第18話 サラマンダー

 ジャルマダの町に寒冷雨期が訪れるころ、俺達はついに『火の神殿』へ向かうこととなった。

 街の外には雪が深くつもり、暑かったジャルマダの中にも時折冷えた風が吹くようになったころだ。


「外は冷えているとはいえ、向かう先は火山の中だ。溶岩やガスもある。十分に注意してくれ。腕輪は外さないようにな」


 アシュレイの言葉に各々頷いて、彼の用意してくれた腕輪を確認する。

 熱と炎を軽減するこの魔法の腕輪はジャルマダの採掘師が、火山の奥地に身につけるもので、シギ山で起こりえる様々な危機から身を守ることができる代物だ。


「神殿内には立ち入れないが、今回は私も同行する」

「案内を頼むよ、アシュレイ」

「ああ。まかせてくれ」


 鉄仮面のアシュレイが頷いて、そして先頭を歩き始める。

 この黒騎士は、『火の神殿』へのルートも把握しているらしい。

 頼もしいことだ。


「いよいよ『火の神殿』ね。待った分、ちょっと緊張するわ」

「だね。ボクは腕が鈍っていないか心配だよ」


 ナーシャとティナが溶岩で赤く照らされた洞窟内を見やりながら、苦笑している。

 その二人を見ながら、俺の心は比較的冷静だった。

 こんなに落ち着いていられるなんて、と自分でも驚いている。


 若い騎士団見習いの間では、もっぱらの噂だった。

 『女を知れば、男があがる』などと、低俗で眉唾な噂話だと思っていたが、それが事実であると吹聴して回りたいほどに、今の俺は安定している。


 ……リズのおかげで。


 あの日も、あの日以降も、俺とリズは仲間の目を忍んで何度も愛し合った。

多くの“初めて”を共有し、お互いの気持ちを言葉でも、言葉以外でも伝え合った。

 彼女に愛されているという実感が俺を満たし、前を向かせている。


「いよいよなのです」

「ああ。頑張ろう」


 隣で小さく気合を入れるリズに、笑って応える。

 約束したのだ。全て終わって帰ったら、一緒になろうと。


 ──この旅の終わりに、幸せがある。


 そう考えると、俺に気力が満ちる。

 負けるわけにはいかないという意志が湧き上がってくるのだ。

 『勇者として全世界の人々を守る』なんてぼんやりした目的は俺にとっては少し大きすぎたらしい。

 リズとの未来のために、魔王を倒す。

 ……それでいいのだと、彼女の温もりが教えてくれた。


「気力十分で結構なことだ。注意深くいこう」

「わかっている」


 俺の返事に頷いて、黒騎士が溶岩洞を進み始める。

 自然にできた洞穴は無数に分岐しており、アシュレイはときどき立ち止まっては方向を確認している。

 だが、迷っている風ではない。彼は案内を的確にこなしている。

 俺にだけ感じられる勇者の力……『竜炎の水晶』の気配は着実に近づいてきているからだ。


「……サラマンダーだ」


 立ち止まったアシュレイが、片手で後方の俺達を制止させる。

 岩陰の向こうに、それはいた。

 溶岩と同じ色をしていて、保護色のように景色に馴染んでいる。

 体長は熊ほどもあるそれは、溶岩がそのまま生き物になったような印象を思い浮かべさせた。

 体にはいくつか亀裂が入っており、そこからは溶岩と同じ赤熱した体内が見て取れ、ときどきチロチロと出している舌は炎を纏っているように見える。


「これが、サラマンダーか。思ったよりもでかいな」

「飛ばない火吹き竜だよ、あれは。かなり手強いが……見逃してはくれなさそうだ」


 匂いか音か、いずれにせよサラマンダーはこちらに首をむけ、俺達の様子を窺っている。

 このまま立ち去ってくれればとは思ったが、アシュレイの言う通り侵入者である俺達を逃す気はないらしい。


「シャアアアアッ!」


 蛇に近い咆哮。

 だが、音量がまるで違う。耳に響くそれに、思わず足がすくむ。

 ……が、黒騎士はそうでなかったらしい。


「近接戦は気をつけろ。体液は溶岩と同じ温度だ、浴びればただでは済まん」


 それだけ告げると、剣を引き抜きながらアシュレイが駆けだしていく。


「ティナ、水属性の魔法を。ナーシャは俺とアシュレイに防御魔法。リズは牽制を頼む!」

「了解。気を付けてね、ヨシュア」

「ああ」


 ナーシャの防御魔法を身にまといながら、俺もアシュレイの後を追う。

 その俺の背後にリズがつく。


「対サラマンダー用の魔法薬があるのです。援護するのです」

「わかった、気をつけてな」

「お任せなのです」


 すでに戦闘を開始しているアシュレイの横から、長剣を振り抜く。

 固い……が、俺の振るった剣の切っ先は浅いなりともサラマンダーの前足を裂く。

 サラマンダーに有効な得物を持ってきてよかった。

 普通の剣では、サラマンダーに溶かされてしまうからと、準備した特別製だ。


「お、っと……!」


 吹き出す血は、まるで溶けた鉄のようで赤熱している。

 なるほど、これは危険だ。


「これでもくらえなのです!」


 俺の作った傷跡に、リズが小瓶を投げ込む。

 熱と衝撃で割れた小瓶の中身が、サラマンダーの傷跡に吸い込まれた。


「キィーシャアアアアアアッ!」


 絶叫を上げながら、サラマンダーが転げまわる。

 俺とアシュレイが加えた傷よりも、あの魔法薬が効いたらしい。


「離れて! 魔法でトドメを刺すよ!」


 ティナの声を聞こえるた同時に、リズを抱えて背後に大きく飛ぶ。

 アシュレイは言わずもがな、即座に下がっていた。


 周囲に浮いた水滴が集まり、それが集まってのたうつサラマンダーを水球の中に押し込める。

 そして、次の瞬間……「パキン」と音をたてて、水球はうっすらと霜を帯びた氷塊へと変じた。


「よし、仕留めたな……」

「いい指揮だった、勇者殿」

「いや、出遅れてすまなかった。アシュレイ」


 真っ白な剣をしまうアシュレイを見て少し不思議に思う。

 彼の剣は、旅を出た時から変わらぬものだ。魔法の品だろうとは思っていたが、サラマンダー相手でも大丈夫とは驚いた。


「剣、大丈夫なのか?」

「ん? ああ。問題ない。それに、私はこの剣以外を腰に佩く気はないんだ」


 鉄仮面の向こう側でアシュレイの顔が曇った気がした。

 何かまずいことを聞いてしまっただろうか。


「いや、余計なことを聞いた。先を急ごう」


 俺の言葉に頷いて、アシュレイは再び先頭を歩き始めた。

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