3章 逃走と不安

第12話 車に揺られて

 ワゴン車の後部座席にもたれ込み、俊一は早くこの張りつめた緊張が解けることを願っていた。運転手の男は一見どこにでもいそうな四十代くらいの短髪の男で、服装は青のポロシャツと柄物の短パン、中指に金メッキの安物の指輪をしている。男は車のハンドルをせわしなく右へ左へと回し、目的地の場所まで二人を案内してくれていた。ときたま振ってくる話題と言えば、当たり障りのない世間話くらいのものである。

「もう着くよ。お嬢ちゃんを起こした方がいいんじゃないか」

「ぎりぎりまで寝かせておいてもいいですか」

「構わないよ。ちょうど昼飯時にはいい時間帯だね」

「はい。思ったより早く着いてよかったです」

 俊一は、隣の席でドアにもたれ掛かり、眠っている雛子に目を向けた。昨晩泊まったビジネスホテルでもぐっすり眠っていたのに、ここに到着するまでほとんど目を覚ますことはなかった。それが決して自分に心を許したわけではないことは、俊一もよく解っている。それでもあの場所から離れることが出来て、どこか安心を覚えているようにも見えた。

 タオルケットを腹の上に乗せて静かに寝息を立てている雛子の姿を確かめる。しっかりとつなぎ止めて置かないと、ふとした拍子に飛んで行ってしまいそうな気がした。

「ほら、ついたよ」

 運転手の男がシフトレバーを前後に動かしながら言った。

「お代は五千でいいよ」

「いいんですか」

「構わないよ。早くお姉さんに会えるといいね」

 俊一は申し訳ない気持ちになって頭を下げた。

「ありがとうございます」

 車が止まると、なんとなく解ったのか雛子がひとりでに目を覚まし、大きく伸びとあくびをする。俊一が「着いたよ」と声をかけると聞き分けよくドアを開けて車外へと出た。俊一も料金を支払い終えると、雛子と同じドアから車を降りた。

 二人を乗せていた白いワゴンのタクシーはドアを閉めると、逃げるようにその場を立ち去ってしまった。

「いい人だったね」

 俊一がそう言うと、雛子はほけっとした表情でこちらを見つめてくる。ずっと眠っていたため、あまりよく覚えていないらしい。雛子が眠っている間、二人の間柄を尋ねられたりもした。俊一は雛子に勘付かれないように、雛子は自身の姉の娘だと話を取り繕っておいた。ここへは姉を探しに来たのだとそれらしい目的も添えて。運転手はそれ以上この話を深く掘り下げるようなことはせず、終始それを信じていた。互いに隠したいことの一つや二つあったのだろう。

「ずっと同じ姿勢だったから疲れてない?」

 俊一の言葉に雛子は黙ってうなずく。上着のボタンが二つ外れていたので戻してやる。たどたどしい手つきでボタンを付けてやった。慣れていないことをすると、なかなかうまく行かないものだと、俊一は思った。膝丈ほどのスカートに履き替えている雛子は、風が吹くと少し寒そうに思えた。昨日まで着ていた服は、昨晩泊まったホテル近くのゴミ箱に捨ててきた。俊一自身も今朝方立ち寄った駅ナカのアパレルストアで、めぼしい服をいくらか調達して、それに着替えていた。髪をバリカンで短く刈り込み、黒縁の伊達メガネをかけている。間に合わせの変装にしては上出来だった。

「お祭りしてる」

 ポニーテールの雛子が正面を指さし、声を上げた。

 雛子が指さした先を見て、俊一は思わず笑ってしまう。

「ほんとだお祭りしてるね。お腹も空いてきたしちょっと見ていこうよ」

「うん」

「はぐれないように手を繋ごう」

 二人はたくさんの人たちが集まっている場所へ向けて歩き出す。

 大きな正門。中央には巨大な赤提灯。雷門と書かれてある提灯と大勢の人々の喧騒が、二人を出迎えてくれた。

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