023「再挑戦」

 ま、私が知っていることはこれくらいかな。と、社長はまとめた。


 事務所がしんとして、痛いほどの静寂を肌に感じる。


「……個人情報保護はどうしたんですか?」


 絞り出すように僕が言うと、社長はふっと優しく笑った。


「おっと……しゃべりすぎたな。このことは大曲おおまがりちゃんには内緒ね」


 人差し指を顔の前に立てる。そんなこと、言われるまでもなく、話すはずがない。話せるはずもない。


「……大曲おおまがりは、どうしてずっと【黄昏】から戻ってこられないんでしょうか。人生の中で、それなりに強い痛みとか、強い感情とか、『生』を実感するような出来事はあると思うんですが」

「さあね。私は彼女じゃないから分からない。でも、極端に自分に対して無頓着な子だ。頼めば殺人だろうが放火だろうが、自分の身なんて気にせずに、何でもしてしまう危うさのある彼女にとって、強い痛み程度では『生』は感じられないのかもしれないね」


 大曲おおまがりの生い立ちと、ヤツが立っている世界の過酷さに、身震いする。


 自分が生きていることに疑問を抱えたまま、何も望まず、流れていく時間だけをやり過ごす。


 それは本当に、生きていると言えるのか?


「じゃあ、どうやったらあいつは……」

「おや、心配してるのかい? 随分同僚思いじゃないか」

「……肩入れしすぎるのが良くないことは分かっています。でも、ここまで知ってしまった以上、無視もできない」


 僕の表情を見て、社長は肩をすくめた。そして、「これは完全に私の予想にすぎないけれど」と前置きをして言った。


「他者の存在。多分、それが一番重要なんじゃないかな」

「他者?」

「そう。他の【黄昏】の住人と同じさ。自問自答を繰り返したところで、ずっと結論は変わらない。自分以外の誰かとつながりを持つこと。自分以外の誰かが確かにこの世にいることに気づくこと。そうすることで、自分の『生』はよりはっきりとした輪郭を帯びるものだからね」


 社長の言葉に、はっとさせられる。


 大曲おおまがりは多分、ずっと人との関わりを持たずに生きている。


 学生時代も人との関わりを避けるように生活していたようなことを言っていたし、友人らしい友人がいる気配もない。


 もちろん、僕や社長とは会社の人間という関わりはあるが、大曲おおまがりは多分それらを何とも思っていないし、いつ無くなってもかまわないと思っている。だからあれほどまでに仕事にも発言にも無責任でいられるのだろう。失いたくなかったら、きっともっと色んなことが丁寧になるはずだ。


 もしかしたら、本来なら最も深いはずの『家族』という他者とのつながりを、酷く無残に断ち切られた大曲おおまがりにとって、自分が他者と深く関わること、つながりを持つことは、雲をつかむような、現実感のないことなのかもしれない。


 だとしたら、本当に……どこまでも哀れなやつだ。

 僕に、何かできることはあるのだろうか……。


「さて、これで大曲おおまがりちゃんの話はあらかた説明が付いた」

 社長が切り替えるようにパンパンと手をたたく。

「説明?」

「忘れてしまったのかい? 大曲おおまがりちゃんが『配達依頼書』に印を押せたことだよ」


 社長があきれた視線を僕に向ける。そういえば、最初の争点はそこだったな。大曲おおまがりの過去が余りに衝撃的で忘れていた。


「『配達依頼書』は、特殊な契約で【黄昏】の住人以外は触れないようにつくられている。私自身もどうやって住人かどうかを識別しているかはしらなかったけど、今回のことではっきりした。生きているかどうかというより、【黄昏】でいかに過ごしたかが重要みたいだね」


「配達依頼書」をしげしげと眺めながら、興味深そうに社長は言う。【黄昏】に対する理解が深まって、喜んでいるようにも見えた。


「さて、どうする?」

「……どうするって?」

「この後のことさ。千曲川君。君には三つの道が残されている」


 社長が指を一本立てる。


「一つはこのまま依頼を終わらせる道。事実はどうあれ、ここには受領印の押された『配達依頼書』がある。これを依頼人の桂木かつらぎさんにお渡しすれば、とりあえず一件落着だ。【黄昏】にいる大貫おおぬきさんはそのままになってしまうけど、桂木かつらぎさんは荷物が届けられたと満足し、これからの人生を前向きに生きるだろう。多分、スタンダードでベターな道だ」


 言いながら、二本目を立てる。


「もう一つは、事情をきちんと報告し、依頼が失敗した事を伝えてお引き取りを願う道。桂木かつらぎさんはがっかりするだろうし、【黄昏】の大貫おおぬきさんも放置することになる。でも、どのみち私たちが大貫おおぬきさんにしてあげられることなんてほとんど無いのだから、桂木かつらぎさんには納得してもらうしかない。だれも幸せにならないけれど、ある意味誠実な方法と言えるだろうね。そして最後は……」

