あたしは黒猫 〜縁起が悪いって言われたから隠れ続けたけどなんでこの子は大丈夫なの?〜

桶屋鼠

第1話




 あたしは黒猫。

 いつものように夕日が射し始めた路地を歩く。


 外からは人間の気配が感じられない静かな住宅街。

 家々から流れてくる美味しそうな晩ごはんの匂いが好きであたしはこの時間に縄張りを見回っている。


 でも、カレーの匂い、焼き魚の匂い、焼肉の匂い、その全部が今のあたしにはものすごく凶悪だった。




 ぐぅーーーーーーーーーーーーっ。




 盛大に鳴るお腹の音。

 あわてて周りを見て、誰も聞いていないか確認した。静かなまま何も変わらない路地にあたしは安心したときのクセでついつい毛繕いをはじめちゃう。




 あたしは自分で言うのもアレだけど、綺麗好きだ。

 暇を見つけては毛繕いするおかげであたしの黒い毛並みはいつも整っている。


 それが、あたしの自慢だったのに、最近はごはんがちゃんと食べられてなくて、前より黒い毛がくすんだように感じて悲しい。


 落ち込んだまま、ぼんやりと毛繕いを続けていたあたしは、お腹が空いてたこともあって気が緩んでいた。




「あっネコが毛繕いしてる! ちょー可愛い!」

「マジじゃん。めっちゃ綺麗な黒猫だね」



 そうそう、あたしには毛並み以外にも自慢がもうひとつある。

 それは、人間の言葉がちょっぴりわかること。


 だから、あの女の子たちがなんて呼ばれているか知っている。




 JKだ!!




