ポッと出の王子様編

 今日は朝から村が騒がしい。森の近くにある辺鄙な村がここまでざわつくのは、自分が子供の頃に王都の偉い人が視察に訪れたあの一件以来だろうかと村人の一人、ジョエルは思う。そんなジョエルに数人の村人が興奮したように話しかけてきた。


「おいジョエル、聞いたか? 神殿への道を聖女様ご一行が通るんだとさ!」

「運が良ければ聖女様が見られるかもな。今代のは相当な美女って話だ。いっぺん見てみたかったんだ」


 この村は取り立てて自慢するようなものもない田舎の村だが、強いて言うならこの世界の四方に鎮座されている精霊達――土の精霊ノームの神殿に通じる道が近くにあるのが強みだろうか。女神に次いで崇められる精霊達はその神殿を巡礼する人間も多く、この辺鄙な村にも宿屋が数軒あるほどだ。

 そして女神は定期的にその力を弱めて眠りにつく。それを四方の精霊たちの力を借りて起こすのが別世界から来たという聖女という訳だ。だから聖女は女神、精霊の次にこの世界で崇められる。村人達が興奮して見に行きたがるのも無理はないことだった。

 が、正直に言うとジョエルはあまり聖女に興味は無かった。というのも、ジョエルは今年十八になったばかり。そして身寄りがない。女のことで浮かれるくらいなら森に狩猟に行って今日の食い扶持を狩っていたい。

「聖女かあ。そうだな。俺も見に行こうかな。男なら美女と聞いて黙ってられないもんな」

 それでも本心とは反対のことを言わねばならないのは、亡くなった両親は元はよそ者で、ジョエルはこの村から少し浮いた存在だった。こうしてまめに交流しておかないと、何かあった時に助けを得られないかもしれなかった。身寄りのない身でそれは避けたい。



 舗装された道に行けば聖女はすぐ見つかった。確か今代の聖女は三人の男の護衛と、一人の女の侍女を連れて旅をしているらしい。

 ぱからぱからと馬の蹄の音を響かせてやってきたのは、立派な白毛の馬に一際豪華な衣服を身にまとった男の腕に抱かれている聖女様ご一行だった。確か王族の一人が護衛するっていうのは昔から決まっているみたいだから、あれが王子様なんだろう。となると腕に抱かれている美少女が聖女、ということなのだろう。

 ジョエルは「へえ、これが聖女様の聖なる旅なのか。案外質素なんだな」 と納得して適当なところで村に帰ろうとしたが、後から徒歩でやってくる少女を見てぎょっとした。

 見るからにやつれてボロボロな少女。近くに来ると分かるすえた臭い。

「何だあの女。物乞いか?」

「……他に女がいないし、もしかしてあれが聖女の侍女なんじゃないか?」

 同郷の男達がそう言うのを聞いて、そういえば聖女ご一行には、女が聖女一人ということで不便をなさらないように女性が必ず同行する、という決まりがあったはずだ。ということは、あれが侍女? 聖女ご一行の一人?


「いやいや、聖女のおこぼれ狙おうっていう罰当たりな乞食だろ。だっていくらなんでもなあ……」

「そう……だよな。あんな汚いのが聖女の侍女なわけないよな。ったく、世界を救うために旅をしている聖女の金魚の糞とか迷惑なやつ!」


 そう言って村人の一人は汚い少女に石を投げた。

 石は汚い少女の腕にしたたかに当たったようだった。が、少女は一瞬ふらついたあと、投げた人間を気にするでもなく聖女達を見失わないように必死で歩く。

「おい!」

 気がつくとジョエルは石を投げた村人に怒鳴っていた。

「な、何だよジョエル。いきなり」

 ジョエルは怒鳴ってから、これで怒るのは自分が不利だと気づいて慌てて誤魔化した。

「……まだ近くに聖女様がいらっしゃるのに石を投げるなんて不敬だ。間違って当たったらどうするんだ」

「あー、まあ確かにそうだな。気をつけるよ」

 ちょっと気まずい空気が流れたあと、先を行く聖女達を見ると、どうやら自分達の村に向かっているらしかった。

「もしかしてうちの村に泊まるのか?」

「おっ、それなら村をあげて歓待しなくちゃな! 聖女が泊まった宿屋は向こう十年は自慢になるからな!」

 ジョエルはそれを聞いて適当な愛想笑いを浮かべる。

 聖女? 自慢?

