ココヨム!!

天宮伊佐

Satoru Monster!!

「あっ、聡子さとこちゃん。おはよう!」

ある日曜日の朝。特にやることもないのでコンビニへ立ち読みに向かっていると、前の方を聡子ちゃんが歩いていたので声をかけてみた。


幼馴染おさななじみの聡子ちゃん。ぼさっとしたジャージ姿で、その手にはリードの輪っか。繋がれているのは、聡子ちゃんの愛犬・チャウチャウチャウデー。


「あら、さとるくん。おはよう」

(しまった、こんなところで悟くんと会うなんて! 不覚っ!)

リードを引いて立ち止まった聡子ちゃんは僕の名前を呼ぶ。

「やあ、聡子ちゃんは今日もかわいいね」

僕は微笑んで言った。

「ば、ばかじゃないの。朝から何言ってんのよ……」

(きょ、今日もかわいいだって! お世辞とは分かってるけど、うぅっ)

ツンとした顔をしつつも、聡子ちゃんはきちんと僕に並んで歩き始めてくれる。

もちろんお世辞じゃない。聡子ちゃんは本当にかわいいのだ。

(油断してたわ。化粧もしてないし、クソださいジャージだし。ああ、もう!)

そんなことはない。すっぴんでもクソださジャージでも、聡子ちゃんはかわいい。

「今日もチャウチャウチャウデーの散歩かあ。毎朝たいへんだね」

「ばうわう」

精悍な目つきのチャウチャウチャウデーが返事をする。ちなみにチャウチャウチャウデーはその名前の通りチャウチャウではなく、しなやかな毛並みのドーベルマンだ。

ネーミングセンスは終わってるけど、聡子ちゃんはかわいい。

「仕方ないわ。犬に日曜日はないからね」

(逆転の発想よ。せっかく悟くんに会えたんだから、気の利いた会話を……)

「そうだね。でもそのかわり、犬には月曜から金曜もないもんね」

「そうそう。うちのチャウチャウにはテストも部活もないから気楽なもんよ」

最近、愛犬をチャウチャウチャウデーと呼ぶのがめんどくさくなった聡子ちゃんは、縮めてチャウチャウと呼びはじめた。

ちょっとバカだけど、それでも聡子ちゃんはかわいい。


「明日から期末テストだね。悟くん、ちゃんと勉強してる?」

「まあ、今からコンビニに立ち読みに行けるぐらいはね。聡子ちゃんは?」

「それなりかな。古文だけがちょっと不安なんだけど……」

聡子ちゃんはバツの悪そうな顔をした。

(言えない。古文のノートを古新聞の束の横に置いてたら、うっかりもののお祖母ばあちゃんにゴミと思われて捨てられたなんて、恥ずかしくて悟くんには言えない……)

「ノートを失くしちゃったの? 僕の、貸してあげようか?」

「えっ!? なんで知ってるの!?」

「あっ! いや、クラスの女の子が言ってたのを小耳に挟んだんだよ」

僕は慌てて答える。

「ばうわう!」

チャウチャウチャウデーが、嘘をつくなと言うように吠える。

そう。もうみんな気づいてると思うけど、実は僕には大きな秘密がある。

人の心が読めるのだ。

もちろん誰にも言ったことはない。たちまち政府にとっ捕まえられ、脳みそに色んな針をぷすぷす刺されて実験材料にされてしまうだろうから。

まあそんな非人道的なことはされないにしても、この能力は隠しておいたほうが吉だろう。この力で、僕は今までけっこう得をしてきた。

将来はポーカーの世界大会で優勝して大金持ちになる予定だ。

「じゃあ明日、学校で貸してあげるね。古文は木曜だから、まだ間に合うよ」

「あ、ありがとう悟くん!」

僥倖ぎょうこうっ! 悟くんと話せたうえにノートまで貸してもらえる! 望陀ぼうだの涙!)

「そ、そんなに喜んでもらうほどのことじゃないよ……」

「ばうわう」

チャウチャウチャウデーも吠えた。

お礼を言った……のだろうか。

残念ながら、僕にも犬の心は読めない。バウリンガルは発明できない。

そのあと少しの世間話をして、僕は聡子ちゃんと別れてコンビニに向かった。


「お帰りなさい悟。遅かったね」

夕方に帰宅すると、台所で鍋を煮込んでいる母さんが言った。

「そろそろ晩ご飯の仕度ができるから待ってな」

(勉強もせずに遊んで。明日からのテストは大丈夫なんだろうね、この馬鹿息子は)

僕の脳は、流れ込んでくる心の声をシャットアウトすることはできない。

なので、必ずしも得ばかりをするとは限らない。

「悟、期末テストの調子はどうだ?」

居間で夕刊を読んでいる父さんが、顔を上げずに訊ねてくる。

「うん、そこそこかな。赤点は取らないと思う」

「そうか。まあのびのびとやりなさい。父さんは子供に無理な強制はしないからな」

(そんなことより不倫相手のエミちゃんだ! 明日から出張という名目で九州へ三日間のラブラブ旅行! 母ちゃんたちには内緒だぞ! ひゃっほう!!)

