第12話 サルナーンへ

「すまない。私の不手際で随分と足止めさせてしまった様だ」


 目を覚ましたとの報を聞いてズーヴェルト家の屋敷を訪ねた俺たちに、黒騎士は開口一番謝罪の言葉を口にし、頭を下げた。

 その隣では良家のお嬢様然とした服装のティナが、苦笑している。


「アシュレイ。無事、復調できたみたいでよかったよ」

「ありがとう、勇者殿。案内役がこの様で申し訳ない。すぐさまサルナーンへ向かう準備を始めよう」

「アシュレイのリストにあった通りの物資をもう揃えておいたわ。それより、まだ休んでいなくて大丈夫なの?」


 一か月も倒れていたのに、すぐさま動こうなんていささか無理が過ぎるのではないだろうか。きっと体力も筋力も落ちているはずだ。

 それに今回、アシュレイは『魔力欠乏症』を起こしたのだ。

 あれは長引くと聞いた。


「問題ないよ。ズーヴェルト家の名誉にかけて治療させてもらったし、道中で多少不具合が出てもボクがなんとかできる」

「ああ。頼むよ、ティナ」


 アシュレイを見て、にこりと笑うティナ。

 それに返すアシュレイの雰囲気はどこか柔らかげだ。

 それに少しばかりの違和感を感じながらも、俺はアシュレイに向き直る。


「本当に大丈夫なのか?」

「ああ。今回は失敗したが、元来そうやわではない。それよりも、我々には急ぐ理由がある」

「ああ。そうだな」


 黒騎士にうなずいて応える。

 俺たちは魔王復活の影響を、このウィズコで痛感したのだ。

 人造の魔法生物までがその気配に当てられて狂暴化するとなれば、各地の魔物が人の領域を脅かすのは時間の問題だろう。


 やもすれば、すでに被害が出ているかもしれない。


 ならば、勇者の任を与えられた俺たちにできることは、一刻も早く残り二つの試練を突破し、光の神殿で聖剣を得ることだ。

 魔王を聖滅しない限り、いくら魔物を倒しても根本解決にはならないのだから。


「だが、様子は見たい。出発は一週間後にしよう。それでいいか? アシュレイ」

「承った。案内役の任を果たせるよう、十全に整えておくと約束する」


 黒騎士が騎士の礼をとって、恭しく首を垂れる。

 それを見て、俺は少し思考を加速させた。

 彼こそ英雄で、俺はこのように敬意を払われる立場ではないのに、と。


「じゃあ、俺たちは戻るよ」


 少し居心地を悪くした俺は、騎士の礼を返して踵を返す。

 そんな俺にリズとナーシャが続いた。


「ゆっくりするのです!」

「待ってるね、アシュレイ」

「ボクはぎりぎりまでここでアシュレイの様子を見ておくよ。二人とも、ヨシュアをよろしくね」


 俺たちを見送るティナの声に、ナーシャが振り返る。

 二人はアイコンタクトをとるようにかすかに視線を絡ませて、わずかにうなずきあったように見えた。


 何か、あるのだろうか?



 ──アシュレイの目覚めから一週間。


 俺たちは多くの人に見送られて、ウィズコの町を発った。

 馬車には、十分な食糧品を積み、この先の険しい道を想定して馬車そのものの補強も行った。

 おかげで馬車馬のパルシアは、前よりも少しばかり軽快に足を動かしている。


 とはいえ、『火の神殿』は遠い。

 サルナーンは国らしい国はなく、いくつかの町が存在するだけの未開の地のような場所で、街道も整備されていない。

 先に『風の神殿』に向かってはどうかとも提案してみたのだが、アシュレイ曰く季節変動の激しいサルナーンに存在する『火の神殿』を先に目指したほうがいい、と言われた。


 乾季と雨季、そして寒暑がはっきりしているサルナーンの地。

 『火の神殿』を目指せるのは、寒冷乾季と呼ばれる今の季節だけらしい。


「雨季は激しい雷雨や吹雪が断続的に続くことが多い。川の氾濫や積雪もあって危険だ。熱暑乾季は気温と日差しが強すぎる。水や食料を確保できずに立ち往生するかもしれない」


 御者台に座るアシュレイが、そう説明する。


「今しかないってことか……」

「そうなる。寒冷期とはいえ雪が降ることもないし、川は凍るが氾濫はしない。防寒をしっかりすれば死ぬこともない」


 すっかり復調したらしいアシュレイの俺に対する態度は、いささか軟化したようにも思える。

 最初の尖った気配はなりを潜め、先輩騎士としての貫禄のようなものすら感じるようになった。

 ……俺の意識が変わったためかもしれないが。


 ただ、やはり気になるのは幼馴染たちとの距離感だ。

 ずっと看病していたティナは、アシュレイにずいぶんと気やすくなった。

 故郷を守った英雄なのだ、敬意と……もしかしたら愛情を向けるのもわかる気がする。

 だが、そんな彼らに視線を向けるナーシャが少し寂し気に見えるのが気になった。


 王都にいたとき以上に幼馴染たちとずっと一緒にいるのに、自分だけ蚊帳の外にいるような疎外感じみたさみしさが、時折俺の胸を締め付ける。

 ナーシャも、ティナも、俺に対する態度は変わっていないというのに、俺はアシュレイという異物をおまだに認められていないのかもしれない。

 そして、そんな彼が幼馴染と馴染んでいくことに嫉妬しているのだ。


「ヨシュ兄、どうしたのです?」

「ああ、いや、この先のことについて少し考えてた」


 また、思考の渦にはまっていたらしい。

 俺の顔を覗き込むリズに誤魔化し笑いをして見せて、俺は資料に視線を落とす。


「みて、ヨシュ兄。温泉、温泉があるのです」

「ん? どれどれ……?」


 資料を指さすリズに視線を誘導されてその箇所を見ると、道中の何か所かに『温泉』の文字。耳慣れない言葉だ。


「温泉ってなんだ?」

「王国ではあまり聞かない言葉ね」


 ナーシャも知らない言葉らしい。


「ボクは名前だけなら。温められた地下水が噴出する泉らしいよ。沸騰していて鶏卵や野菜、肉を調理できるって聞いたことがある」


 俺たちの反応に、リズが大仰にため息をつく。


「まったく、お貴族様はわかってないのです。温泉は入って楽しむものなのです。疲労回復、魔力充足、疾病治療……何にでも効果があるパワースポットなのです!」

「おいおい、煮炊きできるような温度なんだろ? 入ったりなんてしたら、火傷しちまうよ」


 俺たちの会話に、御者台の黒騎士が小さく肩を揺らす。

 あれは、笑っているのか?


「よし、諸君。ちょうど今日の野営地をそろそろ決めようと思っていたところだ。今日は、温泉のある場所にするとしよう」

「やったのです! さすがアシュレイなのです」


 リズの賞賛の声にうなずいたアシュレイは、馬車の方向を小さく変えて目的地へとパルシアの鼻先を向けた。

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