「……言うまでもないですね。つまりは一番シビアな道でしょう?」


 最後の指を立てようとしたところで、僕は社長の前に指を立てて遮った。


 一番シビアな道。そんなの決まっている。

 要するに、ハイリスクな「大団円」狙いってことだ。


 僕は、しばらくじっと考えた。桂木かつらぎさんのこと、大貫おおぬきさんのこと、僕のこと、大曲おおまがりのこと。それぞれが抱えていることと、僕らにできること、そして【黄昏】のこと……。


「……社長はどうすべきだと思いますか?」


 しっかり時間をかけて考えた後、真っ直ぐ社長の顔を見据えて言う。言いながら、自分の中ではどうすべきか、いやどうしたいかははっきり決まっていた。


 分からないけれど、この依頼を解決することは、大切な意味を持つ。彼女たちにとっても、僕にとっても、そして大曲おおまがりにとっても。そんな予感がする。


 どんな結末になったとしても、それを見届けなければならない。そう思った。


「……さっきも言ったでしょ。上司は仕事をしないのが仕事だ。仕事をするのは部下だよ。私は、責任をとるだけさ」


 社長は、僕の様子をみてにっこりと笑った。

 その笑顔は、やはり見る人を安心させるものだった。





「おはようございますっすー」


 翌日、大曲おおまがりは普通に事務所にやってきた。いつも通り間延びした声だ。


「……おはよう。大曲おおまがり


 結局、僕は昨日からこの事務所に泊まった。


 桂木かつらぎさんからの依頼を解決するために、今ある情報を整理して、自分なりに推論を立てた。それから自分が何をしなければならないか、何ができるかをできる限り沢山書き出した。結果、ほとんど徹夜になってしまった。


「? せんぱい。なんか変な感じっすよ。なんかあったっすか?」


 大曲おおまがりは僕の顔をしげしげと眺めた。昨日、大曲おおまがりの生い立ちを聞いてしまったせいか、妙にヤツの顔を見るのが気まずい。


「別に、なにもない」


 思わず視線をそらしてしまった。そんな様子を見て大曲おおまがりがさらに騒ぎ立てる。


「怪しいっす! 絶対何かあったっす!」


 そう言いながら大曲おおまがりは事務所の中を歩き回り、丁度僕と社長がしゃべっていたあたりで立ち止まった。鼻をひくひく動かしている。


「におうっす! ここからシリアスの残り香が!」

「そんなもん嗅ぐな」


 犬かお前は。なんだ、シリアスの残り香って。においするもんじゃ無いだろ。


「におうっす! せんぱいのリビドーの残り香が!」

「そんなもん嗅ぐな!!」


 誤解を生むようなことを言うな。職場で僕が何してると思ってんだコイツ……。


 大曲おおまがりは僕の慌てふためく様子をみてケラケラ笑っている。本当に平常運転だ。


 忌々しい限りだが、今日に限ってはありがたい。コイツの過去を色々知って、妙な空気になる方が嫌だった。


「……まあいい。大曲おおまがり、今日は忙しくなるぞ。準備しろ」

「ん? 今日、なんかあるっすか?」


 純粋な瞳で疑問符を浮かべている。本当に昨日のこと、あまり覚えていないのかもしれない。


「昨日の依頼の続きだ」

「昨日……? ああ、桂木かつらぎちゃんのやつっすか? 確かあれはもう終わったはずっすけど……」


 面倒くさそうに大曲おおまがりは頭をかいた。コイツの中では、もう終わった話になっていたみたいだ。


 でも、そうはいかない。


「もう一度行くぞ。【黄昏】。大貫おおぬきさんを説得して、荷物を受け取ってもらう」


 僕がはっきりそういうと、大曲おおまがりは目を見開いた。


「えぇ!? せんぱい、昨日と言ってる事が違うっす! もう大貫おおぬきちゃんはどうしようもないって……」


 珍しく、本気で驚いているらしい。あわあわと口をせわしなく動かしている。


「可能性はある。まずはもう一度、桂木かつらぎさんに事情を聞いて大貫おおぬきさんの未練をはっきりさせるぞ」

「そ、そんな! どうして急にそんなにやる気っすか!?」

「……別に、思い出しただけだ」


 かつての彼女の顔を思い浮かべる。やっぱり顔にはモザイクがかかっていて、全く思い出せなかった。でも彼女と初めて会った時のあの言葉は、まだちゃんと覚えている。


「……込めた想いが届かないのが、一番寂しいんだよ」

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