後編

 二年になって半年が経過した。俺は最近、氷川さんと話をするようになった。とは言っても、ほとんど俺が一方的に話しかけているだけだけど。ヨウも気兼ねなく声をかけるようになり、女子が輪に入ることも増えた。

 部活を終えて駅に向かう途中、少し先に見覚えのある黒い綿が見えた。

「氷川さん、今帰り?」

 彼女は足を止めて、俺が追いつくのを待ってくれた。どうやら図書室にいたらしい。たわいもない話をして、電車に乗った。

「どし、たの?」

「あ、いや……なんか視線を感じて。ごめん、気のせいかな」

 視線を感じつつも、俺は電車に乗ってからせわしなく動かしていた頭を落ち着かせた。



 部活後、忘れ物に気づいて教室に取りに向かうと、前の席にスクールカバンがぶら下がっているのが見えた。氷川さんの席だ。

――あれ、氷川さんまだいるのか。

 九月とは言えど、もうすぐ日が暮れる。夜は危ないと思って待ってみるものの、彼女は一向に現れない。

「あれ、姫、何してんのー?」

 振り返るとテニス部の女子が教室に入ってきた。俺と同じく忘れ物をしたと言う彼女に、氷川さんを見ていないか、なんとなく聞いてみた。

「廊下で声かけられてるの見たよー。よく姫につきまとってる先輩に」

「えっ。何話してた?!」

 思わず彼女に詰め寄った。俺の勢いに驚きながらも彼女は、知らないと首を振った。何もかもが想像に過ぎない。電車での視線。少しずつ近くなっていた朝の挨拶。残されていた氷川さんのカバン。でも妙な胸騒ぎがして、あてもなく廊下を走った。一階に降りると、部活を引退した先輩がまだ下駄箱で話しているのを見つけた。

「あっ、先輩! 髪の毛が天パで、すっげえちっちゃい子見ませんでした? 人形みたいな。それか下川先輩!」

 息も絶え絶え、バスケ部が情けないと思う。先輩は戸惑いながらも教えてくれた。下川先輩がまだ教室に残っていた、と。

 下川先輩の教室に向かうと、確かにまだ電気がついていた。そっと近づくと、先輩の声が聞こえた。

「じゃあ、備品室の鍵返してくるね~」

 俺が教室に入ろうとしたのと、彼女が教室を出ようとしたのは同時だった。

「わ、白雪く――」

 俺の視界に入ったのは、先輩が持つ鍵のみだった。俺が戻します、とかそんなことを言ったかもしれない。

 備品室・・・は校舎の一番端にある。手前の角を曲がる直前、大きな音がした。

「うわっ」

 反射的に頭を手で覆った。しかし、何かが落ちてくることもなく、角を曲がると信じられない光景が俺の目に映った。正面にある備品室の扉が大破している。そこにいるのは間違いなく氷川さんだ。

「氷川さん大丈夫? 何があったの?」

 俺の問いには答えなかった。物が所狭しと並ぶ中、空いた小さなペースに彼女はいた。息を切らして、肩を上下させている。まさかとは思うけど――。

「あれ、氷川さんが?」

 扉に背を向けたまま、俺は後ろ指で示した。大破した扉の上には、何に使っていたのか、重そうな鉄の箱が乗っている。

「相変わらずすご――」

 ふわり、氷川さんの黒い髪が目の前になびいたかと思うと、体に柔さを感じた。微かに震えるその柔さを、俺はそっと包み込んだ。



 氷川さんがあんな目に遭ったのは、俺のせいなのでは――そう思い、備品室の一件後、俺は彼女と距離を置いていた。下川先輩には声をかけられることはなくなった。

――ここ一ヶ月、平和だ――ん?

 朝の満員電車に揺られながらそんなことを考えていると、やけに後ろがもぞもぞしていることに気がついた。ごつごつしたものが尻に当たる。痴漢だ。この身長のせいで、痴漢に遭っているのが同じ背丈の女性だと、必然的に俺の尻も手の甲で触られる・・・・

 痴漢の手を掴み、被害者を見て驚愕した。氷川さんだった。痴漢男を駅員に預けると、彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめている。

「あ、の……」

「いいよ、お礼なんて」

 最近では、氷川さんが発したい言葉が分かるようになった。彼女は首を横に振って肯定したあと、縦に振ってから、もう一度横に振った。つまりはどういうことだ。

「違、くはないんだ、けど、でも、違くて。わ、私、顔赤いと思う、けどち、痴漢のせいじゃない!」

 最後は勢いよく言いきった。

「ふはっ。そんなこと思ってないって。それよか大丈夫?」

 今度はしっかりと頷いてくれた。こうして俺たちは、途中から一緒に登校した。

 昼休み、ヨウと一緒に購買でパンを買って戻ると、俺たちのクラスの前に人だかりができていた。駆けつけても、俺の身長では何が起こっているのか見えない。背の高いヨウが、教室内を確認した。

「げ、氷川と揉めてんの、あの先輩だぞ姫」

 俺は慌てて人の間を縫って入った。やっとのことで人混みから抜けると、下川先輩が氷川さんに向かって手を振り上げたところだった。

「邪魔なのよ、白雪くんの周りをうろちょろと――」

――パシッ。

「あ……し、白雪くん……」

 違うのこれは、と弁明しようとする先輩だが、その右手は俺の頬を平手打ちしたあとだった。

「ふー間に合ってよかった。氷川さん、大丈夫?」

 先輩に背を向けて、後ろにかばった氷川さんと向き合った。

「ひゅー! 姫、王子様みてえ」

 ヨウの声が背後から聞こえたかと思うと、教室の空気も変わり、かっこいいだの、王子様だのという言葉で満たされた。下川先輩は空気のような扱いで、誰からも何も言われない。いたたまれなくなったのか、勢いよく教室から出ていった。

 俺は照れ臭さに鼻の下を擦り、口元を緩ませた。

「俺はさ」

 騒がれながらも、俺は氷川さんだけに聞こえるように言った。

「氷川さんだけの王子だよ」

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白雪プリンス 降矢めぐみ @megumikudou

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