「私は探索者を引退します」

 マコトという探索者は、見た目は怜悧れいりな印象だが、しばらく接すれば豪放磊落ごうほうらいらくという言葉が似合う女性だと気付く。


 艶やかに見えた長い黒髪も、あちこちハネ放題で今は鎧も着けていないので、重ね着になっている服も実にだらしない。

 そして傍らには、ソリの入った長剣である。


 ハタモトの三男坊――などとマコトは言うわけだが、当然通じるはずが無い。

 今はどこから持ってきたのか、背もたれの無い椅子スツールにどっかと腰を下ろしていた。


 カリトゥはその後ろに立って、懸命にマコトの髪をくしけずっている。実に幸せそうな表情で。


 かつてのアトマイアの風景がそこにあった。


「マコトさん。ちゃんと手入れするって約束でしたよね」

「そう言わないでよ、カリトゥ。私がだらしないの知ってるでしょ?」


 そんなやり取りも、傍から見てれば……と言う奴である。


 そのマコトが、何故改めてアトマイアにやって来たのか。

 理由をのはワルヤであった。


「引退するなら引退するで、持ってる情報置いて行けよ。カリトゥが苦労してるぞ」


 という理屈をひっさげて、マコトが隠棲しているテンペンタを訪れたわけだ。実際は、マコトを説教しに行った、という辺りが本当のようだが。


 引退するにしても、マコトはあまりにもいさぎよすぎた。

 なかば自棄になったように、マコトはアトマイアから消えてしまったのだから。


 ……事情を知ってみれば、確かにマコトの心境もうかがえる。


「ああ、アルジュンだね。話は聞いたよ。ずっと気になっていた所をやってくれてるみたいで助かるよ。大迷宮に行くまでの道は、いつかちゃんとしないといけないと思ってたのよね。地図ある? ああ、スバスの店から持ってくれば良いよ。私が必要だと言ってるんだ。なんの問題も無い。その地図に色々書き込んで伝えたい事があるんだ」


 マコトは“立て板に水”で話し続けた。

 その間に、アルジュンを始めとして、とにかく褒めて褒め倒す。


 そうやって、マコトのペースに巻き込まれているうちに、アトマイアと大迷宮間の地図がどんどん充実してゆく。

 長年、通い続けたマコトの知識だ。地図に情報が書き込まれる度に取り巻いていた探索者たちから声が上がった。


 だがマコトは、そんな声に首を横に振る。


「アルジュンたちが見つけた場所の方が貴重だよ。最近はカゲンドラの後始末もしてくれているそうだね」

「それはカリトゥさんが忠告してくれたからですよ。それが無ければ……」


 そんな風にかしこまるアルジュン。それにマコトは胸を張って、


「どう? カリトゥはすごいでしょ?」


 と逆に自慢する。


 途端に、赤く染まるカリトゥ。

 それで萎縮しかかっていた、その場の空気がずいぶん和らいだものになった。


 やはりマコトはマコトだ。


「それはともかく、どこかに入らないか? ずいぶん暗くなったぞ」

「デニスさん。この人数で押しかけたら、どの店でも無理だよ。もうかがり火たいて、外でやってしまおう。お祭りみたいで良いと思わない?」


 デニスのもっともな忠告に、思い付きだけで返すマコト。それに顔をしかめ戸惑うデニス。


「や、やるって、何を?」

「私への質問。大迷宮絡みなら何でも答えるよ。口を滑らかにするため、お酒も欲しいところよね。バビタを連れてきてくれない? あの姉さんの作るカクテルは美味しいから。……ああ、本当にお祭りみたいだね。でも、?」


 それはマコトが無茶をやるときの、いつもの台詞だ。

 

 ――そして再び、広場に笑いが満ちた。


                ▼


 そこからは本当のお祭り騒ぎになった。

 マコトへの質問が唯一にして、最大の出し物イベントだ。


 もともと魔術にけた者が沢山いるアトマイアである。その気になってしまえば、夜を昼と見紛みまごうほど明るくする事も出来るし、徹夜などまったく問題にならない体力の持ち主ばかりである。