「ガン見されてるんだけど。サラダチキン食べるかな?」

「猫にハーブ味、食べさせちゃダメじゃない?」


 JKに遭遇してパニックになってたけど、美味しそうな匂いで正気に戻る。


 そうだ、あたしは人間に見つかっちゃいけないんだ……。




 目に入ったのは、車、植木鉢、木と茂み。


 急いで近くにあった車の下に入り、見られないようタイヤの裏に隠れる。


「おーい、どこいくの?」


 JKが迫ってくる気配を感じて、気づかれないように車の下から植木鉢のうしろへ、さらに移動する。


「あれ? いなくなってる」


 車の下を覗き込んでいるJKを見つつ、植木鉢の陰から念のため木のそばの茂みに入った。




「はあ〜、逃げられちゃったぁ」

「サラダチキン嫌いだったんだよ」


 お腹が減っていたせいか、普段以上に疲れたあたしは休みながらもJKたちの声に耳を澄ます。


「写真撮って、あげようと思ったのにー」

「ガチでテンション下がってんね」

「だって、あのガン見顔は絶対バズるじゃん」

「でも、黒猫は不吉って言うし逃げられてよかったんじゃない?」


 不吉という言葉を聞いて、嫌な記憶を思い出し毛が逆立ってしまう。


「マジ萎えたぁ」

「ドンマイ、次はがんばろっ」






 ガサゴソと枝にぶつかりながら茂みから出ると、遠くで落ち込んだ様子のJKが歩いて行くのが見えた。


 JKたちとは反対方向に歩きながら思う。

 さっきのJKたちの会話はほとんど意味がわからなかったけど、萎えたって言葉は気分が落ち込むことだって知ってる。


 それに、雰囲気も怒っているような、悲しんでいるような。そんな感じがした。



 あたしはやっぱり人間を不幸にさせちゃうんだ。関わっちゃいけないんだ。



 風で葉っぱが揺れてるのかカサカサと近くで音がするが、今は興味が湧かない。

 他のことが気にならないほど、あたしが人間から隠れようと決めたきっかけが頭に浮かんで離れない……。


 あれは、あたしが大人の猫になったばかりの頃——






 自分の縄張りができはじめ、威勢よく路地を見回りしているとき、あたしは小さい女の子と若いお母さんに出会った。


「ネコさんだ!」


 あたしを見つけた女の子は撫でたかったのか、手を伸ばし走り近寄ってくる。

 急な行動に驚いたあたしは思わず、その子の手を避けて近くの塀の向こうへ逃げてしまった。


「いかないでーー!」


 塀を越えて聞こえてくる、女の子の悲しそうな声。

 心苦しくなってあたしが足を止めると女の子とお母さんの会話が耳に入ってきた。


「ネコさん、いっちゃったぁ」

「黒猫が横切るなんて縁起が悪いわね……」

「よこぎる? えんぎがわるい?」

「えっと、黒猫さんが目の前から居なくなると、よくないことが起きて不幸になっちゃうの」


「えっ、クロネコさんはこわいネコさんなの?」

「それだけじゃ——」



 あたしはそれ以上聞くのが怖くて反射的に走っていた。



 あたしは人間が好き。

 だから人間の言うことを理解しようと頑張った。

 でも、言葉がわかるせいであたしは人間に見られちゃいけないと知るなんて。


 ……すごくショックだけどあたしが頑張って見つからなかったらいいんだ。




 人間を不幸にしないように、これからは隠れ続けなきゃ……。






 ——あれからずっと人間に見つからないように生きてきた。


 けど最近のあたしは、ごはんを置いててくれるおばあさんに見られてごはんを食べにいけなくなったり、お腹が空いたせいで気が緩んでJKたちが近づくのに気づかなかったり、だめだめだ。


 あたしがちゃんとしないと人間によくないことが起きちゃうのにしっかりしなきゃ。




 コツコツコツ




 あたしが初心に帰って気合いを入れなおしていると、小さく足音が聞こえてくる。

 遠くの方を目を凝らしてみれば、こっちのほうに歩いてくる女の人が見えた。



 キッチリしてるっぽいあの服装はきっとOLだ!



 今度はあたしが先に人間を見つけらたからにはしっかり隠れたいけど、今日はお腹が空いてるのに動きすぎてほんとに疲れてる。


 だから、ひとまず電柱の陰に隠れて様子を見よう。

 日暮れも進んで路地が暗くなってる、黒猫のあたしは人間には見つけにくいはず。




 コツコツコツ




 足音が近づいてくる。

 意識を集中して音を聞き、あたしとOLとの間に電柱がくるように少しずつ位置を移動し、姿が見えないように気を付ける。



 コツコツコツ



 これならちょっとしか動かないから、あまり疲れずに隠れられそう。

 でも、耳が敏感になっているのか、カサカサと葉っぱの擦れる音がすぐ近くに感じて鬱陶しい。


 コッ


 あれ足音が止まった。休憩してるのかな?

 あたしも少し休めるからいいけど、OLがいなく——


「やっぱり猫ちゃんいたー!」



 えっ!?



 な、何でバレたの?

 絶対あたしの体は見えてなかったはずなのに!


「私ね猫ちゃん見つけるの得意なんだ〜」


 キョロキョロと周りを見て、逃げ道を探しているとあたしから葉っぱが落ちてきた。


「それに葉っぱが道標になっててわかりやすかったよ」


 今落ちた葉っぱと似ている葉っぱをOLが地面から拾い上げる。


「ちゃんと綺麗にしないとダメだよ」


 あのときの茂みの葉っぱが体についたままだったと、今になって気づいた。


 いつもは綺麗にしようって気をつけていた分、それを忘れたせいで見つかるなんてショックが大きい。


「それにしても猫ちゃんごはんちゃんと食べてる? 痩せすぎじゃない?」


 OLの心配そうな言葉で思い出す。はやくここから離れないとこの子が不幸になっちゃう。


 それなのに、疲れなのか、ショックでなのか体に力が入らない。


「本当に大丈夫? 何か食べものあったっけ?」


 あたしが動けないならOLを追い払うしかない。

 OLはカバンを漁ってるが構わず威嚇する。



「シャーーーッ」



 人間に威嚇するなんて初めてだけど、ちゃんとできたはず。

 怖いでしょ! はやくどっか行ってお願い!


「おーカッコいいね!」



 な、なに言ってるのこの人は……。



 なんで急にあたしを褒めたの?

 今のは、驚いて逃げて欲しかったのっ!


「うーん、元気はあるのかな?」


 こんな変な人間はじめて見た。そもそもどうしてずっとあたしに話しかけてるの?

