二節

 少年たちと別れてから、雷田は仕事上がりの晴村と共に、別の個室へと場所を移していた。中は飲食禁止である。薄らと喉の渇きを覚えたが、雷田はそれを我慢した。ふたりは向かい合うように座っている。

「皆に話してないと良いけど」と、雷田が不安を漏らした。

「十中八九言ってるでしょう。何せ、四季クラブだから。そこに隠し事はなし……でしょ?」

「そうだったね。だとしたら、拙いことになったなあ」

「いえ、大丈夫。それでも問題はない」

「それはどうして?」雷田は不思議に思った。

「私たちはもう元の世界に帰るから」

「帰るったって、こんな状況放り出せないよ」

「寧ろ、もっと早くにこうしていれば良かったはず。だってそうでしょう、私たちが介入したから、こんなことになった。違う?」

 雷田に否定は出来なかった。確かに、自分たちが好き勝手行ったがために、終末を起こしたのではないか、と思われる。しかし──或いはならばこそ、とも思うのだった。

「でも、未来の僕を見捨てることは出来ない。それに、自分でやったことなら、自分で後始末しなくちゃ──違う、かな」

 呆れたと意思表示するように、晴村は鼻息を漏らす。それから微笑み、

「なら、仕方ないか……分かった。考えはあるの?」

「どうだろう」雷田は頭を掻く。「あまり思い付かないな。ひとつ考えたのは、春臣みたいに終末よりも未来を改変して、遡及的に終末を無かったことに出来ないか、ってこと」

「なら、原因を調べないとね。もしかして、知ってる?」

「いや、知らない。僕はともかく、春臣なら何か分かっていそうだけどね。彼は一体、何を考えてるんだろう」

「私は、何となく分かる気がする」驚く雷田に、晴村は告げる。「過去に向かうんだよ」

「過去に?」雷田は聞き返した。

「そう。春臣は、未来よりも過去にずっと生きる方が良いと思ってる」晴村は目を伏せて、「多分、私と同じだね。一周目の世界に──もしかしたら皆を連れて──帰ろうとしてる。或いは、一周目じゃなくて、更に過去の時層を作って、そこに篭ろうとしている」

「随分と消極的だね」雷田は眉を吊り上げた。

「消極的なことに積極的なのかも」

「変な言い方をするね」

「混乱してるってことかな」実際、晴村の顔色はあまり良くない。

「大丈夫かい?」

「ええ、大丈夫……」

 晴村は一度、お手洗いへ向かうために席を立つ。雷田は彼女を待ちながら、今後のことを考えた。終末を改変するためには、原因を見つけなくてはならない。調査のために、終末の数日前へと移動するのが良いかもしれない。どう改変するかはその後に決めよう、と計画した。

 気になるのは、春臣の動向である。もし彼が、晴村の言う通り過去に住み続けることを画策しているのならば、既にもう向かい始めているのに違いない。ただそこに、幾つかの疑問が浮上した。ひとつは、何故彼は終末を改変しようとは思わなかったのか、ということ。匙を投げたのだろうか、分からない。

 また何故、彼は冬人と秋乃を終末へと突き落としたのだろうか。これも謎だった。

 もうひとつは、彼の計画は成就するのだろうかという懸念である。今現在の時層がある限り、過去の時層へも干渉を起こし、いずれ不可避の結末を辿ることは間違いない。春臣のやっていることは、端的に言ってしまえば問題の先送りだ。彼ならば如何様にも対応出来ただろうに、何故避けようとするのか?

 晴村が帰ってきたところを見計らって、彼女の体調には気を使いながらも、これらのことを聞いてみた。

「彼が何を考えているのか、何もわからない」

 それが彼女の答えだった。

 調査を開始しようと、雷田は立ち上がった。

「ねえ、終末の前日に時層を作ることって出来るかな」

「もう作っておいた」晴村は弱々しく笑ってみせる。「何をするの?」

「終末が起こる瞬間を見て、原因を突き止める」

「もう一度聞くけどさ、一周目の世界に戻るつもりはない?」と、彼女が聞いた。「一巡する前なら、未来干渉だって些末なことだよ」

 雷田は首を横に振り、

「ごめん、夏莉」

 晴村はそうと頷いて、目を閉じた。雷田は扉を抜けて、部屋を出る。中から啜り泣く声がして、後ろ髪惹かれたが、ぐっと堪えた。自分のためだけに皆を捨てるようなことはしたくなかったのだ。それに、晴村ならば一周目の世界があるから、無事であろう。雷田とて、死ぬつもりは毛頭なかった。これは一時の応急処置に近しい。防げるものならば、防ぐべきだ。

