父です。雷田一って言います」

「秋乃の叔父さん……」

「君は──」彼の名前を言いかけて、噤んだ。「えっと、君の名前は?」

「僕は三雲冬人と言います。あの、秋乃君とは友達になったばかりです」

「そうかい」

 雷田は中学生の頃の幼馴染と話すことに、妙にこそばゆい気分になった。彼とは、晴村や春臣と同じく、大人になってからもよく会う仲だった。と言ってもホログラムで、だが。だから、長年の友人と初めましてを言い合うのは、何とも可笑しくて仕方がない。

 この奇妙な邂逅の後、ふたりの意識はすぐに現状へと戻される。

「あの、ここがいつだかわかりますか?」冬人が訊ねる。

「十月二十日。僕にはそれくらいしかわからない」

「二十日……」冬人は眉を顰めて、「まさか、ここは未来ですか……」

「そうだね」

「未来はこうなるんですか……?」

「さあね──そうならないと良いんだけど」雷田は天を仰いだ。

「雷田さんは、どうやってここに?」

「ああ……僕はね、君よりも先に湖から落ちてきたんだ」

 咄嗟に嘘をついた。一度も落ちことがないから、これ以上詮索されると困るぞ、と思いながら。

「そうですか」冬人は納得したのか、顎に手をやり、「あの、つかぬことをお聞きしますが、僕はこれから、どうすれば良いでしょうか」

 混乱しているのだ、と彼は付け足した。雷田は過去を思い出しながら、

「あと数時間したら、誰かしら、僕みたいにここを訪れてくると思うよ。それがいつになるかは分からないけど、きっと君を助けに秋乃が落ちてくる」

「えっ」冬人は大きくよろめいた。「どうして彼が?」

「君を探しに。それまでは、まあ、自宅の様子とか見たらどうかな」

「来てくれても、ピアスが使えないので、合流出来なさそうなんです。。だとしたら、その、聞いておきながら変だとは思うんですけど、屋上を離れない方が良いですかね。だって、湖に落ちたらここへ来るわけですから」

「うん、確かにそれもありだね」雷田は相槌を打った。「でも、ピアスは使えるよ」冬人のピアスに触れ、同期させると、「ほら、こんなふうに、僕の声が聞こえるだろう?」

 冬人はピアスが使えると知って、喜んだらしい。お礼を言うと、早速出口へと歩き出した。扉を越える直前で、彼は雷田へと直り、

「貴方はこれからどうされるんですか?」

「僕かい? そうだなぁ……まあ、もう少し見て回るかな」

「だったら、その、一緒に行きませんか?」冬人は怯えるように聞いた。

「ごめん。僕にはね、ちょっと寄りたい場所があるんだ。それも、君に何かあってはいけないから……うん、僕は一緒には行けない」

「そう、ですか……」

 冬人は頼みの綱が切れたとでも思ったのか、悲しそうに項垂れた。雷田は慌てて、

「いや、ふたりはすぐに来るから、大丈夫さ。心配しなくて良いよ。それに、僕も勝手に帰れるから。先に行ってて」

「ふたり?」

「まあ、安心して大丈夫だってことだよ」

 冬人は頷いて、屋上から離れていった。足音が遠ざかるのを待ってから、小さく息を吐いた。雷田は屋上から町並みを眺めながら、終末を止める方法を考える。けれど、今持っている知識では、どうにもならない。それが結論だった。

 下から冬人が歩いてくるのが見え、手を振った。彼もこちらに気付き、手を振り返す。まさか、ここで彼と会ったことも過去改変になるのでは、と思い至り、遅れて事の重大性を感じた。しかし、未来干渉というものがある。春臣が失敗したように、改変はそう簡単には出来ないはずだ。

「なら、この出会いは予め決められていたことだったのかな」と、考えを口にしてみる。「え──予め決められていた……?」

 自らの何気ない発言に、雷田は酷く驚いた。自分がまるで、運命通りに動かされたような錯覚に陥り、鼓動が早まる。これ以上ここに居るのは、精神衛生上良くないと判断して、雷田はトンネルへと急いだ。

 非常口を前に、彼は一度膝をついた。この一週間、予想だにしないことばかりが続いて、心労が絶えない。早く家に帰って、身体を休ませたかった。階段を上って、元の時層へと戻る。自宅へ帰る頃には、秋乃は既に自室に居り、帰ってきた雷田のことを出迎えた。

 珍しいなと思い、雷田は秋乃を見つめる。彼は、一枚の写真を見せてきた。それは、雷田が叔母と共に映っている記念写真だった。ぞっとして、雷田は取り乱しながら手帳を確認する。中に、写真は挟まれていなかった。どこかで落としたのだ。しかし、つい先ほどまで、雷田はこれを──終末で目にしたばかりである。

「これは、どこで拾ったの?」雷田は恐る恐る問いかけた。

「冬人を追って終末に行った時。この家に、写真が落ちてたんだ」

 雷田は愕然とした。こんなこと、あってはいけない。まさか、これも未来干渉か? ……と、考える。

「これって誰ですか?」秋乃は無邪気にもそう聞いた。

「これは……」

 眩暈がして、それ以上、雷田には言葉を紡ぐことが出来なかった。

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