第6話 意外な特技

 夕日が照らす教室の中、少年は白いセーラー服を着たポニーテールの少女と向き合い、頭を下げた。


「ごめん。俺、他に好きなヤツができたから……」

 その告白に、ポニーテールの少女は顔を曇らせる。

「……そうなんだ。優、今日はひとりで帰るね」

 悲しそうな表情をした少女が、加村優の元を離れていく。


 

 その直後、少年は少女の姿でベッドから跳ね起きた。


 荒くなった息を整えた少女は、細くかわいらしい右手で自分の額に手を置く。



「俺、間違ったことはしてないんだよな?」


 そう呟いた芽衣の姿の優は、ベッドから起き上がり、少女の部屋から出て行った。



 夢のような出来事から一晩が明け、加村優は洗面台の前にある鏡の前で溜息を吐き出した。

 鏡に映り込むのは、男子高校生の姿ではなく、美少女な女子高生。

「やっぱり、夢じゃないな」

 顔を洗い、鏡の前で松葉芽衣の顔を加村優が両手で触る。

 その柔らかい感触は現実のモノ。優は鏡に映る芽衣の顔をジッと見つめた。

 

 このまま、本当の自分が好きな少女として生きるしかないのか?

 

 不意に浮かび上がる不安を胸に抱えた優は、芽衣の首を左右に振る。


「大丈夫……」

「なにが大丈夫なの?」と背後から聞き覚えのある声が聞こえ、加村優はハッとした。

 鏡を覗き込むと、背後に杠叶彩がいるのが分かる。

「叶彩……さん。えっと、おはようございます」

 鏡に背を向け、松葉芽衣の姿の加村優が、同居人と顔を合わせる。

「芽衣ちゃん、おはよう。じゃあ、早速、やっちゃおっか♪」

 笑顔になった杠叶彩は、親戚の娘の前で両手を広げてみせた。そんな仕草を前にして、松葉芽衣の姿の優の思考回路が停止する。

「えっと、何だっけ?」

「朝のハグタイムですよ。毎朝、芽衣ちゃんとハグすると、元気が出るの! さあ、今日も学校でお仕事する親戚のお姉ちゃんのために、抱擁を交わそうではないか!」

 目を輝かせた杠叶彩が親戚の娘との距離を詰めてくる。

「そっ、それだけは勘弁して!」

 芽衣の顔で引き顔になった優の中で、人気のある担任教師の姿が壊れていく。

 一方で、珍しく拒否された杠叶彩は引き顔になっている親戚の娘と顔を合わせ、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。


「ああ、そういうことか。好きな男の子しか抱きたくないってことね」

「はい?」

 思わぬ方向へ行き、松葉芽衣の目が点になる。

「そういう心境の変化なんでしょ?」

「そうなの。私、好きな子ができて……」

 杠叶彩の見解に話を合わせ、誤魔化す芽衣の前で、杠叶彩は両手を1回叩く。

「ああ、さっきの大丈夫発言って、その子とちゃんと付きあえるのかってことなんだ。そういう恋愛相談なら任せて!」

「ああ、また今度相談するよ」

 松葉芽衣の姿になった加村優は、洗面台から立ち去ろうとして、杠叶彩の真横を通りすぎた。そんな親戚の娘の後姿に抜け、杠叶彩は右手を前に伸ばし、呼び止める。


「あっ、もう1つだけ。芽衣ちゃんの好きな子って誰? その子が芽衣ちゃんに相応しい子かちゃんと見極めてあげるから、教えてよ」

 目を輝かせ、興味津々な表情を浮かべた担任教師に対し、芽衣は両手を合わせた。

「ごめんなさい。今はまだ教えられません」

「芽衣ちゃん。私は心配してるの。芽衣ちゃんの好きな子が悪い男なんじゃないかって。生徒を正しい道に導くのも担任教師の役目だから!」

 担任教師の真剣な顔と向き合った芽衣は溜息を吐き出した。

「はぁ。じゃあ、ヒントだけ。私が好きなのは、叶彩さんがよく知ってる人だよ」

「私が知ってる人?」と不思議そうに首を傾げる杠叶彩から松葉芽衣は離れていった。



 そんな朝の出来事から、数時間後。女子生徒が着る黒いセーラー服に着替えた加村優は、駅前のカラオケボックスの前で溜息を吐き出した。

 男子高校生だった加村優が女子生徒の制服を着ている想像が彼の頭に浮かび、急に恥ずかしくなった芽衣の顔が赤く染まる。

 そのままで彼は芽衣の制服のスカートの内ポケットから元の姿の自分が使っていたスマホを取り出す。

「約束の時間まで、あと5分かぁ」と画面を凝視し、顔を上げると、彼の目に元の自分の姿が飛び込んできた。

 加村優の姿になった松葉芽衣は、高校の制服姿で右手を左右に振り、前方から元の体に向かい歩み寄ってくる。優の姿の芽衣の手にはいつもの学校指定の黒いカバンが握られていた。