結構どぎつい思いをすることも多々あるけれど。

それでも僕は、この能力をそこそこ気に入っている。


無事に期末テストも終えた、次の日曜日。

先週と同じくコンビニへ歩いていた僕は、また道端で聡子ちゃんの姿を見つけた。

ところが、その様子が何だかいつもと違っている。

手にリードがない。チャウチャウチャウデーを連れていない。

まあ、それは別に不思議なことではない。外出するのは犬の散歩だけとは限らない。

ただ、よく見ると……聡子ちゃんは、泣いていたのだ。

(チャウチャウ……ううっ、チャウチャウぅぅ……)

「ど、どうしたの聡子ちゃん。チャウチャウチャウデーに何かあったの?」

「あっ、悟くん」

駆け寄ると、聡子ちゃんは泣きはらした目で僕を見た。

「チャウチャウが、急に泡を吹いて倒れて。いま、動物病院に救急で……」

(うっかりもののお祖母ちゃんが、チャウチャウの餌皿に大量のネギを……ひどい、ひどいよぉ……お祖母ちゃんの人でなし……)

「そ、それは大変なことだね……」

「仔犬の頃から一緒に遊んできたのに……家族同然だったのに……」

(うぅっ。チャウチャウが死んじゃったら、わたしはもう世界で独りぼっち……)

ぐすぐすと泣きながら呻く聡子ちゃん。

「聡子ちゃん……」

聡子ちゃんがチャウチャウチャウデーを実の弟のようにかわいがっているのは、僕も昔から知っていた。あのドーベルマンを失ったら、聡子ちゃんの心にはドーナツのような穴が空いてしまうに違いない。

誰かが、その穴を埋めてあげないと。誰かが、聡子ちゃんの傍らにいてあげないと。

……とうとう、この時が来たんだ。

僕は、決心した。


数日後。誰よりも早く登校した僕は、一通の手紙を持って、聡子ちゃんの靴箱の前に立っていた。勉強机に徹夜で座って書いた、生まれて初めての手紙。

震える手で靴箱の蓋を開けて、無地の封筒をそっと滑り込ませる。

実は、チャウチャウチャウデーは一命を取り留めていた。今はまだ動物病院だけど、それほど日を置かずに退院できるらしい。

でも、僕は手紙を入れるのをやめなかった。あれは、ただの切っ掛け。こんな言い方はひどいかもしれないけれど、犬の寿命は人間ほど長くはない。今回は幸いにも助かったけれど、聡子ちゃんがお婆ちゃんになるまで心の支えになれるわけではない。

いずれは聡子ちゃんの心に空く穴。それを埋めるには、別の人間の力がいる。

あのかわいそうな名前のドーベルマンは、僕にそのことを気づかせてくれたのだ。

『今日の放課後、校舎裏に立っている桜の木の下にきてください』

下手な漫画でしか見たことのない、いや、今どき下手な漫画でも決して見られないような陳腐な呼び出し。でも、僕にはこれしか書けなかった。徹夜をしても、これしか書けなかった。いや、これで十分だ。あとは自分の口から言おう。

ずっと胸に秘めていた、僕の思いを。

そして放課後。桜の木の下に、聡子ちゃんはやってきた。


「悟……くん」

先に待っていた僕の姿を認め、聡子ちゃんは小さく呟いた。

その顔に驚きの色はなかった。筆跡で察していたのだろう。心を読むココヨムまでもない。

「どうしたの? こんなところに呼び出しなんて」

(どうしたっていうか、これはもうアレよね! 伝説の樹の下でやる伝説のアレしかないよね! うわわっ、どうしようどうしよう!!)

一大決心をして呼び出したといえば聞こえはいいが、ぶっちゃけ聡子ちゃんの僕に対する好感度メーターが割かし極限値に近いことは昔から知っている。

「聡子ちゃん。昔から、きみのことが大好きだった」

なので妙に飾ったり気を持たせたりするのは悪いと思って、僕は単刀直入に言った。

「僕と付き合ってほしい。一生、きみの傍にいさせてほしいんだ」

(ききき、きたーーーーーっ!!!!!)