 すぐ後ろをあんなボロボロの少女が歩いているのに、顔の良い男と馬上でひたすらいちゃついているのが聖女というなら、こんな世界は滅んだほうがいいんじゃないかと自分は思うが。

 そんな男達の横を、乞食風の少女がよたよたと聖女一行の後を追って歩いていく。その見るからに孤独そうで金も身寄りもないといった感じの少女に、ジョエルはどうしようもなく共感を覚えた。


 その夜、聖女達はジョエルの村に泊まった。そしてあのボロボロ少女は結局聖女の侍女だったらしい。

「後から汚い子が来るんですけど、あの子はちっとも気が利かなくて困った子なんです。普通の扱いなんてしなくていいので、馬小屋にでも寝かせてください」

 村の男衆は美女である聖女セレスティアに鼻の下を伸ばしながら「聖女様がそう仰るならそうなんでしょう。馬小屋なんて贅沢な。橋の下にでも寝かせましょう」 と媚びに媚びていた。女衆は「でも成人していない少女にそれは……けど聖女に逆らってこの村に何かあったら……」 と疑問を持ちながらも結局はその通りにした。


 ジョエルの胸は酷く痛んだ。

 理由は分からないが亡くなったジョエルの両親は切羽詰まった様子でこの村を訪れ、村の隅にほったて小屋を作って住み始めたらしい。どう見ても訳有りな様子で、二人は村八分といかないまでも村人たちから避けられていた。それでもジョエルが生まれると子供に罪はないから、と色々大目に見てもらえるようにはなったが。どうも元はそこそこの生まれだったらしく、綺麗な手をした二人は慣れない畑仕事や質素な食事に耐えられずジョエルが生まれて数年で亡くなったと聞く。ジョエルはそれから十五になるまで、村の家にたらい回しにされながら生きてきた。どこに行っても迷惑そうにされた。生きているだけマシなんだろうけれど。

 居場所がないと思い知らされることはつらかろう。両親のこともあり、ジョエルは聖女の侍女に同情していた。



 夜も更けた頃、ジョエルは鶏肉と茹でた卵を持って橋の下の侍女を訪れた。

 侍女はその辺の石を枕に地面に直接横になっていた。村で一番底辺と言えるジョエルでさえこんな惨めな生活はしていない。

「あの、侍女さん……ですよね? 起きてますか?」

 ジョエルがそう尋ねると、侍女はゆるゆると頭をあげた。

「……どなたでしょうか」

 髪も肌も着ている物もボロボロ。とてもまともな扱いを受けているとは思えない。

「あの、この村に住むジョエルと言います。もしかして何も食べてないんじゃないかと思ってこれを……」

「え、でも……」

 その時、ぐう、と侍女の腹が盛大に鳴った。侍女は顔を赤くしてうつむく。

「貴方に食べて貰えなかったら、食材が無駄になってしまいます。食べてもらえませんか?」

 ジョエルがそう言うと、侍女はおずおずと枯れ木みたいな手を伸ばして食べ物に触った。くん、とまだ温かい匂いを嗅いだら我慢が出来なかったらしく、むさぼるように食べ始めた。……まともに食事も与えられていないのだろうか? 聖女の侍女ともあろう人が?