さん。待った?」

「ああ、少しだけ」と芽衣の口で優が答える。それからすぐに、優の姿になった芽衣は、元の自分が右手で握っている青い手提げ袋を見て、首を縦に動かした。

「うん。それ、忘れずに持ってきてくれたんだ。中身、見た?」

「いや、見てないけど……」

「……それならいい。じゃあ、早速、行こう」




「ここみたいだね」

 受付を終わらせた優が、四畳ほどの広さの部屋のドアを開け、後ろを振り返った。その先にいるのは、ガチガチに緊張した元の女子高生の自分の姿。

「ちょっと、何、緊張してるの? もしかして、カラオケ、初めて?」

 優の顔をムっとした表情にした芽衣が、元々の体との距離を詰める。

 それに対して、優は芽衣の首を左右に振った。

「そうじゃなくて、同い年の女の子とカラオケに行くのが、初めてなんだよ。ちゃんと歌えるか心配で……」

「ああ、そんな顔しないで。歌わなくていいから」

「えっ?」と驚き、その場で立ち止まった元の自分と対面した芽衣が溜息を吐き出す。それからすぐに、芽衣は元の自分の顔をした男子高校生の耳元で囁いた。

「ここは個室だから、他の人たちに会話を聞かれなくて済むでしょ? それなら、周りの人に私たちが入れ替わってることもバレない。この事実がバレたら、変な子だって思われるから」


「ああ、そういうことか」と優が芽衣の顔で納得の表情を作る。

「1時間しかこの部屋押さえてないから、早く入って!」

「ああ、分かったよ」と元の自分の顔をした芽衣に促され、優は部屋に入り、適当に黒いソファーの上に腰を落とした。

 そんな彼と向き合うように、芽衣も優の体で机を挟み着席する。それから、手にしていた黒いカバンを手元に置いた芽衣は、そこから水色のノートと白いシャープペンシルを取り出し、机の上に置いた。

「それって、俺が使ってたヤツ」

「そう。加村くんの部屋にあったのを拝借しました。まずは、このノートに名前を書いてみてください。松葉芽衣って」

 何も書いていないノートの1ページ目を開いた芽衣が、目の前に座る元の自分の体の前に、シャープペンシルを添えて、差し出す。

 その指示に従い、優は芽衣の手で使い慣れたシャープペンシルを握り、横書きで名前を記した。


「書いたみたいだね。じゃあ、見せて!」

 そう言いながら、ノートを手に取った芽衣は優の首を縦に動かす。

「ふむふむ。やっぱり、そうなんだ」

「名前なんて書いて、何が分かるんだよ!」

 真意が分からず、優は芽衣の首を捻った。

「昨日、勉強しながら、ちょっとした実験をしてみたの。とはいっても、ただいつも通り、期末試験範囲の数学の問題集を解いてみただけなんだけどね。そしたら、何か、字に違和感があった。その原因が気になって、加村くんに協力してもらったんだよ。今の加村くんが書いた文字を見れば、何か分かる気がして」

「それで、何が分かったんだ?」

「このノートを見た瞬間、原因が分かった。今、加村くんが記した文字は、私の文字なんだって。つまり、筆跡の違いは入れ替わりの証拠にならないことが証明されました!」

「それは、入れ替わる前の俺の文字と比較すれば、すぐに分かると思うんだが……」


 目を点にして優が芽衣の口でツッコミを入れる。そんな声を無視して、芽衣は優の右手を前に伸ばした。

「じゃあ、次は加村くんが持ってきてくれた私の手提げ袋から、スケッチブックと筆箱を取り出してもらおうかな? 加村くんが会った謎の男の顔を共有したいから、この手で似顔絵を描いてみます!」

「松葉さん、似顔絵を描けるのかよ!」

 驚き顔になった芽衣の顔と対面した優が首を縦に動かす。

 それからすぐに、元の自分の顔をした優からスケッチブックと筆箱を受け取った芽衣は、優の手で鉛筆を取り出し、スケッチブックを開いてみせた。


「まずは、顔の特徴から。顔の輪郭は丸顔? それとも面長? 四角、三角、ホームベース型?」

「ホームベースみたいな輪郭で、厳つい雰囲気だった」

 記憶を手繰り寄せながら、男の姿を一生懸命思い出す優の前で、芽衣は鉛筆を動かした。


 それから20分後、芽衣は「ふぅ」と息を吐き出し、目の前に座る松葉芽衣の姿をした加村優にスケッチブックを見せる。

「こんな顔だった?」と尋ねられ、優は芽衣の首で頷いてみせた。

「ああ、こんな男だった。それにしても、結構上手だな。松葉さんの絵」

「そんなことないよ」と恥ずかしそうに優の頬を赤く染めた芽衣は、自分が記した似顔をジッと見つめ、その顔を加村優の目に焼き付けた


 スケッチブックに記されたのは、加村優の記憶の中にいた厳つい男の顔だった。



「さて、少し早いけど、探しにいこうかな?」

 そう呟きながら、優の姿の芽衣は手にしていたスケッチブックをパタンと閉じ、席から立ち上がってみせた。

 そんな姿を見て、優は芽衣の目を丸くする。

「えっ、まだ30分くらいしか経ってないのに、もう出るのかよ!」

「こっちはあなたのことなんて、1ミリも興味ないからね。こんなところで残り時間を過ごすほど暇じゃない。一刻も早く、元の姿に戻って、月曜日から元の体で学校に通いたい!」

「そんなぁ」とショックを受けた自分の元の体の右肩を芽衣が優しく叩く。

「あの似顔絵をコンビニでコピーするから。ふたりで手分けして、あの公園周辺を探してみようよ」

「ああ、そうだな」と芽衣の首を縦に動かした優は、カバンを手に持ち、彼女と共にカラオケボックスから立ち去った。




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