 お行儀のよろしくない者も出てくるが最高位ハイエンドが揃っているのだ。それが良い具合に、探索者たちに“つつしみ”をわきまえさせていた。


 それに最高位ハイエンドだけではなく、ミランを始めとして強者はみずからの役割を理解している。


「く、くそう……」

「ミランさん。あなたは力を抑える事が癖になりすぎてるんですよ」


 ……何事にも例外というものはあったが。


 今はミランがマコトに挑戦しようとしたところを、カリトゥが、


「マコトさんと戦いたいなら、まず私から」


 方式で、あしらっていたところだ。

 その対決を、マコトとワルヤが並んで座り、見物しながら酒をみ交わしていた。もうカクテルも何も無い、ちゃんぽん状態である。


 マコトへの質問も一段落し、今はただただお祭り騒ぎ。

 それを見守る、マコトたちといった風情だが――


「あ、そうだマコト。俺とカリトゥな。大迷宮を抜けたぞ」


 突然、ワルヤが告白した。

 本来なら、もっと早く――いや、最も重要な報告であったはずだ。


 さすがにマコトは目を見開き、それは周囲でお祭り騒ぎに探索者たちにとっても同じ事。一斉に3人の周りに人垣が出来る。


「な、なんでそれを一番に言わないんだい!?」


 もっともな文句をエクレールが叫んだが、それよりも優先されるのは、一体何を見たのかというカリトゥとワルヤのである事は間違いない。


 マコトに向けて質問し続けていた事で、自然とそういう順序フォーマットが形成されていたのだろう。

 まずはデニスから、という塩梅で大まかなところから報告が始まった。


 最初に語られたのは冠蜥蜴バジリスクの手強さ。すでに倒されたと油断する探索者はいない。それと同じぐらい厄介なモンスターが出現するかも知れないからだ。


 大迷宮とはそういう場所であった。


 ワルヤがマントからゴロンとバジリスクの目玉を転がしたときには、当たり前にパニックになったが――


 それが終われば、語られるのは青い光に彩られた、あの幻想的な光景だ。


 カリトゥがそれを嬉しそうに報告する途中で、探索者たちは歓喜の声を上げた。今までの大騒ぎはまだ余力があったらしい。


 だが、それも仕方が無いことだろう。


 大迷宮の果てに、再び探索できそうな新天地が現れたのである。

 果てが見えなくなった事で絶望するようであれば、そもそも「探索者」にはなっていないのだから。


「……やっぱり、カリトゥに残ってもらって良かった」


 そんな周囲の大騒ぎに紛れ込ませるように、マコトがポツリと呟いた。


「ええ。私も探索を続けられて良かったと思います。その辺りは、ワルヤさんに感謝ですね」

「感謝してくれ。なんせカリトゥは感激して涙流すぐらいだからな」


 2人の言葉に、顔を伏せ淋しそうな笑みをひらかせるマコト。

 カリトゥは、そんなマコトと対照的な笑みを浮かべると続けてこう言った。


「ああして、未知の場所に行かなければ私は気付く事が出来ませんでした。どんな探索でも、もう私にとって意味が無いってことを」

「え……?」


 思わずマコトが顔を上げて、カリトゥを真っ直ぐ見つめる。


「マコトさんが側にいないと、全然無意味なんです。マコトさんがいないと、私はどうしようも無いんです。探索よりも何よりも、私はマコトさんと一緒にいる事が1番なんです。もう……置いていかないで下さい。いえ置いて行かれても、今度はマコトさんに逆らってもついて行きます」

「ま、待って。それじゃ……」


 マコトが口元を押さえる。頬が朱に染まる。

 勘違いしようがない。


 カリトゥの宣言。それは……


「ま、そういうことだ。君も覚悟を決めろマコト。俺の苦労に免じてな。カリトゥは大迷宮から帰ってくる間、ずっと覚悟完了状態だったんだ。実はそっちの方が怖かった」


 本当に疲れたようにワルヤが口を挟むと、本当にカリトゥが緑の瞳に殺意をひらめかせていた。


 それでもまだ、マコトは戸惑っている。

 カリトゥの気持ちに気付かなかったわけではないのだろう。


 だがそれでも――


「それは……許されるものなの? こちらので」

「許される許されないと言う事なら、許されないだろうな。君もそれを感じていたから、カリトゥに探索を続けるように――自分から離れるように言ったんだろ?」


 マコトは救いを求めるようにカリトゥを見つめる。

 カリトゥは、そんなマコトにうなずいて見せた。


「別にそれを喧伝けんでんする必要も無いだろ? それにマコト。君は“異邦人”なんだ。こっちの世界の常識にこだわる必要も無いし……ああ、あれだこういう事だ。? ――って奴だ」


 肩をすくめながらワルヤが続ける。


「何より、カリトゥの覚悟には君も応えようと思ってるんだ。だから、それが


 そう言い残すと、ワルヤも周りのどんちゃん騒ぎに乗り込んでいった。

 そして「結論」と共に残された2人は――


             ▼


 翌朝――


 騒ぎ続けた探索者たちがアトマイアの入り口に集まっていた。

 大迷宮に通じる入り口では無い。


 ネガ・ロゲージョ山脈から降りて行く方向だ。


 マコトが帰るというので、みんなが見送りに来たのである。

 そしてその傍らには、さすがの手際の良さで旅支度を調ととのえたカリトゥがいた。


 カリトゥは、集まってきた探索者たちにとびきりの笑顔を見せて、一礼。


 そして勢いよく顔を上げると、こう告げた。


 何の迷いもうれいも無い声で。


「私は探索者を引退します!」


 と。


 Fin

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