 食べ終わると、聖女はこらえきれずに泣き出した。

「ご、ごめんなさい。みっともなくて」

 その様子があまりに哀れで、ジョエルは一体彼女にどんな事情があるのか気になって仕方なくなった。

「……いや、それはいいけど。でも一体君は何をして聖女達からこんな扱いを受けているの?」

「駄目な子だからです。私が全然力がないから皆も呆れて……」

「駄目って、具体的に何が駄目なの?」

「私……聖女なのに何の力もないんです。精霊さんもきっと先代聖女に遠慮して力を貸してくれたんではないでしょうか」


 ジョエルは一瞬混乱した。

 目の前の少女が言うことが本当なら、この少女こそ本物の聖女ということになる。けれど今現在周囲から聖女と思われているのは別人だ。護衛連中までそうであるかのように振る舞っている。常識的に考えてそれは有り得ない。聖女は世界を救う存在だ。そんな存在を冷遇する馬鹿が護衛になれるか? 普通に考えれば目の前の少女が虚言癖だからこうして距離を置かれているのだろうと考えられるが……。だが、ジョエルはリアリストだ。自分の目で見たものを信じる。世界を救う聖女が侍女を気に入らないからと冷遇する。そんな人間が聖女と言われてはいそうですと思えるだろうか? 侍女を変えればいいだけなのにどうして同行させたまま酷い目に合わせ続けるのだ? ジョエルの目には聖女のほうに問題があるように見えた。

 ともかく、目の前の少女から話を聞きだす必要がある。今の情報量では足りない。


「聖女ってことは、君は……ええと」

「ラナです。毛利ラナ……あ、名前がラナです」

「ラナだね。うん。君は異世界から来たの?」

「はい。異世界の、日本というところから」

「どうやって召喚されたの?」

「気がついたら王宮の奥で、貴方は女神様を起こすために呼ばれたのですと言われて……」

「同行者達は最初から冷たかったの?」

「いいえ。王都を出て、しばらくするまでは優しかったんです。皆かっこいいから、女性向けラノベのヒロインみたいだなって私も浮かれて……それがきっといけなかったんでしょう。聖女だからと思い上がるなと、聖女というのはセレスティアさんみたいな人のことを言うのだと怒られて」


 ジョエルには理解できない単語が出てきたが、逆にそれが異世界人であるということに真実味を与えている。そして何より、目の前の少女の頑張っても人並み程度の容姿。あのセレスティアという女性の輝くような美貌。

 顔に騙される男がいてもおかしくないように思えた。現に、村の男連中はセレスティアの言う通りに子供みたいな女の子が外で寝るのに大賛成していたし。


「……大変だったね」

 事実はどうあれ、ラナが虐待されていると言われてもすぐ信じられるような容貌なのは分かりきったこと。ジョエルはラナを労わった。

「え、でも、あの、大変なのは私が至らないからで」

「そんなこと言うなよ。至らなかったら何だ? 馬鹿にしていいのか? 飯抜きにしても許されるのか? 女の子をよってたかって苛めていいとでも? 違うだろう。そんなことをするほうが非道だ。君の話が本当なら、君は不当な待遇を受けているんだ。怒っていいんだよ」

 ラナはしばし茫然としたあと、目からポロポロを大粒の涙を流した。

「あ、ごめ、ごめんなさい。泣くつもりはなくて」

「泣いていいんだよ。つらかったんだろ?」

「私、私……っ」

 

 最初は寄る辺が無い境遇への共感。次に周りの人間に疎外されることへの同情。そして最後にラナが本物の聖女だとしたら、いいや、そうでなくとも、こんな扱いを受けている少女を見てこのままにしておけないという使命感がジョエルを突き動かした。

 ジョエルは近くの泉でラナに水浴びをさせて綺麗にし、母の形見の衣服をまとわせ、家にある今まで溜めた金を全て持ち出し、ラナを連れて村を出た。ラナが単なる虚言癖の偽者だとしたら世界への反逆と罰せられそうだが、一人の少女をよってたかってこんな目に合わせるのを正義とする世界ならそれこそくそくらえだ。それに本物かどうかはすぐに分かること。何せノームの神殿はすぐそこなのだから。


 夜が明ける前にノームの神殿に着いた。精霊の神殿にいたずらをする不届き者はいないので入り放題なのが助かった。

 ラナを連れていくと、神殿の奥がキラキラと光り、人型を取ったノームが現れた。

『聖女……? どうして今代は従者が一人しかいないのだ?』

 確定した。ラナこそ本物であると。そして確定したからにはジョエルには言いたいことが山ほどあった。

「ノーム……様。どうしてなんてこっちが聞きたい! 聖女は全ての人間から敬われる存在じゃなかったのか? このラナって子は、今の今まで冷遇されてたんだぞ! 食うものも着るものも不自由してたんだ! 味方なんかいやしない! これが世界を救う聖女が受けるべき扱いなのか!?」

