スイートホーム・愛しい我が家

滝田タイシン

スイートホーム・愛しい我が家

 俺は我が家が大好きだ。


 土地百十平米建物八十五平米。庭と言える程立派な物ではないが、少し植木を楽しめるスペースがあり、両隣の建物とも十分な距離がある。


 とても豪邸とは言えないが、県営住宅で育ってきた俺からすれば憧れの持ち家であり、愛しい我が家なのである。それが気が遠くなるような35年ローンで手に入れた中古住宅であってもだ。


 家を購入して以来寄り道せずに真っ直ぐ帰るし、休日も出掛ける事も少なくほとんどの時間を家で過ごしていた。妻や娘には文句も言われるが誰に迷惑を掛ける訳でもない。家の柱や床など傷を補修したり、縁側に座り日向ぼっこしながら植木や花を眺めたりしているだけでストレスが解消されるのだ。


 トイレも凄く気に入っている。広すぎず狭すぎずシャワー便座はいつも適温で、落ち着きすぎてついつい時間が長くなる。俺はいつも出勤前に大きい方をする習慣があるのだが、居心地良過ぎて遅刻しそうになる。



 そんなある日の出勤前の事。


 いつもの様にトイレで座っていると、ピンポンとチャイムの鳴る音が聞こえた。家の奥でドアフォンで会話をしているのか、何やら妻の紗江子さえこの声が聞こえる。すぐに紗江子が玄関に来てドアを開けた。


「こちらがお荷物です。判子かサインお願いします」


「ご苦労様です」


 トイレは玄関を入ってすぐの場所にあり、俺はぼんやりと紗江子と来客者のやりとりを聞いていた。


 どうやら宅配便が届いたらしい。そう言えば実家の母が荷物を送ると電話して来た事を思い出した。こんな朝早くに来る物なのかと不自然に感じたが、時間指定だったのかもしれないと考えた。


 用を済ましてトイレから出るとダイニングに荷物の確認に行った。きっと俺の好物のういろうも送られて来ているだろう。


「宅配便の荷物、母さんからか?」


 テーブルの朝食の後片付けをしている紗江子に声を掛けた。


「宅配便?」


 何を言っているんだろうと言うようにキョトンとした表情で紗江子は答えた。


「いや、今来てただろ? 宅配便。荷物が届いたんだろ?」

「宅配便って、こんな朝早く来る訳ないじゃない」

「い、いや、それは時間指定とかで……」


 何かがおかしい。なぜとぼけるのだ?


「俺はトイレで宅配便が来たのを聞いてたんだよ。荷物が届いてるはずだろ?」

「えー来てないわよ、私はずっとここに居たもの誰も来ていないわ」


 なぜ頑なに認めようとしないのだ? 俺は確かに聞いていたのに。だんだん腹が立ってきた。


「そんな筈は無い。お前は玄関に来ていただろ?」

「もう、トイレで寝惚けていたんじゃないの? そこまで言うなら荷物を探して見なさいよ! 来ているんなら有る筈でしょ!」

「あー分かったよ! お前がそう言うのなら探してやるよ!」


 売り言葉に買い言葉で紗江子まで怒り出した。俺も頭に来てリビングや寝室などを探したが荷物は見つからない。


 やはり何かがおかしい。荷物が見つからないのもそうだが、紗江子の様子から嘘をついているとは思えないのだ。


「見つからないでしょ?」

「……見つからない」

「そりゃそうでしょ。来てないんだもの」


 紗江子が、「それ見た事か」と言わんばかりの表情で言った。


「もう遅刻するから行くよ」


 俺は納得していなかったが、これ以上どうしようもないし、本当に遅刻するので会社に行く事にした。


「もう、大丈夫? しっかりしてよ。事故に遭わないでね」


 心配そうな紗江子に見送られ家を後にした。



 仕事が終わり駅からの帰り道。俺はとぼとぼ歩きながら今朝の事を考えていた。 

 