 夕食を済ませると、雷田は家からトンネルへと歩き出した。幾つかの家々を通り過ぎていく。途中、自宅に寄って車に乗った。トンネルを前にした頃、ピアスより、晴村から通信が届いた。

「改変は、時層の向かう筋道を切り替えるようなものなの」彼女は涙声だった。「レールを切り替えるためには、未来への干渉をしなきゃならない。でもね、バタフライ効果はこの世界では通用しないんだ……」

「通用しない?」車から降りて、雷田は尋ねる。

「頑張って、秋乃」

 唐突に通話は終わった。どうしたのかと雷田は思い、数秒ほど固まっていたが、暫くして放心状態から抜け出した。非常口まで移動すると、過去へと繋ぐ門を潜った。螺旋階段を長々と下りていき、十月十九日の時層を見つける。それより下には、終末以外の時層は存在しなかった。

 覚悟して、雷田はノブに手を掛けた。緊張から扉が重く感じられる。錆びた金属の、擦れる音と共に、扉は開かれた。

 終末の二日前では、まだ穏やかな日常が続いていた。話に聞いていたような惨事は、まだ見当たらない。未来の人間に、あまり見つかりたくはないので、雷田はマスクを付けた。これならば、服装ももっと変えた方が良かったかもしれない。後でそう気がつく。

 これから何処で終末まで暮らしていくかについても、想定していなかった、と雷田は苦笑した。思い付いたのは、森の奥地にある廃家に住まうことだった。ややもすれば、春臣と出会すかもしれない。それならば、彼に問い詰めることだって可能だ。

 森を目指しながら、念のために、ピアスから春臣に連絡を取ってみる。だが、彼は応じなかった。ここには存在しないのだろう。それは、想定内であった。

 未来干渉を防ぐため、出来る限り人との接触を避けて、時計台まで辿り着いた。とても孤独な作業だ、とここへきて漸くわかった。この時層に居る晴村や少年たちとも会えないのだ。それでいて、しっかりと役目を果たさなければいけない。雷田は息を吐いて、気分を落ち着かせる。

 茂みを潜って、森の奥深くにある廃家を訪れた。木造りのおんぼろ小屋だ。ところどころに亀裂が入っていて、風通しが良い。尤も、秋の夜長には些か涼しすぎるだろう。辟易としながら、中を覗いた。室内は意外にも綺麗に片付けられていて、居心地は良さそうだった。春臣が用意したのだろう、飲食物や嗜好品などの類も置かれていて、暮らしには困らなそうである。

 テーブルの上には開かれたままの文庫本が置かれてあった。辺りに栞はない。題名を見ても、雷田に心当たりはなかった。取り敢えずページ数だけを覚えて、暇つぶしに使えると思い、一から読み始める。

「さて、あとはどうしようかね」

 雷田は独りごちて、粗大ゴミ同然の汚れたソファに埋もれた。そのまま、眠りの底へ沈んでいく。


 木枯らしが吹いて、冬の到来を予感した。寒さを凌ぐのに必死で、あまり寝付けなかった雷田は、睡眠不足のまま起床する。一度の不摂生で、心臓は強く波打ち、眩暈と吐き気のために身体は怠い。風邪をひいたのか、くしゃみも止まらなかった。ピアスで体温を測ってみると、幸いにも熱はなかったので、雷田は調査を開始した。

 秋乃からの話で、時計台にはよく集まると聞いていたので、会わないためにも側を通らないよう努める。とは言え、彼らは午前中から学校があるため、朝には注意する必要など無いだろう。森を出て、顔を隠した状態で町を歩いた。

 終末はどのように起こるだろうか。想像するのは、他国との戦争──それによって引き起こされる空襲や、何者かの手によってテロ行為があり、甚大な被害の結果、町は寂れるのかもしれない。映画のような惨事が原因かどうかは分からないが、仮にそうであったとしたら、雷田には防ぎようがない。

 ただ、こうした想像と秋乃たちの話とでは大きな矛盾点がある。つまるところ、町は寂れるに留まるばかりで、損壊してはいないのだ。人々が消失しただけ。これはこれで、意味が分からないと言えば、分からないのだが。