「えぇと……ごめんなさい」


んっ?

「悟くんの気持ちは本当に嬉しいんだけど……わたし今、付き合ってる人がいるの」

なんだって?

「部活の先輩でね。……もちろん悟くんのことは昔から好きだけど、その好きは、兄弟みたいな感じの好きで。うまく言えないけど、好きじゃなくて」

(ふふふ。すんなりOKしたら面白くないから、ちょっと焦らしちゃおーっと♬)

「なあんだ、そういうことか。じゃ、これから一生のパートナーとしてよろしくね」

「えっ……?」

聡子ちゃんは怪訝な顔をした。

「いや、あの。悟くん、聞こえたよね? わたし、ごめんなさいって」

(はーい。こちらこそ宜しくね、悟くん♡)

「早速だけど、初デートは次の連休でいいよね? どこに行こっか?」

(うーん、せっかくだから奮発して九州とか? あっ、でもお父さんやエミちゃんと鉢合わせになったら気まずいね。えへへ)

「悟くん……?」

聡子ちゃんは、気味の悪いものを見るような目つきになった。

僕は何だか嫌な予感がした。いや、正確にはさっきからずっとしている。

僕の世界に、何かいけないものが忍び寄っているような。

「あ、あのね、悟くん。前から思ってたんだけど、悟くんってときどき変なこと言うよね? こっちの声が、きちんと届いてないみたいな……」

何だろう。まずい。僕の世界にとてつもない何かが起こりかけている。

「あと、これもずっと気になってるんだけど……」

まさか、聡子ちゃん。

「古文のノートのこと、どうして知ってたの?」

聡子ちゃん。きみは、僕の世界を。

「絶対に机の上に置いてたはずなのに、昼休みの間に消えてたこと……こと、わたし、家族にも友達にも言ってないんだけど」

ぱきりと音を立て、どこかで何かがひび割れた。

大変だ。僕の世界が壊れかけている。


僕はすぐさま聡子ちゃんの頬を平手で打った。

「ひっ!?」

聡子ちゃんは悲鳴をあげて倒れた。


違うだろ。

話が違うだろうが。

ノートを盗んだのも、クソ犬の餌に農薬を混ぜたのも、あのけかけたばばぁだろ。

そういうていだろうが。


髪を掴んで引きずり起こす。

「さ、悟……くん。なんで……」

(ごめんごめん。そういう台本だったね)


ノートを失くしたお前は僕を頼る。

クソ犬を亡くしたお前の心を僕が埋めてやる。

お前は改めて僕に惚れ直す。そういう筋書きだろうが。


桜の幹に押し付け、その首に指を描ける。

「や、やだ……や、め……」

(うーん。世界と現実の擦り合わせが上手くいかなかったね)


ふざけんなよ。

こっちは真剣にやってんだ。

勝手なアドリブ入れてんじゃねぇよ。

僕の設定を、僕の世界を破綻させるなよ。


首を絞め続ける。

           (愛してるよ、悟くん。これからも宜しくお願いします)


白目を剥いて舌を突き出したまま、聡子ちゃんは心の中で言った。




数日後。僕はリードを引いて、ドーベルマンを散歩させていた。

醜くなった姿を見られたくないと言われたので、聡子ちゃんの身体は山奥に埋めた。

聡子ちゃんの実体は、世間では謎の失踪を遂げたことになっている。

「ばうわう」

チャウチャウチャウデーを譲ってくれないかと申し出ると、聡子ちゃんの家族は案外すんなり認めてくれた。聡子ちゃん以外にはあまり愛されてなかったようだ。


僕の世界は、何とか破綻を迎えることなく修正された。

むしろ、大きな危機を乗り越えたことによって、僕の能力はさらに強くなった。

なんと人の心だけでなく、他のものたちの心まで読めるようになったのだ。


(よい天気でございますなあ、あるじどの)

チャウチャウチャウデーが、時代がかった口調で言ってくる。

(ごらんなさい人間さん、満開の桜が綺麗ですよ)

空を舞うメジロが、気持ちよさそうにさえずる。

(君たちは美しいものを見られていいねえ。私に見えるのは深淵の闇だけだよ)

僕がうっかりマンホールの蓋を踏むと、うらめしそうな声が返ってきた。

(悟くん。これからはずっと一緒だね)

僕の胸のうちから、最愛の人が優しく語りかけてくる。

生物も無生物も実体のないものも、すべての心が僕には読める。


僕の世界は、もう誰にも壊せない。

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