第40話:【アーシェ】思い思われ─1

 魔法を使うのは、井戸で水を汲むのに似ている。

 あらかじめ、そこに水があると分かっている場所へ桶を投げ込む。引き上げるのにはロープを繋いでも、鈎棒で引っ掛けてもいい。どんな格好で持ち上げようと、中身を溢さなければ、水は手元にやって来る。


 人間と魔女が違うのは、水のある場所が分からない。引き上げる方法が分かっても、引き上げる力が無い。ただ、それだけのこと。

 だから魔女同士も他の誰かが汲んだ跡を見て、何者だったか知ることは出来ない。揺れるロープなんかを見て、ここに井戸を作ったんだな、誰か居たんだなと知れるくらいだ。


「どういうこと?」


 誰がやったのか、調べる方法の無いのが悔しい。この薬売りの件で、同じ気持ちが何度目か分からないけど。

 石造りの建物は太い柱に守られて、通路が奥へ伸びていた。その先に、扉のない部屋があった。ひび割れだらけで、よくこんな所へ居られると感心しながら進む。と、捜す人間が倒れていた。


「エルゼ! エルゼ!」


 考えるのは後回しに、まずは声をかける。見る限り怪我はなくて、そっとゆすったのにも呻き声が返る。万全では無いかもだけど、命に別状は無さそうだ。


 問題は、他にこの部屋へ居る二人。ギルバルトとザビネが、少し離れた位置へ倒れていた。

 エルゼは縛られていて、攫われたのは分かる。しかしその現場に、どうしてザビネまでが居るのか。


「まあいいや」


 この状況があれば、さすがに衛兵も対処するはず。後のことはエトヴィンに任せればいい。誘拐犯の二人を縛りあげ、エルゼを抱えて建物を出る。


「しがらみも、これで終わりね」


 馬車で数ヶ月もかかるような土地へ越してしまえば、知った人間に会うことは無くなる。

 そんな対策を取れるのは魔女だけで、魔法が使えて良かったと思う。魔女でなければ、そうする必要がない。とは、気付かないふりで。


 薬売りが誰で、なぜあたしにちょっかいをかけてくるのか。どうしても知る必要がないのも、魔女だからだ。あたしが姿を眩ませば、探し当てられる相手なんか居ない。

 だから、なにもかも終わる。そう安易に考えたあたしがバカだった。


「…………どういうことよ」


 ほんの少し前に言った同じセリフと、重みが違う。鋼鉄の棘が生えたことを自覚する。

 建物の外へ待っているはずの、ショタァが居ない。


「退けっ!」


 任せたのに。一人その場へ寝ているエトヴィンが腹立たしい。当人を殴り付ける代わりに、行く先を覆う瓦礫を弾き飛ばす。誰かに見られたらとか、もうそんなことはどうでも良くなった。

 階段の姿が露わになって、歩きやすい。一歩ずつ、踏み潰すようにして怒りを抑える。おかげで呑気に眠る男を、蹴り飛ばさずに済んだ。


「起きなさい!」


 エルゼを傍らへ寝かせ、今度はエトヴィンを起こす。しかしいくら揺すっても、目が開かない。見た目にはただ眠っているとしか思えないのに、だ。

 これは魔法で眠らされている。自分では魔法を使えない魔女の血統の男が、ここまでのことを出来るものなの? 歯噛みしつつ足下の砂を握り、エトヴィンの額へ押し付けた。


「大地の薔薇よ、清廉の結晶よ。魂の束縛を断ち切りなさい」


 いちいち拾い集めなくても、この辺りの砂には朱の水晶が混じっている。エトヴィンはすぐに目を開き、同時に荒く息を乱した。


「うっ、はあっ、はあっ」

「なにがあったの。ショタァはどこへ行ったの」


 つらそうに喘ぎながら、エトヴィンは視線を走らせた。自分の手と、ショタァが居るはずの傍らと、代わりに現れたエルゼに。


「すみません、分かりません。あなたが建物へ入ったところまでは覚えてるんですが」

「あたしが見えなくなってすぐ?」

「――ええと、そうですね。たぶんその時、なにかあったんだと思います」


 詰め寄るあたしを目の前にしても、エトヴィンは一瞬の間を置いて答えた。

 この男は、おそらく嘘を吐いていない。それほど器用な人間ではないと思う。


「分かった、じゃああんたに用は無いわ。建物の奥に犯人を縛ってあるから、兵士に知らせるなら知らせなさい」

「え。あ、あのっ!」


 呼び止めるのに構わず、箒に跨った。派手な瓦礫の音で、辺りの人間たちが覗き見る中を。当てもなく、空へ舞い上がる。


「ショタァ、どこ? どこへ行っちゃったの」


 人間に任せたのが間違いだった。やっぱり関わるものじゃない。そう思うのに、ショタァの姿を探し求める。

 なにが。と言えば、あたしの目が。手が。身体が。そして心が。


 なぜそうまで感じるのか、自分でも分からない。もしかすると、お気に入りの人形みたいなものかも。

 誰かに勝手に捨てられたとして、あたしはいずれ諦められるのか。経験のないことが、分かるはずもなかった。


「全然見当もつかないのに探すなんて……」


 あたしが離れてすぐ。薬売り以外に、そんなタイミングはあり得ない。でもザビネから聞いただけの相手が、どういう行動をするか予測は不可能だ。行動範囲を知らない。どんなことが出来るのかも知らない。


 それなら、ショタァを探す方法は?

 人間の気配の差なんて、あたしには区別がつかなかった。魔法で獣並みの嗅覚や視覚を得るのは可能。でもそれを活かす方法があるだろうか。


「なにか。なにか……」


 手がかりを捜して、記憶を手繰る。最近の怯えたショタァの顔。ヨルンやヘルミーナが来たときの、心配をする顔。

 そういえば、しばらく彼からの求婚が無い。それどころじゃなかったのは分かるけど、もう二度と無いとしたら。


「悲しいよ。ショタァ、どこに居るのよ!」


 ダメだ、全然頭が纏まらない。彼を取り戻したいと、気持ちばかりが先走る。無心になるとか言って、無心無心と唱え続ける修道士みたいに。あたしとショタァの繋がりは、ここで終わってしまうらしい。

 ――繋がり?


「あっ」


 ふっと閃いた。魔力そのものは探せないけど、あたしが魔力を篭めた物なら見分けられるかも。

 しかしまた違う意味で「あっ」と気付く。契約の指輪は、ショタァの血を受けている。今はあたしの物じゃない。


 彼が心変わりしたときの為に、契約を終わらせなかった。そのことを悔やむ。そもそも使い魔になっていれば、悩む必要もなかったけど。

 使い魔にしないのなら、もっと身を守る手立てを与えるべきだった。結局はガーネットの守りだけで、お揃いのローブも間に合っていない。


「って。ガーネットをあげたじゃない」


 そうだ。あれならあたしの魔力を篭めたお守りで、探すことが出来る。この町へは他にもお守りを持っている人間が居るから、ちょっと手間はかかるけど。一つずつ見分けていけば、必ず辿り着ける。


「でも、変よ」


 希望が湧くのとは別に、新たな疑問も生まれた。ショタァにあげたガーネットの守りは、一度だけ魔法や呪いの効果を撥ね退ける。

 なのにどうして、ショタァは連れ去られたのか。


「そうか、単純に力ずくだったのね」


 幼い子に。可愛いショタァに卑劣な真似を。噛み締めた歯が、ぎりっと鳴る。

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