 息を切らして言うジョエル。その地から動けないまでも世界を見通す魔力を備えたノームは全てを察した。

『なるほど。裏切者がいるのだな』

「それならあのセレスティアって女だろうよ。ラナに対する扱いは全部あの女が決めてたようで、他の男三人はそれに追従するだけだったからな」

『女神が復活したらよくよく言って聞かせよう。お前の名は?』

 ジョエルは少し戸惑った。何の罪も犯していない自分だけれど、それでも決して誇れるような身分ではないことは自覚していた。しかし後ろで震えるラナのためにも自分がしっかりしなくてはならない。

「ジョエル……。ただのジョエルだ。平民の中でも底辺で、名字もない」

『卑屈になる必要はない。お前こそ聖女の真の従者。私もわずかながら力を貸そう。お前に悪意を持つ者からお前が見えなくなる魔法だ。どうかその力で、聖女を一刻も早く他の精霊達のもとへ連れていき魔力をこの地に馴染ませ、女神を復活させてくれ』

 女神が眠りにつくと精霊達も力が弱まる。それでも力を貸してくれるというのは相当頼りにされているのだろう。精霊は決まった場所から動けない。今ラナを助けられるのはジョエルだけ。ジョエルは神殿を出て、動きをとめ立ち止まる。


 精霊から直接力を借り受ける――。そんな偉業が出来るのはお伽噺のヒーローだけかと思っていた。今の今まで周りの顔色をうかがって生きてきた。食べるものも着るものも、不自由こそしないけどずっと人並み以下で。それなのにそんな自分が精霊様から聖女の従者とお声がけしていただいて、そのうえ力まで借り与えられた。ジョエルの胸にじーんと喜びや誇らしさが溢れる。

「あの……」

 感動でしばし気を飛ばしていたジョエルだが、ラナに呼ばれて慌てて我に返る。

「どうしたの? あ、いやどうしましたか?」

「あ、いいんです。話しやすいように話してください。そのほうが私も楽なので」

「じゃあ有り難く……それでラナ。何か問題でも?」

「いいえ。問題なんて。ただ、私が聖女って本当、なんですね」


 ラナは自信なさげにうつむいた。精霊が嘘をつく訳がないのにそんなことを思うなんて……いや、そう思うくらい自分が間違っているのだと延々と言われ続けたのだろう。矜持を根本からボコボコに折られたのだろう。ジョエルは偽者一行に腹が立ちつつも、ラナに貴方こそ本物であると言い続ける。その傷ついた心に届くように。


「精霊にも明言されたのに、まだ疑っているの?」

「……同情されてそう話を合わせてくれるのかな、って思ったり……」

「精霊がそんな無駄なことするもんか。それより、先を急ごう。あの偽者聖女に追いつかれたらやっかいだ」

「ジョエルさんは、どうして私にそこまでしてくれるんですか?」

「どうしてって、それは……」

 同情? 憐み? 正義感? 色々思いついたが、ジョエルの胸の中にある一番大きな感情はこう言っている。

「貴方を守りたいって思ったんだ。それでは理由にならない?」

 ラナは目をぱちくりさせたあと、微かに頬を染めた。その様子を見たジョエルも何故か照れた。そして二人はどちらからともなく手を繋ぎ、次の目的地に歩いて行った。ラナは口にはしなかったが、生まれて初めてここまで人に親身にされて、もう死んでもいいとすら思っていた。――流石に聖女として無責任すぎるので選択はしなかったが。

 


 次に火の精霊サラマンダーの所に行くと、彼もまたラナの扱いに憤ってくれて、石を高温で熱して美しい鉱石をいくつかジョエルに渡し、旅費にするといいと言ってくれた。有り難いことだった。

