022「大曲の秘密」

「まさか……大曲おおまがりは……【黄昏】の住人、なのか?」


 自分の口から出た結論に、自分自身が戸惑う。そんな突拍子のない話があるだろうか。


 しかし、社長は僕の顔を真っ直ぐ見ている。口元にはいつもの微笑を浮かべているが、茶化すような雰囲気も、ふざけるような様子もない。その表情は、僕の出した結論が間違いでないことを示していた。


 それなら、僕が言ったことが正しいなら、まさか……。


「もう大曲おおまがりは死んでるんですか……?」


 つぶやくように問いかけると、社長は首を横に振った。


「いいや。彼女はまだちゃんと肉体もある、少なくとも生物学的な意味では完璧に生きている」

「……どういうことですか?」

「簡単な話だよ。君のように生きていながら【黄昏】の中に迷い込み、そしてそのまま【黄昏】の中で生き続けているんだ。何年も、ね」


 こともなげに社長は言った。


 たしかに、僕は生きていながら【黄昏】と現世を行ったり来たりしている。入る時はPTSDを自発的に引き起こす事で【黄昏】に入った時の心境を無理矢理再現し、出る時は強烈な痛みで自分の身体の存在に気づかせている。


 かなり強引ではあるが、そうやって僕は【黄昏】を比較的に自由に出入りすることができる。僕以外にも黄昏運送の社員として社長が連れてきた連中は、皆そうやって【黄昏】に出入りすることができる。社長はそういう才能、いや、疾患を持った人間を見つける眼力があった。


 生きたまま入ることも出ることもできるなら、居続けることも可能と言えば可能だ。


 しかし、そんなこと……。


「そんなこと可能なんですか? 【黄昏】に導かれて、そのまま帰ってくることなく、生き続けているなんて」


 ありえない。そんな話、聞いたことがない。【黄昏】に足を踏み入れた生者は誰もが無事では済まない。


 たった数分入っただけで僕は右目を失ったし、社長に助けてもらえなければ「奇形殺人」の犠牲者の一人として新聞に取り上げてられていただろう。


 なのに、大曲おおまがりは何年も【黄昏】の中にいる? どうして無事でいられるんだ?


「……私がつくった【黄昏】に入る際の『べからず集』、覚えているかい?」

「……もちろんです。『一人で入るべからず』『長居すべからず』それから……」


『何も望むべからず』


「そう。正直最初の二つは最悪の状況を回避するためのものだ。完全に【黄昏】の住人になってしまう前に元の世界に戻るための保険……。このべからずの本質は最後の一つ。『何も望まない』ということだ」


 黄昏の中で何かを望めば、身体はその通りに変貌する。肉体の限界を無視して変形し、結果として現実世界には無残な形の死体が出来上がる。肉体を失った住人は、他の住人たちと同様、望んだものを未練として永遠に追い続けることになる。


 それが【黄昏】、誰もが自分を見失う【誰そ彼】の世界だ。


「そこまで分かっているなら話は簡単だよ。彼女が何年も【黄昏】の中で生き続けている理由は……」


 つまり、それは……。


「……ずっと、何も望んでいない、からですか?」

「そうとしか考えられないね」

「そんな」


 そんなはずない。生きていて、何年も何も望まないでいることなんて。


 そう思いながら、一方で、どこか納得している自分もいた。


 大曲おおまがりの言動、態度、行動に共通していた、病的なまでのテキトーさ、驚くほどの後先の考えなさ、怖いくらいの投げやりさ……。


 そんな風に生きられるのは、この世について何の期待もしていないから。


「私も色々な社員を見て来たが……こんなタイプは見たことがなかった。初めて彼女を見た時、偶然街中で見かけた時は本当に驚いた。そんなことが可能なのかと心底衝撃を受けたよ。思わず『君の瞳に惚れた、君のことが欲しい!』なんて、年甲斐もなく愛の告白同然の台詞を言ってしまった」

