文永の役 突然の終戦

「はっ! はっ!」


 街道を駆ける数騎の騎兵たち、少弐景資の手勢だ。


「こちらです、景資殿」


 野田に連れられて少弐は博多湾一帯を駆けまわっていた。


 連れらてた所に兵が待機している。


 彼らは激戦地や上陸地点を視察していた。


「ここもですか……」


 そんな彼らの目の前には何事もなかったかのようにそびえ立つ鳥居と無数の『桟橋』があった 。


 貿易都市博多とその湾内一帯に桟橋があるのは不思議な事ではない。


 何も上品に干潮を待つ人などいない。


 船からの荷揚げは桟橋など船着き場からおこなわれる。


 つまり鳥居を目印に各寺院が私貿易で物資の荷揚げや取引が行われていた。


 <島国>の想定よりも早い部隊展開もここにあった。


「これが<帝国>の迅速な上陸と一夜で撤退できた理由でしょうな」


「つまり僧侶たちの私利私欲が<帝国>の利になったということですね」


「情けない話ですがそう言うことですなぁ」


「ふぅ……そうなると次の襲撃に備えて九州一帯の桟橋をすべて破壊するのと貿易の間口を博多の大宰府に一本化した方がいいでしょう」


「いやはや、それは僧侶や貴族の荘園の収入を断つということ、激しい抵抗にあいますぞ」と野田が忠告する。


「父上と兄上なら喜んで賛同してくれるでしょうね。しかし……なにか妙案を考えましょう」


「そうですな。さて、そろそろ戻りましょう大友殿と筥崎宮火災の件について話し合わなければなりませぬ」


「ええ、向こうも何か進展があったかもしれませんからね」


 視察を終えた少弐たちは博多の陣に戻った。


 同じく博多の東側一帯を視察した大友たちも戻ってきた。


「座礁した船が一隻あったので<帝国>兵を捕虜としてとらえることができたぞ!」


 大友が大声で言う。


「ほう、それはそれは。これで<帝国>の内情がわかれば上々ですな」


「すぐに宋の僧侶を呼んで話を聞きだしましょう」


「いや、それよりも筥崎宮に関して宇都宮殿がまとめてくれた。その話を聞こう」


 皆が会議に出席していた宇都宮の方を向く。


「ごほん……まず筥崎宮の警備を含めて当事者に聞き取った全貌を話します――」


 それはあまりにも滑稽だった。


 まず夕方になり赤坂を通って帰還する武士の一団を神官たちが見た。


 僧侶たちはその疲弊しきった姿から敗戦したと勘違いした。


 そこで筥崎宮の御神体を移す作業を開始した。


 この御神体の移動は神聖な活動なので外界との接触を断っていた。


 そして無事に御神体を安全な場所まで移動させた。


 だが御神体を運び出した時に失火した。


 その火はすぐに消火したが、火の粉が干し草に引火した。


 瞬く間に貯め込んでいた兵站物資が炎上した、という話だった。


 


「このクソ坊主共がーー!!」怒り心頭の大友。


「大友殿、僧侶も出入りしてますが御神体の作業は神官が――」と指摘する宇都宮。


「そんな事どうでもよいわ!」


「まあまあ、大友殿もそう熱くならずに……」と野田がたしなめる。


「ふぅ……そのせいで北九州一帯が敵の手に捕られてたかも…………」


 そこで深く考え込む少弐。


「景資どの? どうかされましたか?」


「いえ、この件をネタに桟橋の全撤去に同意してもらおうかと」


「桟橋? 一体何があったんだ?」


「それでは、次の敵がどのようにして上陸したかについてですが――」


 と言い少弐たちが見てきた桟橋の状況、干潮が影響していないことを話す。


 最初の内は大人しく聞いていた大友だったが、みるみる真っ赤にさせてそしてついに大声を出す。


「やっぱりクソ坊主共のせいじゃないかーー!!」


 何とかなだめつつも報告を続ける。


「<帝国>が撤退した可能性が高いので今は壱岐の島と対馬へ船を出す準備をしています」と少弐が淡々と述べる。


「ほとんど互角の勝負でありながら撤退などあり得るのか?」


 少し冷静になった大友が懸念を口にする。


「…………」


 それには誰も答えられなかった。


「ふー、それは言いとして先ほどの桟橋の件だが、強欲な坊主共が桟橋の破壊に賛同などするわけない。ここは<帝国>を撃退するための石築地を作ると言ってその過程で勝手に破壊すればいい」


「ふむ、そうですな。ここは強敵だったので九州全土に石築地が必要だと鎌倉殿に上奏しますかな」


「そうですね。無意味な論戦を繰り広げるより必要性を訴えて、石築地作りを止められない流れを作りましょう」


 この時の原案がのちに『元寇防塁』と呼ばれるものになる。


 その後は<帝国>がどのような攻撃をするのか、その防ぎ方を連日話し合った。


 だが、数日後――麁原攻防戦から九日後にようやく対馬からも<帝国>が撤退したことを証言も交えて確認が取れた。


 こうして何が起きたのかわからないまま合戦は終わりを告げた。


 博多、住吉神社そして筥崎宮跡地に陣を構えていた武士たちは帰路につく。


 この帰り道の道中に噂話として大風で船が流された、お釈迦様が救ってくれた、病で帰ったなど、実に多くの迷信が誕生する。



 この相手の思惑が見えない戦いを後に『文永の役』と呼ぶ。



 だが、実際に戦った武士だけはまったく別の印象を持っていた。


 奴らは強敵だった、と。



 ――――――――――

 元寇防塁の通説はよくわかりませんでした。

 発起人は鎌倉幕府らしいですが、現地にいない幕府と若すぎる北条時宗が思いつくとは思えないので、ここは現地で戦った御家人が博多湾の実情から提案したということにしています。

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