第27話 出雲路攻略戦

 西進を続ける尼子勢だが、その最大の問題は兵力が少ない事である。

 本来ならば抑えの人数を割くべき鳥取城にも、旧主、山名豊国やまなとよくにを残しただけで出雲へ向かわざるを得なかった。


「山名どのはなぁ……不安ではあるが、仕方あるまいよな」

 鹿之助と立原久綱も、豊国の処遇については半ば諦めた表情である。

 統治能力だけでなく部下の統御にも問題のある山名豊国である。とはいえ、代わりになる人物もいない。できるなら久綱に一軍を与え、鳥取城の守りを固めたい所なのだが、いまの尼子勢にそんな余裕はなかった。


「彼らがまた毛利方に転ずる前に、一気に富田城を奪還するしかないだろう」

 最後はそういう結論になった。


 ☆


 中海沿いを進む尼子勢の進路に、まず立ち塞がったのは十神山とかみやま城である。

 十神山城はやや大きめの砦といった規模ではあるが、中海に突き出た半島に築かれてるために、陸からは攻めにくい。


「三方が中海に囲まれているからな。厄介な城だ」

 正面からの攻撃しか手段が無いのである。当然、城方もそれを予期し兵力を正面に集中しているだろう。

「兵力の損耗は避けたいところだが……」


 しかし、鹿之助の懸念は意外な形で解消された。

「すでに戦いが始まっています」

 先行し物見を行っていた阿井あいが駆け戻って報告した。

「軍船が数艘、中海側から十神山城を攻めています」

「船だと。一体どこの者だろう」

 横道兵庫介が首を捻った。


 鹿之助は決然と顔をあげた。

「誰でも構わん、今はそれを詮索している時ではない。急ぐぞ!」


 全速力で十神山城へ迫った鹿之助らは、その勢いのまま城の防柵を突破し本丸へなだれ込む。期せずして尼子勢と水軍とで挟み撃ちの形になり、それまで中海側に気をとられていた城兵は何の抵抗も出来ないままに十神山城は陥ちた。



「お前は、山中鹿之助か。久しいな!」

 岸辺へ漕ぎ寄せた軍船から大声で叫ぶ男がいた。見事に日焼けした、武士というより海賊のような男だ。この男が水軍の頭領らしい。

 鹿之助は目を瞠った。

「あなたは、隠岐おきどの!」

 鹿之助も笑顔で叫び返した。船上の男は隠岐の島を領する隠岐三郎五郎だった。


 そしてその隣にはもうひとり、やはり堂々たる体格の男が立っている。男は不敵に笑うと、手にした弓を大きく振った。

「なんと松田どのも」

 この男は、松江の白鹿しらが城に拠って毛利の攻撃を跳ね返し続けた松田 誠保さねやすだった。誠保は富田城の落城に伴って白鹿城を明け渡しはしたものの、むざむざと毛利へ降伏することを是とせず、まだ毛利の手が及ばぬ隠岐の島へ脱出したのだ。武勇のみならず忠義に篤いおとこである。


「攻め寄せてはみたものの、なかなか適当な上陸場所が無くてな、ちと攻めあぐねていた所よ」

 そう言って隠岐三郎五郎は笑う。浅黒い顔のなかで歯だけが皓い。

「いい所に来てくれたのう、鹿之助」


「我らもおかからだけでは難戦となる事を覚悟していたのです。これも天の配剤というものでしょう」

 三郎五郎は冴名の言葉に頷いた。だがふと首をかしげる。

「えーと。貴女そなたは誰だったかな?」


「お忘れですか、立原冴名でございます。確か七年ほど前の正月に、富田城でお目にかかりました」

 丁寧に一礼する冴名。


「冴名どの? ……おおっ、思い出した。いや、それ以前にそなた、こんな赤ん坊だったな。わしも襁褓むつきを替えてやった事があるぞ。いや、あの時の裸の赤ん坊がこんな美人になるとはのう」