 水の精霊とは既に力の受け渡しが終わっていたので、最後に風の精霊シルフのところに行く。

『なんと酷いことを……。今代の護衛達の行動は前代未聞です』

 美しい女性の形で現れたシルフもまた怒ってくれた。そうすると虐待子特有の「自分が悪い」 という思想に縛られていたラナも徐々に自意識を回復していく。

「怖かった。でも元の世界でもここでも一人だったから、せめて彼らに見捨てられたくないって思って、ずっといいなりになってた……」

 シルフは優しく慰める。

『可哀想に。よく頑張ったわね』

「シルフ様……」

『さて、あとは女神を起こすだけね。私は風の精霊。移動を司るもの。少しの間だったらここから離れても大丈夫でしょう。何より、ラナとジョエルの二人で王都の門がくぐれるとは思えません。今すぐ王都へ行き、女神を復活させますよ』



 さて、ラナがいなくなったあとのセレスティア一行だが、朝になったらラナがいなくて男達は少し焦った。

「どうせ行き場がないんだもの。ちょっとした家出でしょ? 少しすれば戻るわよ」

 セレスティアがそう断言するものだから男達は――クレマンを筆頭に従った。小さい頃から聖女に仕えさせるための生活――いわば世界を救う聖女への贈り物として生きていたので、彼らは女に免疫がなかった。そこをセレスティアに言い様にされてしまった。間近に見る女性の甘い声、艶っぽい吐息、潤んだ瞳。それらにすっかり骨抜きになり、彼らの意思は彼らのもとにあるのではなく、セレスティアのもとにあるかのようだった。

 しかし何日経ってもラナは戻らない。そして何日もいると村人からも「いつまでここにいるんだ」 という空気が漏れてくる。聖女に不便をさせる訳にいかないから聖女のいる間は仕事より聖女の歓待を優先させる。長居されると赤字なのだ。何よりここに居るのは聖女の使命を果たしていないという証明でしかないので、いればいるだけ反感を買う。

「もしかして先にノームの神殿に行ったのでは……」

 そう言ったのはファブリスだった。セレスティアもラナは一人だけ徒歩だったし遅れまいと先に行っても不思議はないなと思って村を出てノームの神殿に向かう。


『この愚か者どもが!』


 ノームの神殿に入るなり出迎えたのは怒号と地震だった。訳も分からずあっけにとられる一行だったが、セレスティアだけは事の重大さを分かっていた。

 精霊に先に会ってチクッたな。そんな知恵も浮かばないほど根性を叩きのめしてやったはずなのに。誰だ、誰が入れ知恵しやがった!

 怒りに任せて村に戻り誰か侍女に会った人間はいないかと問いただすと「そういえばジョエルを最近見てないな」 と言われた。腹いせにその親族を罰してやろうとしたら「あいつは元々よそ者だよ。親族なんていないよ」 とのこと。

 怒りで目の前が真っ赤になるほどなのに、何も知らない護衛の男達は「ここに戻ってくるなんてこの村が気に入ったの? セレスティアは素朴な雰囲気も似合うからね」 ととんちんかんなことしか言わない。

 馬鹿どもが。大嫌いな女神に一泡ふかせる前に自分が断罪されかねないんだよ! そもそも私は聖女じゃないの知ってるだろ!

 そう叫べたらどれほど楽か。ともかく上手く言いくるめてラナを追う必要があった。今度こそよく躾てやらねば。だが村人達はいまいち協力的でないし、護衛達は今までゆっくり旅してたのにいきなり何? と困惑しているし。完全に後手に回っていた。