「……ヤツはどんな反応だったんですか?」

「ん? なんの驚きも警戒もせずに元気にほいほい付いてきたよ。その反応である私の予感は確信に変わった。この子は『この世界に何の望みも持っていない』ってね」


 社長に嘘を言っている様子はない。多分、本当に大曲おおまがりは社長の言葉にそそのかされて付いていったのだろう。


 普通だったらあり得ない話だ。街でいきなり声をかけてくる怪しい男の言葉を信用するなんて。ましてやそのままその男の会社に就職するなんて。どう考えても危険過ぎる。


 でも、大曲おおまがりはそれをやってしまう。できてしまう。


 大曲おおまがりだって社長についていく危険性を認識していなかったわけではないだろう。多分ヤツは、その危険性を分かった上で付いていったのだ。


 その先で、犯罪に巻き込まれようが、強姦されようが、殺されようが、大曲おおまがりはどうでもいいと思っていたのだろう。


 自分がどうなろうが、何の興味もない。そんな危うさが大曲おおまがりにはある。


 自分が幸せになることを全く求めていない人間。

 この世界に何も望んでいない人間。

 何も望んでいないがゆえに、何でもできてしまう人間。


 そんな人間だからこそ、大曲おおまがりは何年も【黄昏】の中で何年も生きながらえている。


「……どうして、どうしてヤツはそんな風になってしまったんでしょう」


 純粋な疑問だった。どんな経験をしたら、どんな人生を送ったら、そんな人間が出来上がってしまうのか。


 僕のつぶやきに、社長は痛みを我慢するような、つらそうな表情になった。


「……一家心中の生き残りなんだ。彼女は」

「え……」


 社長は一つ深い息を吐いた後、とうとうと話始めた。




————彼女から直接聞いたわけじゃないよ。知っての通り彼女の言う事は一つも信用できないからね。彼女の名前から調べさせてもらった。一応、雇用主だからね。従業員の経歴くらいは調べるよ。


 新聞や雑誌の記事を探して調べた程度の内容だから、詳細は分からない。大曲おおまがりちゃん本人も語らないだろうから、真相は闇の中だ。ただ、事件の概要は至ってシンプルな心中事件だよ。


 当時、大曲おおまがりちゃんは小学二年生だったそうだ。お父さんとお母さん、それからお兄さんが一人の四人家族。家族仲は良好だったそうだよ。お父さんは小さな印刷業を営む社長さんだった。私と同じだね。規模も小さくて稼ぎも少ないけれど、社員はいたし、貧しいながらも家族を養えるぐらいの収入はあった。


 ただ、今はペーパーレスの時代だからね。普通の運送業から撤退せざるを得なかった私が言うのもなんだけど、彼の会社は時代に乗り遅れた。徐々に減る取引先、厳しくなる納期に苦しい資金繰り……。ははは。ちょっと他人ごととは思えないね。


 あとはおきまりパターンさ。事業の失敗、不況のあおりを受けての倒産、借金苦、とまあニュースにもならないくらいありふれた話だ。もちろん、当事者にとってはそんな風にまとめられるのは心外だろうけど。


 ある日、小学校から帰った大曲おおまがりちゃんは、ご両親から旅行に行くと言われて車に乗った。車はレンタカーだったそうだ。もちろん、それが旅行なわけも無く、何のひねりもない練炭自殺だ。


 ご両親の様子がおかしいことを不審に思ったレンタカー会社が機転を利かせたことで、車はすぐに発見された。火を付けてからそれほど時間が経っていなかったおかげで、一家にはまだ息があり、全員すぐに病院に運ばれた。


 残念ながらご両親とお兄さんは亡くなったが、奇跡的に大曲おおまがりちゃんだけは生き残ることができた……。


 これが事件の大まかな内容だよ。新聞記事にすれば五センチに満たないベタ記事さ。


 当時の大曲おおまがりちゃんが「一家心中」なんて言葉を知っていたか。ご両親がどういう心境で自殺に踏み切ったか。どうして子どもまで巻き込んだか。大曲おおまがりちゃんはどう思っているのか。酸欠の車の中で大曲おおまがりちゃんが何を思ったのか。今となっては何も分からない。


 でも、この事件が彼女の人生に致命的とも言える影響をあたえた事は間違いない。


 おそらく、その事件からずっと、大曲おおまがりちゃんは【黄昏】の中に居続けているんじゃないかと私は思っている。

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