001「大曲ななみ」

「せんぱいせんぱい」

「なんだ大曲おおまがり


 大曲おおまがりの妙に間延びした声が部屋の中に響く。黄昏運送の事務所には僕と大曲おおまがりしかおらず、今日もお客は一人も来ていない。


「せんぱいの将来の夢って何だったっすか?」

「……社会人になってから聞かれると途端に切ないなその質問。急になんだよ」

「いえ、あまりにも暇すぎてちょっと気になったっす。どんな夢を持った人間が、どう落ちぶれたらこんな職場に流れ着くのかなって」

「落ちぶれるって……まあ否定はしないけど」

「で、何かあるっすか? 将来の夢」

「……むしろ、大した夢も持たずにズルズル生きて来たからこんな風になってしまったのかもしれないな」

「あらら、それは良くないっすね。夢を見るのに遅いってことはないっすよ! 夢を見続けて頑張ってる姿に、女子はときめくものっす!」

「そんなもんか……じゃあ、そこまで言うお前の見る夢はなんだ」

「プリキュアっす!」

「……早く目を覚ませ」


 僕の後輩、「大曲おおまがりななみ」と半年間一緒に仕事をして分かったことは、コイツが脳ではなく脊髄で会話しているということと、先輩である僕、千曲川ちくまがわあきおに対して何の敬意も払っていないという事だった。むしろ、それ以外のことはほぼ何も分かっていない。


 大曲おおまがりの外見について少しだけ触れておこう。身長が170センチほどあり(忌々しいことに僕よりも10センチ高い)女性としては高身長。身体つきは柳の木のように細く、手足も長い。モデル体型といえなくもないが、ひどい猫背である。髪は腰までの長さの茶髪で、一つ結びにしている。


 顔立ちはそれなりに整ってはいて、黙っていれば美人と言えなくもない。しかし、思いついたことを考え無しに喋るため、黙っている時間が極端に短く、そのポテンシャルが生かされたことは今のところない。


「ところでせんぱい、ずっと気になってたことがあるっすけど」

「……なんだよ」

「せんぱい、なんでずっと眼帯なんてつけてるっすか? 初めて会った時からつけてたっすけど」

「これまた突然だな」


 大曲おおまがりの言う通り、僕の右目には黒い眼帯が付いている。自分で言うのもなんだが、僕は特段語ることのないような平凡な顔立ちをしているため、この黒い眼帯は必要異常によく目立つ。僕の顔面におけるアイデンティティーを一手に引き受けているために、眼帯を外すと、街中で僕を識別することは長年の友人であっても困難に思われた。


 そんな僕のランドマークともいえるような眼帯について、なぜ出会ってから半年以上たった今になって聞くのかという疑問が浮かぶが、大曲おおまがりはノリとテンションのみで会話をしているため、話題が唐突なのも、話している内容が突然切り替わるのも日常茶飯事だった。いちいち気にするのは体力の無駄遣いである。


「いや、何となく気になったっす。もしかしてオシャレっすか?」

「オシャレで眼帯なんか付けないだろ……」

「じゃあ、何かのビョーキっすか?」

「……」


 少し答えに窮する。これだけ目立つ位置につけておいて恐縮なのだが、僕にとって眼帯の原因は、あまり触れられたくない部分だった。若気の至りというか、自業自得というか……。何にせよ、説明するのが難しく、説明したところで理解されることはないような話である。なので、この手の質問はいつも適当にはぐらかすことにしている。


「……まあ、病気っちゃ病気だな」

「大変っすね。原因とかあるっすか?」

「……この世の摂理に反したから、かな」

「あ! そーいうビョーキだったすね! 了解っす!」


 自分でもどうかと思うほど雑なはぐらかし方だったが、大曲おおまがりはケタケタ笑うだけで、特に追求してこなかった。捉え方によっては、詮索して欲しくないという僕の意図をくみ取ってくれたように見えなくもないが、大曲おおまがりにそんなソーシャルスキルがあるわけがない。単純に僕が思春期で患う精神疾患を未だに完治出来ていない哀れな人類であるということに納得しただけだろう。大曲おおまがりはそういう人間だ。