 そして行く先々で精霊に怒鳴られた。チヤホヤしてくれた男達もさすがに怪しんでセレスティアに問いただす。

「俺達って間違ってないんだよな? 自分が選ばれし者って調子に乗った異世界人をちょっと懲らしめてやっただけなんだよな?」

 バカは死ななきゃ治らないのかとセレスティアは溜息で返した。不機嫌なのを察して男達は黙り込む。

 それからは王都に戻るまで誰もラナのこと、聖女のことを話そうとしなかった。そうすれば現実を見てしまうからだ。



 王都の女神復活の間に風の精霊が現れた。聖女のラナと見知らぬ護衛一人を連れて。

 王と王妃は謹んで精霊を迎え入れた。そしてシルフから事の次第を聞く。

『とんでもない人選を聖女の護衛にしたものですね。彼らは揃って聖女を冷遇したのですよ。その様子を見ていた正義感の強い少年だけがラナを助けてくれました』

 聖女召喚は既に何百回と行われており、今まで何も問題がなかった。それゆえに気が緩んでしまっていたと言われれば反論も出来ない。

 その後は宰相マルセルの指示で速やかに女神復活の儀が行われた。

 本物の聖女はラナなので問題なく女神は眠りから覚め――事情を知らされた。

 女神は激しい怒りを冷遇四人に覚えたが、さりとてその四人も大事な我が子。自分の世界に産まれた人間。そして聖女に相応しい身分や財力を持つ者。聖女が生まれた世界で決して幸せになれない代わりに彼らによって幸せになってもらうはずだった。そのための人選だったのだから。手違いで一人危険な人間が混じったようではあるが。

 念のために女神はラナに確認する。

『どうも彼らはセレスティアという子に騙されていたみたいだけど……。きっとこの先怒られて反省するでしょうね。そして貴方に許されたいと思うかもしれない。そうしたら貴方はどうする? ラナ』

「謝ってくれるならそうしてほしい。誰が悪いのかはっきりさせておきたいから。けど謝罪を受け入れることと許す許さないことは別問題です」

 ジョエルや精霊達が怒ってくれるのを見て学ぶものがあったのだろう。ラナは彼らを否定した。そして女神は悩む。


 旅の護衛は選ばれた者だけがなれる。そして聖女に尽くすように言われる。聖女の魂はもとはこちらの世界の存在なため、異世界の地球とやらに産まれ落ちると周りは本能的に拒絶したくなるのだ。そしてそこそこ育った頃にここに呼び戻す。大抵自信の無い子に育っているから、イケメンによって慰められこの世界に情を持って、それで異世界の身体が持つ無尽蔵な魔力で女神を起こして世界は救われ、一緒に旅をした仲間の誰かと結ばれハッピーエンド、なはずだったのだ。

 セレスティアのやったことは下手すればこの世界が滅ぶことだ。許す訳にはいかない。そして追従した三人の男。これが一番の問題だ。

 聖女の護衛は顔や財力や武力や知力が抜きんでた男が選ばれる。どんな女性でも好きになってしまうような男でないと傷ついた聖女が世界を救おうなんて気になれないだろう。

 騙されていた男達に過剰な罰はしたくないが、聖女本人が彼らを嫌っている。罰を与えられなかったなら手の平を返して聖女に言い寄るのは目に見えていた。この世界で聖女を冷遇したなんて身分や地位がなければ死刑だ。この先結婚も望めないだろう。プライドだけは高い彼らは余計必死になる。

 ふと、女神はジョエルを見た。ラナによると、彼のお陰でラナは目が覚めてやっと人並みの生活になれたらしい。そう言うラナの瞳は輝き、その手はしっかりとジョエルの手を握っている。

 そしてジョエルも「大したことなんかしていない。人間として当たり前のことをしただけだ」 と言いつつ、ラナがこれからどうなるのか心配らしくラナがもう大丈夫と思えるまでは王宮にラナの従者として留まらせてくれと言っている。ただの従者というには、聖女として王宮に君臨するラナに近づくマルセルやエクトルみたいな男達を片っ端から牽制している。

 女神はふとマルセルを見て、そう言えば彼は戸籍を司る省にいたなと思う。



 ある日、ジョエルは王子になった。

 しばらくラナの傍にいて従者として世話を焼いていたのだが、突然王がやってきて「貴方の父は先々代の王の長男だった。つまり正当な王位継承者だ」 と言って頭を下げるではないか。

 そんなはずはない、と否定はできなかった。両親は流れ者で訳有り。そして今の王は先々代の王の次男の系譜にあたる。王家は長男相続が基本。そして先々代の王の時に母が公爵家令嬢の長男と母が王女の次男を支持する勢力の間で争いがあり、長男が行方不明になるという事件が実際にあった。もし暗殺から必死に逃げたのが両親だったとしたら……。

「実は、我が父が一度長男の王子が生きているのでは、と疑い君の住んでいた村に使いを送ったことがある。だが村全体が閉鎖的で調べるのが困難であり、やっと夫妻はとっくに死んでいると分かってそれで終わったことにしたらしい。調査が杜撰で良かった。そうでなければ君は生きていないかもしれなかった」

