苦労人 王某

 秦末、のちの匈奴帝国の王、冒頓単于ぼくとつぜんう

 彼は父である頭曼単于とうまんぜんうに何度も暗殺されかけた。

 彼は謀略をすべて跳ね除け、万の騎兵と名声を手に入れた。

 彼は訓練として部下に鏑矢を射る方角に、矢を射るように命じた。

 まず自分の良馬を射る。従わなかった部下を切り殺した。

 次に複数いる后の一人を射る。従わなかった部下を切り殺した。

 最後に父王の良馬を射る。皆、従った。

 その後、狩りに出かけた時に鏑矢で父を射抜いた。

 同行した全ての部下はそれに続いて王を射抜いた。

 時をかけずに政敵と兄弟すべてを処刑して彼は王となり、絶対服従の家臣団を手に入れた。

 秦の始皇帝が没した翌年の事である。


 ――親殺しの鏑矢





 時は遡ること二十日の未明。


 夜闇に紛れて麁原山に陣取ることに成功した<帝国>軍。


 山頂から朝日が昇るのを待つ武官たち、その中に若手の武官である王某おう ぼうという男がいる。


 彼は武官の中でもひときわ巨漢の男の補佐をしていた。


 巨漢の名は忽敦(クドゥン)。


 この<帝国>遠征軍の最高責任者だ。


将軍、準備が整いました」


 副官である王某おう ぼうは将軍の名を間違えたと指摘しようとする。


 だがクドゥンに制される。


 <帝国>は草原から始まり周辺国家をすべて平定して建国した。


 その影響で他民族、多言語、多宗教が入り乱れる複雑な社会となっている。


 そのような社会ではいちいち発音を直していては日が暮れてしまう。


 だから<帝国>の将軍の中に細かいことを気にする者などいなかった。


「煙幕をだしなさい」


 その一言を皮切りに一斉に陶磁器の容器から煙幕が放出される。


「まだ全部隊の上陸はできていないですが、よろしかったのでしょうか?」


 副官は、戦とは万全の準備が整ってから戦うもの、と考えていた。


 それなのに狼煙を上げては周囲の敵が大挙してくる。


 それでいいのか?