 普通は言葉なんて通じないのに、ずっと楽しいそうに喋っている。


 なんだか、OLの明るい雰囲気にやられ気が抜けてしまい、体力の限界だったあたしは体を支えきれず横たわってしまった。


「えっ猫ちゃん調子良くないなら病院行こうか?」


 あたしの感情を振り回した、OLの焦った様子がおかしくてちょっとだけ気が晴れる。

 そして緊張やショック、焦りがなくなって忘れていた空腹を思い出した。




 ぐぅーーーーーーーーーーーーっ。




「よかった…お腹空いてただけだったんだ」


 横たわったあたしをOLが優しく抱き上げる。


「私の家に行こうか。確か猫ちゃんでも食べれるものあったはず」


 お腹の音をしっかり聞かれて恥ずかしくなったあたしは、OLの腕の中で顔を隠し大人しく家へと運ばれた。









 赤い切り身を口に入れるとしっとりとした柔らかな舌触りをまず感じた。

 それが心地良くて噛んでいくと確かな食感と鮮やかな香りが口に広がる。

 すると、少しだがじわーっと脂の旨味が食感や香りに絡まっていき……とっても美味しい!


 マグロの赤身に夢中になっていたらもうお皿から無くなっちゃった。


 コトッ


 少し寂しくお皿を見ていたら今度は目の前にミルクが置かれた。

 あたしは反射的に顔を伸ばしミルクをぺろぺろと飲む。


 熱すぎず冷たすぎないミルクが滑らかにのどを過ぎて行く。

 口に残る穏やかだけど濃厚な風味が好きで止まらずに飲み続けた。




 ふーっとひと息つく、二枚のお皿の上には何も残っていない。


「ふふっ美味しかった?」


 OLが嬉しそうに話しかけてくる。

 ごはんに集中してて気にならなかったけど、OLはずっとにこにこと楽しそうにあたしを見てた。


 そうだ、ちゃんとごはんのお礼を言わなきゃ。


「にゃーーお」


 マグロもミルクもすごく美味しかった。ありがとう、OL。


「ほんとカワイイなー!」


 OLはほんとに幸せそうだ。

 お腹がいっぱいになって眠くなってきたけど、あたしは確認しないといけないことがある。


 OLはあたしがそばにいるけど不幸になる様子はない。

 だからこそ、黒猫のあたしが横切っても大丈夫なのか確かめたい。



 もし大丈夫ならあたしが一緒にいてもいいはずだから……。



 まずOLの部屋にあるベッドの陰に隠れる。


「猫ちゃんどうしたの?」


 声をかけられるが構わず歩き始める。


 OLの目の前を横切りながらちゃんとこっちを見てるか確かめる。

 ……笑顔ですごく見られてる。


 何となく気持ち早歩きで棚の陰へと隠れ、OLが大丈夫か棚からちょっぴり顔を出し覗く。


「かくれんぼがしたいの? でも猫ちゃん隠れるの下手だからすぐ見つかっちゃうよ」


 馬鹿にされてちょっとイラッとしたけど、OLは相変わらず幸せそうだ。


 だけど、念のため近くでしっかり見ようとOLの膝の上に乗る。


「ふふっ猫ちゃん叩かないでぇ」


 ほっぺたを軽く叩いたのは顔色を確かめるためで、さっき馬鹿にされた仕返しなんかじゃない。



 OLが楽しそうで安心したあたしが膝の上に乗ったまま毛繕いをしていると。



「あのね猫ちゃん、私と一緒に住まない?」



 OLはあたしを撫でながら穏やかな声で言ってきた。


「私ね猫ちゃんがいてくれると幸せなの、だから一緒にいてくれない?」



 あたしは人間が好き。

 だから、OLの言ってくれた言葉がとても嬉しくて、とても温かくて、とても幸せで。



「にゃーー」


 あたしの気持ちが伝わるように撫でてくれてる手を優しく舐める。


「いいってこと? やったー!」


 あたしが見た中で一番明るい笑顔を浮かべて喜ばれるとこっちまで気分が明るくなる。


「そうだ! 私の名前は星子っていうの。猫ちゃんの名前も早く——」



 楽しそうに喋り続けるのを聞きながら、あたしは想う。






 あたしは不幸にさせないよう頑張るから、あたしをずっと幸せなままでいさせてね、星子。


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あたしは黒猫 〜縁起が悪いって言われたから隠れ続けたけどなんでこの子は大丈夫なの?〜 桶屋鼠 @okeya_nezumi

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