第2話 肴ありて酒は生き(6月17日)

 先日、祝いのものとして酒をいただいたのであるが、これで近いうちに「独宴会」を開くべく腐心している。

 下戸からすれば考えられぬ所業なのかもしれないが、今週はどのような肴を準備するかを頻りに考えており、それだけに多少の心苦しさは乗り越えることができている。

 乗り越えられぬ出来事が昨日はあったものの、そのようなことがそう何度も起きてもらっては困る。

 日常が悲劇的であるからこそ、非日常が浮かび上がってくるのである。


 余談が長くなりすぎた。

 話を戻すとどのように酒を飲むかという話に尽きるのであるが、何かの祝いにいただく酒は有難いものであるから、それをいただく以上は私も襟を正す必要がある。

 そこで酒肴の選定に移るのであるが、こうした時に普段飲んでいる酒は日々の食に即したものを選んでいるため、高価な酒に何を合わせればよいかとんと分からなくなってしまう。

 単純に高級な食材を合わせればよいという声もあるかもしれないが、取り合わせが悪ければ台無しであり、あまりにも軽率な理論だ。

 由緒正しい茶室に黄金の西洋騎馬像を置いたところで、現代美術としては認められることもあるのかもしれないが、あまりにも不自然である。

 茶の間に一輪の朝顔が顔を覗かせ、絢爛な赤い絨毯の宮殿にシャンデリアが堂々とあるかのような取り合わせを考えるのは、私にとっては贈り主への最低限の礼儀であり、欠かすことはできない。

 食日記を載せていく本作で近いうちに登場することになるだろうが、その実、飲む瞬間もさることながら、それを考える日々もまた楽しみである。


【今日の出来事】

◎さいたま市のネカフェで立てこもり発生

 立てこもりをしたいと思ったことはないが、あの絶望的な状況に自分を追い込む心理については全く分からないわけではない。

 逃げ道がないと思ってしまえば、ひとつしかない道を選ぼうとするのは私も熊本地震の時に経験した。

 不安や緊張というのはどのような形であれその人から冷静な判断力を奪い去る。

 そこに現れる損得勘定はひどく奇形的であるため、平時の価値基準など適用できるものではない。

 無論、許される行いではないのだが、他人と思うことができないのもまた私という人間である。

◎フルーツグラノーラを初購入

 知り合いが話題にしていたため試してみることにしたが、朝食に少量いただくのによさそうである。

 こうしたものをいただくのがいつ振りかと考えてもみたが、埒が明かぬので諦めることとした。

 食べ過ぎに注意した方が良いとの話であるが、おそらく推奨量である五十グラムを朝から胃に収めるのは袋の大きさなどから不可能であろう。


【食日記】

朝食:ヌク

昼食:梅高菜おにぎり、鳥唐揚げ、野菜ジュース

夕食:豚ヒレカツ5、中華風トマトの卵とじ、大根カレー(2日目)、ウィスキー・ソーダ2、ウィスキーのお湯割り2

 ウィスキーのお湯割りに最近ではブラックペッパーを入れているが、どうにも酒が進んでしまう。

 この夏はソーダよりも愛飲する可能性すらある。

他:タリーズブラック1本

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