 と疑問に思った。


「んっふふ、いいのですよ。万全の態勢が整っていたら釣れるものも釣れませんからねぇ」


「はぁ、とにかく百人隊長三名ほどを周囲の偵察に出します」


「ええ、そうして下さい」


 このクドゥンという将軍は物腰が柔らかく、どうにも見た目と違って勇猛な<帝国>将官とはかけ離れている、と王某おう ぼうは思った。


 煙が立ち<島国>が上陸に気付いた。


 百人隊長が敵を誘い出すように戻ってくる。


 誘い出された敵、一騎と歩兵五名だった。


 それを<帝国>重騎兵で屠る。


 地方領主などで典型的な高官と従兵の少数部隊と見なした。


 王某おう ぼうは弱すぎると思った。


 <帝国>には古い時代から優れた軍制度がある。


 まず千人隊長という皇帝に絶対の忠誠を誓う隊長格を基本とする。


 この千人隊長の下に百人隊長が十名ほど付き従う。


 この百人隊長の下にさらに十人隊長が十名つく。


 十人隊長という名称から分かるようにその下に十名の兵士がつく。


 こうすることで上意下達、上からの命令に必ず従う軍隊ができあがる。


 王某おう ぼうはその千人隊長と同等の武官だ。


 その後、<帝国>が巨大化するにつれて動員数が増えた。


 そこで千人隊長より上の隊長格、万人隊長が新たに作られた。


 万の兵を率いるこの役職は言うなれば<帝国>における天下の大将軍である。


 この博多の地に降り立ったすべての将兵が大将軍クドゥンに注目していた。


 敵は未発達な従兵集団、我々には万の兵を率いる天下の大将軍。


 容易に敵を打ち倒せるだろう。


 皆が皆そう確信していた。



 ただ一人、クドゥン本人だけは違った。


 彼は周囲の地形を見渡して、現れた少数の敵の装備を観察する。


「ん~、これは危険ですね」


 誰にも聞こえない小声でそう言った。








 赤坂まで進んだ偵察が帰ってきた。


 釣りだせた騎兵は僅か五騎。


 ――フォン。


 鏑矢が飛ぶ。


「鏑矢ですか――攻撃の銅鑼を鳴らせ」とクドゥンがいう。


「はっ!」


「古い時代の合戦の合図ですね」と王某おう ぼうが答える。


「私はここに来るまでに<島国>について調べました。宋人曰くこの国は技術も文化も学ぶばかりで得るものはない、言うなれば子供のようなもの、そう言ってましたね」


「……子供ですか」


 王某おう ぼうは確かに装備は<帝国>と遜色ないが軍の運用が地方領主並みである騎兵従兵になる。


 これでは確かに親からまともに学べなかった子供である、そう思った。


「しかし、今の矢で古い時代の『親殺しの鏑矢』を思い出しました」


 王某おう ぼうはドキリとした。


 草原の<帝国>では知らない者などいない有名な話だ。


「……古代匈奴帝国の口伝ですか、まさかこんな<島国>で……そのようなことありえません」


 格下の<島国>が格上の<帝国>を打倒するなどありえない。


 山頂に集まる武官たちも顔色が悪くなる。


「んふふ、どうでしょうね。左右の部隊は配置に就いてますか?」


「はい、この山を基準に西に劉復亨りゅう ふくこう千人隊長、東に洪茶丘こう ちゃきゅう千人隊長がに配置しています。また浜辺からも続々と上陸しています」


「結構、結構、それでは彼ら<島国>の戦い方を拝見しましょう」


 程なくして少数の騎兵と百人隊が干潟の近くで戦った。


 麁原山から戦場を見渡す大将軍クドゥンはただじっと一人の騎兵を凝視する。


「単騎で挑むとは兵法を知らぬ愚か者。やはりこの<島国>は子供ですよ」


 王某おう ぼうがそう言う。


 しかし忽敦(クドゥン)は何も言わずに戦場を眺める。


 さすがに一切反応がないと王某おう ぼうも困惑する。


 千人隊長とはつまり<帝国>貴族か、貴族と同等の武人たちのことである。


 さすがに無視をされると面白くない。


「これはいけませんね」


 何が?


 と思ったがそれを聞いて千人隊長も違和感に気付く。


 その違和感は徐々に大きくなりついに口に出す。


「ええぃ、なぜたった数人の敵を倒せないのだ! それでも<帝国>軍人か!!」


 前線で戦う兵士たちも同じことを思ったのか槍兵と弓兵が至近距離から攻撃を開始する。


「……後退の銅鑼を鳴らせ」


「な!? お待ちください将軍、あのような寡兵以下の敵に撤退したら<帝国>の恥です!!」


「貴方にはあれが寡兵に見えますか?」とクドゥンが呆れたように言う。


「!!? いえ、その――」口ごもる千人隊長。


調虎離山ちょうこりざん……もう少し勉強しなさい」


 そう諭されて、もう一度騎兵たちを見る。


 <帝国>弓兵が楯に隠れながら近づき、矢を放つ。


 そして槍投げが届く距離まで近づき、それら飛び道具が騎兵を襲う。


 上から見るその姿は陣形が乱れた烏合の衆、高い練度を誇る<帝国>兵の姿ではなかった。



 ――!?



 その瞬間、松林から百騎余りの騎兵が飛び出してきた。



 ここから<帝国>武官たちの想定外の戦いが始まった。



 ――――――――――

 ということでついに侵略側である<帝国>視点の回です。

 内容は同じなので3話ぐらいのダイジェストを予定しています。

 まず鏑矢を見て笑ったというのが通説です。

 これに対してそもそも鏑矢の軍事利用発祥の国、その系譜が笑うわけないだろうという形でまとめました。


 調虎離山――調(謀)で敵を有利な場所から引き離して戦う戦術。

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