「というかな、大曲おおまがり。その『っす』ってのやめろって言ったろ? 目上の人相手だとに失礼にあたるから」

「そんな! せんぱい冷たいっす!! あたしとせんぱいの間には上下関係を超えた強い絆があるはずっす! 同じ釜の飯を食った仲じゃないっすか!」

「同じ釜? 身に覚えがないけど……」

「この前一緒にラーメン食べに行ったじゃないっすか!」

「……ラーメン屋の電気ジャーはノーカウントだろ」


 あんなもん「同じ釜」扱いしてたら街中の連中と絆が生まれてしまう。がんじがらめだ。


「別に僕相手は今更どうでもいいけどな、社長とかお客さんにはやめろよ」

「え~。なんでっすか? 『っす』は敬語っすよ敬語。体育会系では由緒正しき敬意を表す言葉っす!」


 安っぽいキャスター付きの椅子に体重を預け、ぎこぎこと嫌な音をさせながら、大曲おおまがりは軽い調子で言う。


「え、お前、体育会系だったの?」


 意外である。大曲おおまがりは、身長は高いが身体の凹凸は少ない。というか全身が細すぎる。とても何か運動をしてきたような身体には見えなかった。


 意外な事実に僕が驚きを隠せずにいると、大曲おおまがりは椅子から勢いよく立ち上がって、妙に得意げに腰に手を当てて胸を張った。


「そっすよ! これでも地元では『双葉二中のGHQ』なんて二つ名がついてたほどのユーメー人だったっす! 上下関係も、その中で叩きこまれたっす!」

「おお、すごいな。ちなみに何部だったんだ?」

「帰宅部っす!」

「おい!」


 あまりにも悪びれもせず言うので、ついつい大きな声が出てしまった。帰宅部は部活じゃないし、当然帰宅部の上下関係は端的に言って無関係だ。いろんな思いを込めて言った「おい」だったが、大曲おおまがりはケタケタ笑っただけだった。


「いやー。千曲川ちくまがわせんぱいは反応いいから楽しいっすね」

「からかうな……なんだったんだよ『GHQ』って……」

「Go Home Queenの略っすね。皆あたしの帰る速度にビビり散らしてたっす」

「ちょっと凝ってるのが癪だな……」

「帰るの速すぎて『来てるの気づかなかった―』ってよく半笑いで言われたっす」

「いじられてるよそれ……」

「『え、なんで来てんの?』とも真剣に言われたっす」

「いじめられてるよそれ……」

「そんなことないっす! ひたすらに速い帰宅を目指すその姿はまさしくアスリートっす。ひたむきに頑張る学生を誰も笑ったりしないっす」

「頑張る方向間違ってるけどな……」

「速度を追求しすぎて、最後は家から出なくなったっすね」

「もう不登校じゃん……」


 与えられた情報を結び付ければ、「いじりがいじめに発展して学校に行けなくなった」という結構深刻な問題のはずだ。が、これすらも大曲おおまがりの笑えないギャグなのかもしれない。


 大曲おおまがりが発する言葉は8割が嘘であり、2割が性質の悪い嘘だった。彼女との会話は本筋と脇道、虚構と事実を縦横無尽に駆け巡るため、どうにもつかみどころがない。聞き手が話の内容を見失うのはしょっちゅうだったし、大曲おおまがり本人も自分が何を話していたかを忘れてしまうことがよくあった。


 あまりにもテキトーなことばかり言うので、正直、大曲おおまがりが本当はどういう人間なのかは今でも何も分かっていない。


 僕がこの大曲おおまがりという人間に対して一切の希望的観測を持たなくなったのにはきっかけがある。忘れもしない、約半年前、彼女と初めて言葉を交わしたあの日だ。


 読者諸君。話のテンポが悪くなって大変申し訳ないのだが、ほんの少しだけ回想に付き合っていただきたい。そうしないと僕の気が済まない。それほどまでに、大曲おおまがりの第一印象は僕にとって(悪い意味で)衝撃的であったのだ。

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