エピソード1:エデンの煙-8

 とある男の元へ向かう車内には眠たそうにしている沙良と菜々、つまらなそうにスマホをいじる藍が座っている。


 「別に無理して来なくてもよかったんだぞ?」


 「ここまで来たら最後まで付き合うわよ」

 目を擦りながら沙良が応える。普段ならまだ眠っている時間帯だ、半分寝ている状態。


 「ワクワクしますね!」

 菜々は相変わらず呑気だが、目が覚めてきたようだ。


 「終わったら教えてくださーい」

 藍、お前は本当に何故来たんだ。

 

 目的のアパートに到着する。菜々が割り出した住所ではココが男の根城のはずだ。

 

 菜々は元カレの事が忘れられない、一途な女の子だった。しかし未練が強すぎる為、その行動はほぼネットストーカーと化している。

元カレのSNSにアップロードされた画像や位置情報から職場や引っ越した先の家まで特定。さらにはSNSのコミュニティに偽名で入り収集した情報から直近の行動範囲や生活圏も把握しており、会おうと思えばいつでも会える状態を作って満足しているそうだ。


 今回はその情報収集力を活かし、エデンの売り子の個人情報を調べつくしたのだ。1日足らずで特定作業は済み「楽勝ですよ!」と得意気に言い放つ菜々の笑顔に恐怖した事は秘密だ。


 

ともあれ、準備は全て整った。

あとは撒いておいた餌に引っかかった事を確認し、乗り込むだけだ。


外階段を上り2階に辿り着くと、藍がインターホンを押す。


「こんにちは!下の回に越してきた者です。ご挨拶よろしいでしょうか?」

店と変わらない相手を虜にするトーン。さらに覗き穴から見えるよう立ち位置を戻す。少し露出度の高い胸元を見せつけるように。


藍の効果は抜群だったようで、すぐに鍵が開く音が聞こえた。遠慮がちに開いたドアの隙間から姿を現した男は、何を勘違いしているのか照れくさそうな表情を浮かべている。


「あ、あの、こんにち……」


「ああ、どうも。ちょっと良いかな?」

俺はすかさず割って入ると右手でドアを抑え、遮るように藍の前に出る。藍は小さな声で「ごめんね!」と笑顔を向けていた。


「は?え、アンタ誰だよ!」


「覚えてないか?草間君。この間携帯ショップに行ったばかりなんだが」


「あ……」

 

 男の名前は草間 仁。近所の携帯ショップに勤める23歳。勤務態度は真面目、大人しく控えめな印象だった。


 「お前があのECサイトの管理人だな?」


 「え、いや、その……」

 怯えているのか、ここから逃げる算段をしているのか。言葉に詰まりながら俯いてしまったので、とりあえず中に入らせてもらう。


 「あの、ちょっと!」

 

 「男の一人暮らしにしては綺麗にしているな」

 中は8畳程のワンルーム。シングルベッドと本棚、デスクには大型のモニタと床に置かれたPCがあるだけ。ミニマリストとまではいかないが、えらくシンプルな、悪く言えば生活感の無い部屋だった。その分、目当ての品はすぐに目についた。整った室内に似つかわしくない、開けっ放しの段ボール。


 「ア、アンタ、いい加減にしろよ!何勝手に人の部屋の中を物色してんだ」

 怒り慣れていないのだろう。草間の声は震えている。


 「これが噂の楽園(エデン)ってわけか」

 段ボールから取り出したのはジッパー付きの小さなポリ袋。中にはお誂え向きの白い粉。


 「そ、そ、それは……」


 「一昨日入った大量注文、アレの為に倉庫から持ってきたんだろ?約束の取引は明日だもんな。今夜は寝ずに煙草詰め作業の予定だったか?」


 

 火曜日、川越さんから「数か月前に父親がスマホに変えた」事実を確認。また鶴瀬さんも同じ携帯ショップで購入していた。さらに、二人は面識があった。そのショップで行われるスマホ教室。高齢者や操作に不慣れな人の為に操作方法の基礎から丁寧に説明する、授業方式のサービスだ。その授業で一緒になり、同じ担当のスタッフからこっそり教えてもらったのが、例のECサイトだった。


 「自分が担当のスマホ教室にきた老人にネットショッピングを教えたついでに、自作サイトを使ってタバコを買わせていた事はわかってる。楽園(エデン)入りの違法煙草とも知らずにな。今や生活必需品も簡単にネットで購入、自宅へ届けてくれる時代だ。しかし、煙草の通販サイトはあまり多くない。大手のECサイトにも電子タバコはあるが、紙巻の販売はされていない。そこに付け入る部分があったってわけだ」


 草間は唖然とした表情を浮かべ、口をパクパクさせていた。ようやく絞り出したのは「なんで……」の一言だった。


 「手口がわかれば後は楽勝だ。教室を担当したスタッフの名刺で指名はわかるし、俺は最終確認でショップを訪れただけ。お前の顔を見るためにな」


 顔と名前が一致したので、菜々にネットストーキングを依頼。本名でしか登録できないSNSがあるので個人情報の特定はすぐだった。まったく、恐ろしい世の中だ。後は草間のサイトで大量注文を入れておき、職場からの帰路に寄り道をさせ、楽園(エデン)の仕入れ先も特定。倉庫の方には既に悟が向かっているはずだ。


 「直に警察が来る。どうせそっちでも散々聞かれるだろうが、なんでこんな事をやったんだ?」

 草間は全てを諦めた様子で、落ち着いた表情を取り戻していた。間もなく沙良が呼んでおいた警察が到着する頃だろう。

 

 「………ウザかったんだよ。アイツら老人どもが」

 

 「ウザかった?」


 「そうだよ。俺は全く悪くないのに、毎日毎日故障だ詐欺だって店に怒鳴り込んで来やがって。アイツらが無知なだけで、何で俺が怒鳴られなきゃいけないんだ。町中だってそうだ、人の邪魔ばかりしやがって。アイツら人に迷惑ばかりかけて生きてるじゃないか。年金なんて今の若者の働いた金を貰ってるくせに、若いヤツとみればすぐにマウントを取ってくる。もう存在がウザいんだよ」

 堰を切ったように、次々と高齢者への憎しみが溢れ出す。同情してやるつもりは毛頭無いが、想像には容易い。

 

 「俺は悪くないのに……か。それで憂さ晴らしになったのか?」


 「ああ、もう少しでなったさ。偉そうにしてるやつらを薬物漬けにして、その内通報してやるつもりだったんだ。薬物中毒の老人を大量発生させて、牢屋にぶち込んでやるんだ」


 「残念ながら、それは難しいだろうな」


 「なんでだ、今だって薬物を所持してるんだぞ?警察が行けば逮捕出来るだろ」


 「いや、彼らは『違法な薬物を使用する』意図がない。何も知らずに趣向品を楽しんでいただけだ。それだけなら罪には問われない」


 「そ、そんな……じゃあ俺がやってきた事は無駄だったのか……?」


 「俺は説教も、救いの手を差し伸べる事もするつもりはない。だが、一つだけ伝えておく。少なくとも、俺の知っている老人たちは感謝していたぞ、お前に。生活が便利になったとか、孫の写真を見られるようになったとか」


 「え……」


 「草間、本来のお前は誰かの役に立てる人間のはずだ。世の中理不尽はたくさんあるが、もう少しだけ、前を向いて生きていっても良いんじゃないか?」

 

 

 遠くにサイレンの音が聞こえる。外にはやけに眩しい、赤い夕焼けが見えた。

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