黄昏ロジスティクス

1103教室最後尾左端

プロローグ

ロジスティクス【logistics】

①兵站(へいたん)

②運送業の一種。単に運ぶだけでなく、運ぶものや運び方、使い道まで踏み込んで総合的な物流をデザインすること。


――――――――――――――――――



「今日からここが君の職場だよ」


 当社社長、曲淵由吉まがりぶちよしきちにそう言われた時の感覚を僕、千曲川ちくまがわあきおは一生忘れることはないだろう。


 長く苦しい就職活動を終えた解放感ではない。

 新しい世界に踏み込む不安や期待の入り混じった緊張感でもない。


 それは、それなりに絶望しきっていたはずの僕の人生に、まだ絶望の余地があったという事実への驚きであった。


 そして信じがたいことに、その驚きは現在進行形で更新され続けている。



 「黄昏運送」は都内のとある雑居ビルに居を構える、しがない運送会社だ。その「しがなさ」は筆舌に尽くしがたく、当社に丸二年勤めている僕でさえもその全貌はつかめずにいる。


 黄昏運送の汚点を挙げればきりがないのだが、まず特筆すべきはその外観である。黄昏運送のはいる雑居ビルは、廃墟の名を冠するのに相応しい由緒正しきおんぼろビルである。かつては愛らしいクリーム色だったであろうタイル張りの外壁は、長年日の光や雨に晒されて色落ちしており、その黄ばんだタイルは不潔な中年男性の前歯を想起させた。


 建物のつくりもどこか頼りなく、壁面にヒビこそ入っていないものの、建築基準法の一つや二つは当然に出し抜いていると思われ、住民たちは建物に負担をかけないよう、抜き足差し足で移動した。また、このビルは四階建てであるにもかかわらずエレベーターなどという甘えた装置はついていない。「誰もが使いづらい」というバリアフリーと対極の考え方で人々に平等をもたらしている。


 そんなビルであるから、まともな利用者が集まるわけもない。ビルの中には黄昏運送の他に、怪しい写真家の事務所や正体不明のスポーツの振興協会、謎の新興宗教の本部などがひしめき合っており、胡散臭さの濃淡はあれど、この世の混沌をぎゅっと集めたような密度の濃い空間となっている。


 類は友を呼ぶ。しかし、類で呼べる友は大体悪友である。


 ちなみに、ビルの名前は「希望ビル」だ。皮肉だとしても質が悪すぎる。


 また、黄昏運送の内部も外観に負けず劣らずひどい。「人は外見ではなく中身だ」などと言う流言飛語が飛び交う世の中ではあるが、この会社の内部を見て同じ言葉を吐ける人間はそうそういないはずだ。


 中小規模の運送業者といえば、毎日大量の荷物が集まり、集荷場はいつも段ボールで埋め尽くされ、それらをトラックに積んでは運び、積んでは運ぶを繰り返す……そんな姿がイメージだろう。


 しかし、黄昏運送は違う。何もかもが違う。


 黄昏運送の事務所は、受付と応接室があるだけの大変簡素なつくりになっている。運送会社のくせに荷物を捌く集荷場もなければ、運送用のトラック・リアカーの類もない、現代のオフィスの必需品ともいえるパソコンも設置されておらず、WiFiどころか電話線もない。あるのは椅子と机と申し訳程度の文房具、それから仕事に使う書類くらいだ。


 僕自身、曲淵まがりぶちさんに連れられて、過激派ミニマリストの襲撃でも受けたかのようにスッカスカの内装を目の当たりにしたとき、「こんな設備で仕事なんてできるのか?」という至極まっとうな疑問を抱いた。


 が、黄昏運送には滅多に客が来ないので何の問題もなかった。

 何の問題もないことが大問題であることは言うまでもない。


 かように「しがない」姿に成り下がっている黄昏運送だが、最初からこのような超零細企業であったわけではない。当社の衰退が加速度的に進んだのは、ついここ数年の出来事である。


 かつてこの黄昏運送は地元の商店街の仕入れや、工場同士の部品の運送など、地域の経済に根差した配達を行っていたらしい。地元後援会や町内会とも太いパイプを持ち、地域密着(正確には癒着、あるいは粘着)型の経営をしていた、と曲淵さんから聞いている。いわば、地域経済の物流拠点として機能していたとのことで、当時は「希望ビル」ではなく別の拠点に事務所を構えており、普通に集荷場もトラックもあったそうだ。


 が、諸行無常が世の常である。時代の流れとともに商売の形は大きく変化した。駅前の巨大ショッピングセンター、運送業務を自社で行う大企業、巨大なリュックを背負って荷物を運ぶ自転車たち……。


 そんな激動の物流界隈に完全に後れをとった黄昏運送は、あれよあれよという間にかつての地位を失った。仕事はどんどん減り、拠点を追い出され、ついには希望とは口だけの粗末な雑居ビルの一室に流れ着いたのだそうだ。


 ちょうど僕が就職活動(「活動」というにはいささか非活動的であったと言わざるを得ないものだったが)を終え、入社した時にはすでに手遅れであり、黄昏運送はすでに運送事業からほぼ撤退していた。


 「運送業」から「運送」を差し引けばそれはまさしく「業」そのものだ。黄昏運送はまさしく「かるま」として社会の末席を穢していた。


 さて、ここまで黄昏運送の業況を説明すれば、自然といくつか疑問が浮かぶはずだ。


 なぜこの会社がまだ存続しているのか。

 なぜ僕がこの会社に入ったのか。

 なぜ僕がこの会社を辞めていないのか。

 

 後半二つについては後々語るとして、とりあえず最初の疑問についてはお答えしておく必要があるだろう。


 当たり前のことだが、役割がなくなった会社、つまりは誰からも必要とされなくなった会社は、この社会から退場する。


 逆に言えば、ほんの少しでも役割がある限り、誰かから必要とされる限り、会社は生き残る。


 普通の荷物を運ばなくなっても、黄昏運送にはまだ役割が残っていた。この会社を必要とする人がいた。そしてその需要は、多分どんなに時代が変わってもなくならない。


「死者に荷物を届けること」。それが黄昏運送の仕事だった。


 この話は、僕、「千曲川ちくまがわあきお」とその後輩、「大曲おおまがりななみ」が担当した、とある配達の一部始終の記録である。


 奇妙で、非科学的で、不可思議な話だ。

 まともに受け取らず、話半分で聞くことをおすすめしておく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る