野宿部

ヒロロ✑

第一章 野宿はかくありき

第1話

 一枚の写真に収まる距離感だった。

 付かず離れずを保ち、俺は詩織先輩の足取りをたどった。

 呼吸が荒い。

 いつから俺は変態になった? 胸を過ぎる数瞬の罪悪感、しかしそれはすぐに去り、彼女をもっと知りたいという欲望によって押し潰された。

 先輩は角を曲がって視界から消えた。

 慌てて小走りになる。

 このまま進めば神社をようする裏山だ。

 小学生の頃カブトムシを捕りに来て迷子になったことを思い出した。

 やっぱり。

 詩織先輩は石畳で舗装された坂道を登って行く。

 どうしようか迷った。

 このまま跡をつけるのもそうだが、迷子になったトラウマが逡巡させた。足が止まる。

 先輩は当たり前のように社へ続く階段を上がって行く。

 生暖かい風が葉桜を揺らしていた。

 どれだけ立ち止まっていただろう。

 俺は慌てて跡を追った。

 何も考えていなかった。

 あと数段の所で気付いた。

 ここは神社しかない。

 ということは普通は参拝しに来たんだ。なら……お参りした後、鉢合わせになるじゃないか。

 途端、心臓が火傷しそうになって冷や汗が流れた。

 しかし何故か止まれなかった。

 なかば良いじゃないかと思う気持ちが足を動かす。

 出会ったらどうしよう。

 でも出会いたい。

 ない交ぜになった俺の情動は拍子抜けした。

 第二の鳥居をくぐると目の前に本殿がある。しかし彼女はいなかった。

 カラスが鳴いている。

 急に怖くなって引き返そうとしたら、いきなり肩を捕まれた。

「隊長、敵軍発見、敵軍発見。斥候と思われます」

 雑木林に高らかに響く大音量。声が割れている。驚いて振り返ると黄色い拡声器を持った学生だった。

 胸の校章は王華学園、俺と同じだ。

 枯れ枝が折れる音がする。

 視線を走らすと、四人の学生が列をなして本殿の前まで出て来た。

 目が点になる。

 その中に詩織先輩がいたからだ。どうやら本殿の裏に回っていたようだ。

 しかし何故? 困惑に頭がしおれていく時、眼鏡の学生が腰に手をやりシニカルな笑みを浮かべて俺に言った。

「入らないか、野宿部に」

「隊長、怪しい奴に勧誘とは解せませんぞ。学園のアイドルたる詩織嬢をつけてきた曲者に神聖なる野宿部を」

「クラムボン、拡声器で喋るな、僕は目の前にいる」

「これは失敬……では改めて諫言をば」

「君は新入生の塩崎くんだろう」

 黄色い拡声器を持つクラムボンと呼ばれた彼を無視して、眼鏡の人は俺を名指しした。少なくとも会ったことはないはずだ。

「ほら、全校集会の時にアナウンスで呼ばれていたじゃないか」

 疑問はすぐに解けた。恥ずかしい。給食費のことで担任に詰問されたのだ。でも、いったい野宿部って。

「疑問はもっとも、でも人生とは観念じゃダメだ人は行動して初めて価値を獲得する。そんな顔をしなくても取って喰いはしないさ。レクチャーは詩織に頼もうと考えている」

 詩織先輩と部活動……良い、すごく良い。けど、すごく胡散臭い。

「僕は部長の湯江矢修司だ。背の高い彼女が守山燎子、副部長をしている。背の小さい彼が室田靖、警備担当だ」

「部長、背の小さいってもっと良い紹介あるでしょう」

「室田は詩織が好きなの、ウケるよなあ」

「テメェ燎子、純愛をバカにするな」

「うるさい申年の猿顔、野獣が美女になびくな」

「男女に言われたくねぇよ、お前こそ婿の貰い手無いくせに」

「で、彼がクラムボン。調査兵だ」

 俺は目の前の展開についていけなかった。

「あの……詩織先輩は」

「私はマネージャーよ。よろしく塩崎くん」

 うん。まあなんだ、入ろう。

「塩崎育人です、よろしくお願いします」

「曲者を入れるのはどうかと」

「だから、拡声器で喋るなクラムボン」

 野宿部に入ることにした帰路。なんだか面倒なことになってしまったと後悔していた。何しろあの面子である。詩織先輩以外は変人ばかり。

 ため息と共にアパートの鍵を取り出す。錆びた色褪せた鍵。

 軋んだ音と共に静寂がやって来る。

 いつものルーティーン。

 おやつも出ない侘しい家だ。

 それでも一応おざなりに「ただいま」と言ってみる。

 相変わらず軋んだ音が耳に入ってくる。

 何だろう。

 ガラス障子を開けるとスラックスと穴の空いた靴下が目に入った。

 徐々に目線を上に上げると、ビニール紐で首を吊った親父がそこにいた。

 声も出なかった。動けもしなかった。

 小一時間経ってやっと出たのは救急車、という、か細い一言だった。

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