 小さい頃一度だけ来た王都の使者……。

 よそ者のお前は見苦しいから表に出るなと家畜小屋に押し込められていた日だ。家畜の世話をしながら、滅多に来ない王都からの客相手に賑やかそうな村の声を聞いていたあの日。

 もしかしたら村の人達は何かを察して隠してくれていたのでは? 家々をたらい回しにされていたのは居場所を一か所に留めさせないためでは? 十五になってから掘っ立て小屋を与えられて森で狩猟をして生きる暮らしを強いられたのは、追っ手が来てもすぐ逃げられる生活をさせるためだったら?

 そう思ったジョエルは、もし村に戻る機会があったら、どんな形であっても故郷なのだから何か恩返しはすべきだなとぼんやり思った。

 


 ジョエルが王子と認められたその頃にはセレスティアは罰され、クレマン達も王都に戻っていたが、クレマン達は反省どころか平民出身のジョエルの足もとを見て、いくら聖女を助けたからといっても平民ごときが調子に乗るなとケチをつけまくってきた。ドミニクという男も騎士団長権限で「武術のぶの字も知らない人間が聖女の護衛を気取るなど恥を知れ」 と騎士仲間を引き連れて言ってくるし、ファブリスもラナには何かと入用なものを用意するのだがジェエルは無視だ。当のラナはファブリスの寄越した物を使うつもりはないようだし、それどころか養子候補のエクトルと仲がいい。ジョエルにしてみればあのエクトルという男もマルセルという男も聖女にやけに馴れ馴れしくするから嫌いだが。とは言っても文句を言える立場ではないとずっと堪えていた。

 だがそれがひっくり返った。王位には興味はないが、ラナを守れるなら何だって使いたかった。

「しょせん、傍流だから聖女への扱いもああなるんだな」

 正式に王太子として認められた。聖女を唯一守った人間として民衆の絶大な支持もある。王宮の片隅で縮こまって生きているクレマンにそうすれ違いざまに呟いてやった。顔は見られなかったがいい気分だ。

 騎士団長のドミニクもジョエルが平民だからこそ貴族の三男以下が多い騎士仲間に「あんなやつが聖女の護衛で納得できるか?」 と言って共感してもらえてたのに、今じゃその罵倒されていた男が正真正銘の王子なものだから、王子を罵倒しまくった男として騎士仲間から距離を置かれている。

 大商人ファブリスは貴族ではないから目に見える罰はないように思えるが、貴族には何をした人間か知れ渡っている。早々に養子のエクトルが次の当主になるだろう。

 あと聖女に無体を働いた人間はただ一人。


 ジョエルは地下牢へ続く階段を下りてセレスティアに会いに行った。

日のあたらない場所に軟禁されて自慢の美貌も衰えたようだった。もっとも、一時期のラナほどではないが。

 こいつのことは大嫌いだが、ラナがあんな女性といえども死んだら後味が悪いと言う。

 牢の鍵を開け、金貨袋をその足元に投げつける。

「それで好きに生きていけ。数年は持つだろ」

「……あの子のお情け?」

「まあな。誰が見ても処刑が妥当のお前を庇うなんて、聖女はお人好しでないと務まらないんだろうな」

「……本当ね。あの子とは……話せないの?」

「は? 俺がそれを許すと思うか? 分際を弁えろ」


 それを聞いたセレスティアは金貨袋を持って城の出口まで歩いた。それを見送るジョエルだったが、セレスティアが外に出て数歩歩いたところで、突然金貨袋をジョエル目がけて投げつけた。


「金なんかいらない。私の人生に貴族の施しも女神の加護もいらない。私という人間が生きていたことが全てよ」


 そう言ったあとに走り去ったセレスティアが何を言いたかったのかジョエルにはさっぱり分からなかったが、その数日後、雑木林で彼女が首をくくって死んでいるのが発見され、理由は分からないが彼女なりに目的があったのだろうとは思った。それでも馬鹿だとは思うが。ジョエルとしてはただただラナの好意を無にした愚か者にしか見えない。本来ならラナに報告するべきなんだろうが……こんな話はラナには聞かせられないな。表向き処刑されたということになっているが、金を渡して逃亡させたと言えばいい。どうせ二度と会わない二人だったんだ。