 俺は確かに紗江子と宅配便の配達員とのやりとりを聞いた。あれは幻聴とかのレベルではない。確かに荷物は家に届いていたはずだ。


 だとすれば考えられるのは紗江子が荷物を見つけにくい場所に隠したという事だ。おそらく荷物は母からだろう。母からの荷物をなぜ隠す? 紗江子が隠す理由がない。


 もう一つ考えられるのは、荷物が母からではなく、紗江子が俺に内緒で注文していた物の可能性だ。紗江子が俺に言えない様な物を買うとは思えなかったし、もしそうであったなら俺に荷物の事を聞かれた時にもっと動揺していたはずだ。それに俺に隠しておきたいなら時間指定で届けてもらうだろう。


 結局答えは出ず、もやもやだけが心に残った。



「ただいま」


 家に帰り玄関で靴を脱いでいると、紗江子が奥から出迎えてくれた。


「おかえりなさい。はい、これが欲しかったんでしょ?」


 紗江子はいきなり玄関でういろうを俺に差し出す。


「あっ! やっぱり……」

「違うわよ! 昼前に届いたの」


 「今朝荷物が来てたのか」と言うのを予想していたかの様に、紗江子が俺の言葉を遮って言った。


 どう見ても紗江子が嘘をついているようには思えない。俺は「そうか……」と一言だけ言いそれ以上は言葉を飲み込んだ。


 完全に矛盾しているが、荷物は昼前に届いたのだろうし今朝トイレの中で聞いた宅配便の事も幻聴ではない。俺にはどちらも真実としか思えなかった。



 次の日の朝。


 俺はいつものようにトイレの中にいた。


 座って用を足してると昨日の事がリアルに思い出される。もう忘れた方がいい、実害は何も無いのだからと自分を納得させようとしたその時。


「ただいまー!」


 玄関ドアが勢い良く開く音がして、元気で明るい声が響いた。


 聞こえてきたのは娘の沙希さきの声。小学校三年生の元気で明るい女の子だ。


 でも待てよ。沙希は十分ぐらい前に学校に行った筈だ。いや筈もなにも、俺が玄関まで見送ったのだから確かな事だ。何か忘れ物でもしたのだろうか?


「おかえりー」


 紗江子が奥から出迎えに来たようだ。


「お母さんお腹すいたー! おやつ何?」

「もう、ちゃんと手を洗ってからよ。テーブルにホットケーキを用意してあるからね」

「やったー!」


 んん? 何か変だ。なぜ紗江子は沙希が急に帰って来たのに何も聞かないんだ?


 それにおやつって何だ? さっき朝ごはん食べたばかりなのにもうおやつって。だいたい紗江子はいつホットケーキを用意したんだ?