 どこかへ避難したのだろうか、と雷田は考える。そうであれば、納得がいく。秋乃曰く、電化製品は等しく動いたらしいのだ。ピアスが使えたことからも、電波は生きている。となれば、奇妙なのは人々はどこへ、何故、どうやって消えたのか、という点にある。唐突に町を空けるにしても、全員が居なくなるというのはあり得ないことだ。

 まさか、偶然にも皆一様に遠出する予定でもあったのか、なんて酷い妄想に駆られてしまう。雷田は苦笑して、この仮説を追いやった。人々の営みを観察しながら、雷田は呆けたように思考し続ける。変な動きも見逃さぬよう、目を光らせていたが、何の変哲もない。

 終末を間近にしても、やはり日常生活は残されている。雷田は、周囲で活発な動きを見つけることもなく、かといって何もしないわけにもいかないので、当て所なく調べ尽くしていったが、何も知り得なかった。探偵するのは素人だったとは言え、終末ほどのわかりやすい惨事であれば、雷田にも手掛かりくらいは得られるのではないか、と思っていた。

 読みが外れた十九日の晩に、廃家の中で薬缶を沸かしながら、雷田は息を吐く。

「終末はいつ、どうやって起こるのか……」

 地面に横たわり、呻いた。

 気が付けば当日になろうとしていた。原因となる要素の欠片ほど見つけられなかった雷田は、焦りばかり育つ現状に恐れをなしていた。外を見ても、秋乃たちの言うような終末は訪れていない。或いは、ギリギリまで町は崩壊しないのかもしれない。この日もまた、散策しては異変がないか気を配っていたが、何も掴めないでいた。

 ──それは午前零時丁度のことだった。

 空気が微細に振動し、臓物を鷲掴みにされたような不快感に襲われ、雷田はその場に倒れた。悲鳴もあげられない。周囲の人々はどうしたものか気になったが、ここは森の中だ。

 堪らず町へと走り出したが、体力がごっそりと奪われる。やがて家が目に入った時、ふと夜空から星が消えかかっているのに気がついた。。雷田は思わず息を飲んだ。カーテンの開けられた窓から、中を覗き見てみたが、人の気配はどこにもない。これはどの家も同じだった。

 道端でひとり、彼は苦痛に耐える。

 始まった、と雷田は予感した。これはまさしく終末の前兆なのだ。このままでは自分は死んでしまう。そう考えて、身体に鞭を打って立ち上がり、歩き出した。目指す先はトンネル。ここからでは遠いので、何としても車を借りたかったが、鍵を持っていないし、あまりの苦痛から乗り込むことも難しかっただろう。また運転出来たとて、何かの拍子に事故を起こしてしまいかねない。

 結局、雷田は歩いて向かうことにした。

 三半規管は乱れ、視界は揺れている。

 吐き気を覚え、涙が止まらない。

 地震が起きたような錯覚。

 甲高い耳鳴り。

 視界が見えなくなった。

 身体が崩れ、溶けてしまいそうになる。

 空気が唸るように咆哮し、空は急速に暗くなっていく。

 雷田は恐ろしくなって、手足が震え出した。

「怖い」

 いつの間にかそう呟いている。

「怖い、誰か助けて、誰か──怖い」

 息もままならない。

 ふと、目蓋の隙間から見知った男を見かけた。

 あれは、春臣か──雷田はぼんやりとした頭で考える。

 気を失いそうになったところを、誰かに支えられた。

 壁に手を突きながら、何とかトンネルに到達する。

 ふと隣を見れば、そこには誰も居なかった。雷田は意識を脱出へと戻す。非常口を開け、階段を目にした時、安堵のあまり笑いたくなった。扉を勢いよく閉めると、段に腰掛けて、俯いた。もう、苦しみは解かれている。扉はがたがたと大きく音を立てながら揺れ、次第に止まった。雷田は深呼吸して、それを見つめる。

 振動は収まった。

 あれは何だったんだ、と混乱した頭で疑問を投げかける。だが、誰も答えない。雷田は手摺りに掴まって、何とか立つと、死ぬ恐怖から痙攣するような手を、ノブに置いた。

 扉には、十月二十日である事が示されている。つまるところ終末の日だ。

 扉の向こうでは何が起きているのか見たい、という好奇心。もうここに居たくない、という恐怖心とが綯交ぜになって、開けるべきか待つべきか、心中では葛藤していた。やがて扉の震えが緩やかになると、雷田は決心して、扉を開ける。

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