 ……ああ、王太子教育だの冷遇問題の事後処理だの疲れた。ラナに会いたい。




「ジョエル!」


 部屋に戻るとラナが待っていた。顔を見るなり飛びついてくる。

「こら、危ないだろ」

「えへへ、ごめん。でもジョエルは私の運命だもの。片時も離れていたくないな。考えてみればすごいロマンチックだよね。唯一助けてくれた人が実は本当の王子様って」

 ジョエルは口元だけで笑った。

 自分が王子だなんて信じていない。

 そうでなければラナを守れないと判断した女神が色々したんじゃないか。じゃなきゃ凄い偶然だ。

 言ってみればズルなのかもしれないが、誰にもそれを批判させる気はない。

 あの村で死んだように生きていた自分を、ラナが生き返らせたからこうしているんだ。ジョエルはそう信じていた。



 遠い山奥の村で、アメリーという少女が新聞で読んだ美談に酔いしれていた。

『毒婦、聖女を虐待』

 そんな見出しで飛び込んで来たのは、世界を救う聖女を守るべき人達が逆に冷遇したという話題だった。

『毒婦はセレスティアという名で、侯爵家の娘を名乗ってはいたが当主はこれを否定。本来の聖女の侍女になるはずだった娘が死んだ時に押しかけてきた女だと説明。愛娘の死に混乱していたのもありつい受け入れてしまったという。権力を手に入れたセレスティアは未来の聖女の護衛達に近づきこれを篭絡。洗脳して聖女を虐待するように仕向けた』

 酷い話だ。葬式の時に故人に借金があったとか言って詐欺を働く人は多いというが、人が弱ってる時にそんな真似をする人間は地獄に落ちればいい。

『聖女冷遇の理由としては女の嫉妬だと思われる。聖女は使命を果たすことと引き換えに最上の生活を約束されるが、この毒婦は聖女というだけで幸せが約束されているのだと思い込み聖女を苛め抜いた』

 アメリーはドン引きした。そりゃ異世界からやってきたのに上流階級と結婚が約束されているって羨ましいけど、それは世界を救うからって子供でも知ってるのに。元々詐欺師だったみたいだし、犯罪するような人間なんだからろくな教育受けてなかったんだろうな。

『女神が眠りにつき世界自体が弱っている時期でもあるから旅はいつも質素なものであったが、今回はそれが裏目に出た形だ。人の目がなくなるや彼らは聖女を冷遇し……』

 ひとごとながら腹が立つ。一人きりで異世界に来てそんな扱い受けて……聖女が今は救われていますようにと祈らずにいられない。

『だが奇跡が起きた。ノームの神殿近くの村にいた少年が、実は正統な王子であった。その証拠に彼は当時頼りない身の上だったにも関わらず聖女を助けんと村を飛び出し精霊を説得。この崇高な精神はまさに真の王族であろう』

 話ができすぎではないかと思わなくもないが、そうでなかったら聖女が助かっていないかもと聞くとそういうこともあるのだろうという気分になってしまう。

『精霊達も女神も少年ジョエルの健闘を称え、次期王に指名。王妃はもちろん聖女ラナ。我々の未来は明るい』

 いささか大げさなくらいの表現だが、二人の恋愛話はそれくらいでちょうどいいのかもしれない。聖女が救われてホッとしたアメリーだが、それはそうと冷遇したバカどもはどうしたのだと関連記事を読み漁る。

『セレスティアは聖女と女神の強い希望により即日処刑。残る護衛というのもおこがましい者達は生涯軟禁の身となった』

 罰があたったのだと聞いてアメリーはほっとした。昔話でよく聞く優しいお婆さんと意地悪なお婆さんが出てくるような話は、意地悪お婆さんが不幸せになってこそ読んだという気持ちになるものだから。

 アメリーはもう一度聖女が冷遇されてから助けられるまでのことを書いた記事を読み直す。

 ああなんて瑕疵のない完璧なラブストーリーだろう!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冷遇された聖女の結末 菜花 @rikuto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