 俺は訳が分からなくなりとにかくトイレを出る事にした。


 トイレを出るなりダイニングに向かったが、沙希はいなかった。


「沙希が帰って来てただろ? どこに行ったんだ」


 テーブルの朝食の後片付けをしている紗江子に声を掛けた。


「沙希が帰って来た?」


 何を言っているんだろうと言うようにキョトンとした表情で紗江子は答えた。


 俺は軽いデジャヴを感じた。いやデジャヴと言うより昨日のまんまだ。すごく嫌な予感がした。


「沙希ならさっき学校に行ったでしょ? あなたが見送ってたじゃない」


 俺は言葉を失った。沙希は帰っていないのだ。


「どうしたの? 気分が悪いの?」


 紗江子が心配そうに俺の顔を見ている。


「あ、ははは……なんだ夢だったのか!」

「夢?」

「そう、夢。トイレが居心地良過ぎるんでついうつらうつらしちゃうんだよ」


 かなり強引だが笑いながら誤魔化した。


「もう、驚かさないでよ。昨日から気になっていたんだから」

「ごめんごめん。遅刻するからもう会社に行くよ」


 これではっきりした。紗江子は嘘をついてはいない。どういう訳か、俺が聞いた来訪者はトイレの外では来ていなかったのだ。


 だったらこれ以上紗江子に心配させても仕方が無いので誤魔化すのが一番だ。頭の中は混乱しきっているが、取り合えずその場は切り抜けた。



 次の日からも朝にトイレで用を足していると現実では来ていない来訪者の音が聞こえた。


 宅配便であったりセールスマンであったり沙希であったり。中には今家に居るはずの紗江子が帰って来たりもした。


 俺は気が狂ってしまったのかと思ったが、この事以外は何も異常は無い。金が有る訳じゃないが、仕事も順調で家族も仲が良く家は相変わらず居心地良かった。


 幻聴は全く実害が無いので考え過ぎないようにした。考え過ぎると余計に気が変になりそうだし、愛すべき我が家で起こった現象が俺に悪く作用するとは考えたくはない。きっとこの事が良い事につながるさ、と気楽に考える事にした。


 毎日幻聴を聞いていると法則が有る事に気が付いた。来訪者の音が聞こえる事は分かっていたが、全く非現実的な音と言う事ではない。音で聞いた来訪者はその日の内に必ず現実として訪れていたのだ。しかもその来訪者は俺がトイレに入った後一番最初に訪れていた。だが、それが分かったからと言って何か有効に使える事もなく普通の日常になっていった。



 初めてトイレで幻聴を聞いてから一月程たった平日のある日、俺は上司からの指示で有給を取得していた。


 最近はすぐブラック企業に認定する世間の風潮もあって、有給も強制的に取得させられる。残っている有休を消化しろと言う事で年度末が近づいてきた平日に指示があったのだ。


 給料は少ないが、平気でサービス残業させる企業と比べれば幸せなんだろう。元々酒も女遊びもギャンブルもしない、お金を使わない人間なんで家のローンがちゃんと払えて生活が出来れば十分だ。


 紗江子はママ友と入っているサークルの日帰り旅行が今日だったので朝早くから出て行った。なので今日は沙希が帰って来るまで一人のんびり家で過ごせる。リビングのソファで寝転び録画していたドラマや映画を観るのも良いし、日当たりの良い場所で昼寝するのも良い。想像するだけで俺のテンションは高かった。


 まずは日課である朝のトイレにいる。


 今日は誰が最初に来るのだろうか? 順当に行けば沙希か。紗江子もランチを食べに行くだけのような旅行なので夕方までには帰ってくると言っていたから早いかもしれない。セールスマンとかは嫌だな。少なくとも家族が帰って来るまでは一人の時間を邪魔されたくない。


 そんな事を考えていると、ピンポーンとチャイムが鳴った。誰も出ない。俺が外出しているとは思えないので居留守をしているのだろうか?


 すると、カチャカチャとした金属音に続きガチャリと玄関ドアが開いた。


「おーい誰か居ませんか?」


 聞いた事のない男の声がした。まさかセールスマンが勝手に入って来たのか? なんて奴だ! と俺は怒りを覚えた。


「ほら、誰も居ねえだろ」

「まあ俺は居ても構わないんだけどな」

「まったくお前は乱暴な奴だよ。居ない方が楽じゃねえか」


 ゴツゴツと靴音を立てて男二人が家に入って来た! 土足で入って来てやがるぞ。こいつらセールスマンじゃない! 泥棒だ!


 俺は慌ててトイレを出ようと思い、まだ用を足す前だったのですぐズボンを履いた。だがトイレを出る寸前にふと思い出した。そうだこの聞こえている音は今じゃない、これから先の未来の音なんだ。


 俺はもう一度便座に座り直した。


 落ち着けこれは今じゃないって事は準備さえすれば防げるんだ。そう思った時に気が付いた。もしかして、今までの不思議な現象はこの時の為に家が俺に聞かせていたのかも。そう思うと嬉しくなった。大切にしていた我が家が恩返ししてくれた気がしたからだ。


 絶対に泥棒を捕まえてやる。


 俺はトイレに掛けてある時計を見た。今で二,三分くらいか。家の奥では何やら物色する音が聞こえる。


 警察を呼べばどれくらいの時間で来るのか? 殺されそうとか大袈裟に言えば五分くらいで来るのだろうか?


