第39話 散歩

翌日、宿の部屋で目が覚めた傑は、朝風呂に入っていた。

自宅から見える都会の景色もなかなかのものだが、こうして木々に囲まれた空気感というものは別格にいい。

自分がちっぽけなものに感じられる。


「よく持ってるよな、まったく・・・・・」

ここまで、壊れずによくやって来れている。

最初は、二〜三年以内に体がついていかなくなると思っていた。


側から見れば、傑の動きはとても常人には考えられないものばかり。

しかし、それは幼少期の薬物投与などの影響がある。

公安お抱えの医者によれば、体内の薬物は完全に消えているが、影響は消えていないとのことだった。

このことは、遥も美咲も知らない。

医者と本人の間でのみ共有されている情報だ。


いつか、遠くないうちに筋肉が衰え始め、日常生活には杖などを使えば支障はないがサッカーなどの激しい動きができなくなるそうだ。


「上がるか」

温まった体を冷える前にタオルで吹き上げ、甚兵衛を着る。


「おはよー・・・・・」

「おお、おはよ」

寝ぼけ眼の遥が、足音に気がつき起きてきた。


「お風呂入ったの?」

「ああ、気持ちいぞ」

「じゃあ、入ってくる」

遥も朝から露天風呂という最高の贅沢を味わいにいった。


朝食の内容を確認しながら、パンフレットをパラパラとめくっていく。


「あ、ここいいな」

傑の目についたのは、森の中に作られた一本の道。

左右と上を自然に囲まれた、一本道。


「久しぶりに、何も考えず散歩行くのもいいな」

先程まで体の心配をしていたため、気分転換と朝の散歩を兼ねることにした。


遙が上がってきたため、朝食までの時間を確認し、遥を誘って外へ出た。




「うわぁ、すごいねここ」

「・・・・・・・」

二人は、スペインでも東京でも見たことがない景色に感動していた。


特に傑は、この景色に先程の悩みがどうでも良くなっていた。

サッカーができなることが、自分にとってもこの景色を生み出す自然にとっても、どうでもいいことに気がついた。

世間がなんと言おうと、チームメイトにサッカー界の関係者になんと言われようが、遥や美咲さんと生きていけるだけで他はどうでもいいということに気がついた。


「遥」

「なに?」

「ワールドカップが終わったら、サッカーやめるよ」

「いいんじゃない?」

あっさりと、答えが返ってきた。

思わず、遥の方を勢いよく見る。


「どうしたの?」

「いや・・・・、なんかもうちょっと言われると思ってた」

「私は、傑がサッカーをすることで何かを失うのならやめさせるよ」

「・・・・・ありがとう」

両親に与えられた唯一のサッカーをすることで、あの人たちとの縁を感じようとしていたのかもしれない。

心と体をすり減らしてまで、肉親とのわずかな時間の思い出を残そうとしていたのかもしれない。


「そんなものどうでもいいな」

「ん?」

「いや、遙がいてくれてよかったなと思って」

本当によかった。

あの日助けてくれた人たちが、この二人で。


しばらく、都会の喧騒から離れた景色を楽しみ、朝食の時間が近づいてきたため、部屋に戻った。


その日、宿の給仕や板前、女将の耳にいつもの部屋から聞こえることがなかった、男の笑い声が響いていた。

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