第34話:【アーシェ】行き違う心─3

 どういうこと? と掴みかかる。でも相手は幽霊、あたしの手はすり抜けた。


「どうもこうも。儂は聞こえたまま、感じたままを言っておるだけ。憎いという言葉と、ショタァというこの子の名と。その二つが聞き取れた」


 他にも言葉はあったのだろうが、分からなかった。そう言いつつレオナルトは、宥めるようにあたしの腕へ触れる。こちらからは触れられないのに、なんだかずるい。分かっていることだけど。


「儂で役に立つならなんでも答えるが、しょせんはただのジジイでな。魔女の手助けにはならんだろう」

「分かった、ありがとう」

「ありがとうございます」


 人間を正直者とは思わない。正しいことだけを示して生きることは不可能だ。それはあたしも同じだけど、人間が信条を曲げる価値観は魔女と異なる。

 だからこの男の言葉が真実か、疑う余地は僅かにあった。でも触れられない相手に尋問する方法が分からない。


 ただし、あたしが礼を言うとショタァも続けた。視線を向けると、しまったという風に口を塞ぐところだった。彼の、作られた気遣いでない言葉が漏れた。

 じゃああたしも、心の中でレオナルトに付けたサインを「信用する」と上書きしておこう。


「ではな。また機会があれば、君の茶を飲ませておくれ」


 律儀に一階へ降りて、表の扉を開ける格好をして老人は出て行った。実際には開かなくて、レオナルトはすり抜ける。しかしそれが流儀なんだろう。


「さて、どうしよ」


 そのまま手近の椅子を引き寄せ、座り込んだ。いつもなら「どうって、なにをですか」とショタァが問うところだ。でも彼は聞かない。お茶を用意してくると、二階へ上がった。


 彼の気持ちを考えるのは、とりあえず保留にした。レオナルトへの尋問以上に、どうやればいいか思い付かなかったから。

 考えるのは、薬売りへの対処だ。この家にどんな仕掛けをしたか、よく調べればいつか分かるはず。でもそれを拵えたのがどういう相手かは、たぶん分からない。


 だったら調べる意味もない。結局相手を突き止めるには、なにか仕掛けてきた現場を押さえるしかないのだ。だからとその為に、ずっと気を張っておくのも疲れるばかり。

 いっそ引っ越すのが、簡単で根本的な解決になるんじゃないか。


「ああぁ、面倒臭い!」


 腹いせに声を出し、ふて寝することにした。もう一つ椅子を寄せ、脚を乗っけて。

 少し経つと、ショタァが戻った。テーブルに薬茶を置き、またも二階へ上る。でも今度はすぐに降りてきて、手にした小さめのケットをあたしに掛けてくれた。心底嫌われたわけじゃないらしい。


 ちょうどお昼ころに目を覚ました。まだ眠っていても良かったのだけど、表に馬車が止まったから。

 ショタァのことも馬車の音も、あたしは眠ったまま知覚できる。自分の中に別の意識を、魔法で作っておけば。


「あの、すみません!」


 扉が強く叩かれた。その割りに、声は控えめ。叫ぶように尖った口調で、音量を抑えて呼ぶ。神経質な声には、聞き覚えがあった。


「どうしたのエト」


 扉を開け、迎えに出る。その間に馬車は、土を蹴って走り出した。後ろ姿を見ると、乗り合い馬車らしい。

 もちろんエトヴィンは、拳を持ち上げた格好で残っていた。以前の片思いも当人には重大な相談だったはずで、それでも手紙だったのだけど。


「あの。また私が一人で騒いでいるだけかもしれないんですが」

「うん、なに?」

「仕事をしていても気になってしまって。いや、なんでもないならそれが一番です」

「だからなにが? あんた、ほとんど休みも無いって言ってたわね。なのにここまで来たって、よほど急いでるんでしょ」


 それならとっとと用件を言いなさい。と言ったつもりだったのに、エトは頭を抱えて同僚のことを話し始めた。


「そうなんです。事務方の人に無理を言って、ここへの運び賃も立て替えてもらいました。これで間違いだったら、申しわけなくて顔向け出来ない」

「埒が明かないわね」


 腕を掴み、あたしが脚を乗せていた椅子に座らせる。すっかり冷めてしまった薬茶を持たせ、とりあえず飲むように言った。


「飲んで落ち着きなさい。で、話しなさい。あんたの感じた、ヤバイっていう部分を。ひと言でね」


 ごくごくと一気に飲み干しつつ、エトヴィンは頷いた。

 音を立ててカップを置き、大きく大きく息を吐く。水路へ詰まった落ち葉を押し流すように。


「エルゼが。エルゼが居なくなりました」

「どうしてそう思うの。具合いが悪いとかじゃなくて?」

「大広場に来なくなりました。四日前からです。パン屋に行って、理由を尋ねました。でも知らないと。エルゼの家に行っても留守だったと言われました」


 広場でパンを売るにはぴったりの、溌剌として可愛らしい娘だった。売り上げ金を持たせるのだから、パン屋の娘と思ったけど違うらしい。


「てっきり私も、親子だと思っていました。でも違って、エルゼには身寄りが無いそうなんです」

「当然その人たちも、心当たりが無いのよね。衛兵には?」

「知らせました、結果は前と同じです。むしろ私がなにかやっていて、怪しくないと見せかける為と怪しまれました」


 舌打ちと一緒に「腐ってるわね」と溢れ出た。引き攣った頬を手で緩ませ、もう一つ肝心なことを聞く。


「あれからどうなったの」

「はっ?」

「エルゼとの仲よ。変わらず、遠くから眺めてるだけ?」


 だとしたら、あたしが関わることは出来ない。エトの話だけを聞けば、危うい状況だけれど。エルゼのほうに、他人に知られたくない事情があるかもしれないから。


「いや、それが。エルゼのほうから話しかけてくれて。なんでも王都から調査の人が来て、勝手に私のことを話したから謝りたいと。褒めてくれたようだし、気にしないでと言いました。でもそれから、何度か一緒に食事したり。不思議な縁もあるものです」


 神妙に眉を寄せるエト。そもそもエルゼの身を案じて来た男が、ここでとぼけもしないはず。つまり、大真面目に言っているようだ。

 思いきり殴り飛ばしてもいいかな。


「ああ、そう。じゃあ恋人になれたわけね」

「はい。あ、いや私はそう思っていますが。そうだ、プレゼントを貰ったんです。これ、お守りだとかで」


 シャツの襟から、真鍮の鎖が引き出される。それを持っているなら話が早い。エルゼもエトヴィンのことを、憎からず想っていたということ。


 素早く指を伸ばし、鎖を引っ掛ける。「ちょっと見せなさい」と言ったかは定かでない。石に異変がなければ、少なくとも危険ではない。極めて喫緊のなにかがあって、周囲に知らせる間がなかったんだろう。

 単に愛想を尽かされた可能性もあるけど。


「いやそれが。私の扱いが悪いせいか、色が変わってしまって」


 あまりの変わりように、あたしは目を細めざるを得なかった。舌打ちもしたように思う。エルゼに渡したのは、薄く黄みがかった白い石だ。それが今は炭を吸わせたように、濃いグレーに染まっている。

 察しの悪いエトヴィンの真面目ぶった声に腹が立って、あたしは思いきり引っ叩いた。

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