「結局大した物はねえな! しけた家だぜ」


 家の奥から声がした。もう終わったのだろうか? まだ五分くらいしか経っていない。


「お前またそれすんのかよ」

「へ、マーキングって奴だ。俺ぐらいになるとちゃんと来たって証明はしとかないとな」


 何やら話し声と同時にガリガリと音がしたと思うと、間もなく二人は出て行った。


 思ったより早かった。長くても七分くらいの時間か。


 これじゃあ、奴らが来てから警察を呼んでも逃げられる恐れがある。かと言って何も事件がない所に警察を呼んでもすぐ帰ってしまうだろう。


 捕まえるのは諦める方が良さそうか。


 玄関ドアを開け、家の前でリクライニングチェアに座り本でも読むか。三月でまだ少し寒いが厚着すれば大丈夫だろう。捕まえられなくても防げれば良い。家を土足で踏みにじられる事もないし。


 考えがまとまり俺はトイレを出た。


「あああ!!」


 トイレを出て驚いた。


 廊下は土足で歩いた泥にまみれていた。奥に行くとあらゆる引き出しが開けられ中身がひっくり返されていた。


 信じられない事だった。たった今聞いていた泥棒達の様子はリアルタイムだったのだ。


 なぜ? なぜこんな肝心な時にだけリアルタイムだったんだ?


「ちっ! くそ!」


 俺はリビングの柱に拳を叩き込んだ。


 柱はするどい刃物の様な物で削られ傷付けられ無残な姿だった。


「ううう……なんで……なんでだよ……」


 涙が込み上げて来た。泥棒に入られた事より大切にしていた我が家に裏切られた気がしたからだ。



 しばらくは動く気になれなかったが、一時間程してからようやく警察を呼んだ。


 近くの派出所から数名の警察官が来てくれたが、柱を見ると慌ててどこかへ連絡していた。


 しばらくして大勢の警官と背広姿の男が来て家を調べ出す。


 ある程度調べたのか、背広姿の男が俺に話し掛けて来た。


「すみません、この家のご主人さんですね? 私県警捜査一課の田所と言います。少し話を聞かせていただけますか?」

「捜査一課って……ただの空き巣に出てくるものなんですか?」


 捜査一課って確か強盗や殺人など強行犯罪を調べる部署だったはずでは?


「ご主人さん、偶然散歩に出ていたそうですね」

「は、はい……」


 俺はトイレにこもっていたとは言えず、散歩に出ていたと警官に説明していた。


「あなた運が良い。この犯人は最近県内を荒らしている強盗一味でして、基本は空き巣だが人がいたら強盗に早変わり、拷問して金目の在り処を聞き出し、最後には殺人までする質の悪い奴らなんですよ」

「ええ!!」

「この柱の傷が証明です。人がいない場合はこうやって柱を傷付けて代わりにするんですよ。サディストな奴なんです」


 刑事さんは柱を見ながら俺に説明してくれた。


 なんて事だ! 俺は思い違いをしていた。家は俺を守ってくれたのだ。


 不思議な現象を聞かせる事により、その音は未来の音だと信じこませ、俺をトイレにこもらせてくれたのだ。


 もし俺がリアルな出来事だと思っていたらトイレから飛び出し、今頃は殺されていたかもしれない。


 しかも家は自分自身の柱を俺の身代わりにしてくれたのだ。


「ありがとう、ありがとう!」


 俺は柱にしがみ付き泣いた。


「ど、どうしたんですか!」


 刑事さんが驚いて俺に尋ねたが、俺は答えずひたすら柱にしがみつき泣いていた。



 次の日、俺は事情を説明して有給を一日延長してもらった。そしてホームセンターに行き、木工用パテやスプレーニスなどを買い込んだ。もちろん柱の補修をする為だ。


「なんだか嬉しそうね」


 柱を修繕していた俺に紗江子が話し掛けて来た。


「この家はどんなに老朽化しても絶対に建て替えないぞ。修繕して修繕して代々受け継いで行くからな」


 俺はそう宣言した。


 我が家が前よりも、もっと大好きになっていた。


                 了

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