 真っ赤になった冴名を見て、三郎五郎は豪快に笑う。


 その顔面に冴名の正面蹴りが入り、三郎五郎は後方に吹っ飛ばされた。

「そんな余計な記憶は、即刻忘却してくださいっ!」


「だから、そなたの全裸を見たというのは冗談だぞ。わしは若い女子おなごを見るとついそんな事を言ってしまうのだ。これは定例行事なのだ」

 顔の真ん中に足形をつけた三郎五郎が訴える。


「定例行事で片づけないで下さい。二十年も前ならともかく、現在ではそんな戯れ言は、絶対に冗談とは看なされませんからねっ!」

「なんと。ではまさか女子の尻を触るのも駄目なのか」

「当り前です!」

 すっかりしょげ返った隠岐三郎五郎を、苦笑いで松田誠保が慰めている。


 冴名は冷たい表情のまま絵図面を拡げた。

「次は高瀬城です。方針を決めましょう」

 

 ☆


 高瀬城は現在の出雲市 斐川ひかわ町の神庭かんばという土地にある。付近には、後に三百本を超す銅剣が発掘された荒神谷こうじんだに遺跡や、大量の銅鐸が発見された加茂かも岩倉いわくら遺跡がある。おそらく古代から軍事、祭祀の重要な拠点となっていた土地なのだろう。


 出雲平野の中の大高瀬、小高瀬と呼ばれる連なった丘陵の上に高瀬城は築かれている。米原よねはら綱寛つなひろがこの城を守っていたが、富田城落城、尼子義久の降伏によって、この城も毛利に明け渡された。

 守将の綱寛も毛利に降り、現在は吉川元春の配下が入城している。


「考えられる選択肢は三つです。第一案、ひたすら攻め落とす。第二案、交渉で降す。第三案、捨て置いて月山富田城を目指す。どうします」

 冴名の提案に鹿之助らは考え込んだ。

 

 古来、城攻めには城兵の十倍の兵力を必要とするという。現在の尼子勢では到底有り得ない数字である。

 それに城攻めは持久戦も覚悟しなくてはならない。一刻も早く富田城を奪還したい尼子勢にとっては、城攻めは選択肢から外れる。


 同様に第二案も困難である。せめて今の数倍の兵力があれば、その武力を背景に降伏を迫る事も出来るだろうが、このような小勢では城兵も動揺しないだろう。


「となると第三案か。では皆で一気に駆け抜けるとするか」

 そう言いながら、鹿之助も冴名も今一つ納得した表情ではない。通過した後に、軍の後方を襲われる危険性を排除する事ができないからだ。


「できれば、一撃して城に逼塞ひっそくさせる方法があればいいんだけどね」

 冴名は難しい顔で首を振り、絵図面を畳んだ。




 尼子軍の右手には穏やかな水面みなもが見えている。先日までそれは中海だったが、今日見えているのは宍道湖しんじこである。宍道湖と中海は一本の河川で結ばれており、さらに中海は日本海とつながっている。潮の干満に応じ海水が宍道湖まで流れ込むことで、この二つの湖は塩分を含む汽水湖きすいことなり、その環境に適応した生物によって独特の生態系を造り上げていた。

 その宍道湖の西端を見下ろす位置に高瀬城はある。


「まずは様子を見ましょう」

 高瀬城の北側が出雲平野である。尼子勢はその麓に陣を敷いた。静かな睨みあいが暫く続いた。


 ある日、夜陰に紛れ一人の男が尼子の陣を訪れた。鹿之助たちの前に出たその男は、鹿之助や立原久綱にも旧知の人物だった。

「米原綱寛さま。どうしてここへ」


 男は、先頃まで眼前の高瀬城を守っていた米原綱寛だった。高瀬城の開城によって毛利に降り、新たな城主が吉川家から送り込まれたが、綱寛はそのまま城に残っていたのである。それだけ彼の能力は毛利家からも買われていたのだった。


「高瀬城内の状況について、ぜひ知らせておきたい事がある」

 米原綱寛は集まった鹿之助らを見渡した。


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