第29話:【正太】忍び寄る悪意─2
喉が渇いたと言うアーシェさんの要望に、答えたのはベスさん。僕がやろうとしたのだけど、「やらせてくださいな」と断られた。厨房に立つ背中を見ていると、少し胸が苦しく思う。
「ところでお姉さま、なにを調べていらしたの?」
手際よく作業を終え、ベスさんは木製のジョッキを配る。いつも使っているカップと違い、テーブルに置く音も重い。
「あ、冷たくしてくれたんだ。さすがね」
「冷気を使うのは得意ですもの」
アーシェさんの隣を、ベスさんが陣取る。と言ってお客さんが居ないとき、僕の定位置は対面。
つまりこの人はお客でなく、魔女の後輩。同時に仲間だったり友だちだったりということだ。
そんなことを考えて僕の視線は、意識せずベスさんに注がれていた。
ふと、当人と目が合う。すると声も無く、唇が微笑の形になった。それからなにか言ったようだけど、小さすぎて聞き取れない。
「あなたも遠慮なくお飲みなさいな。氷で冷やした飲み物なんて、見たこともないでしょう?」
続けて勧められたのは、はっきりと。言われた通り、この世界へ来て氷を見ていない。溶け残った雪くらいならあったけど。
土地柄なのか、真夏という今もそれほど暑くない。日本の感覚で言えば、春のぽかぽかという感じ。
でも濃い色の液体に浮かぶ氷山を目にしてしまえば、土をいじった後の身体が要求してくる。一気に熱を冷ましてほしいと。
両手でジョッキを持ち、ぐいっと呷った。
「おいしいです――!」
イメージにある氷入りの飲み物と言えば、麦茶だけ。全く違う味なのに、懐かしく感じた。たぶん、この世界では体験の難しいことと聞いたからだ。
それとは別に、薬茶自体もおいしかった。常に置いてあるのは、全て試飲をしたはず。でも、知らない味。
ほろ苦い薬草っぽさと、トマトや人参みたいな甘さがちょうどいい。驚いて、ふた口、三口。ジョッキの向こうで、ベスさんはまた笑った。
「ぷはあぁっ! ベスが淹れるお茶は、格別においしいわ」
「お姉さまに喜んでいただけるなら、いくらでも」
「でもこれ、どうやって淹れてるの。もしかして、何種類か混ぜてる?」
ドン、とジョッキが置かれた。ほとんど投げ出す勢いで。覗くと、中身が残っていない。
こんなにおいしければ、アーシェさんの喜ぶのも分かる。やり方を知れば、氷が無くても十分においしいのを僕も淹れられる。
図々しく、返答に聞き耳を立てた。
「秘密ですわ。この味が楽しめるのは、私の居る時だけ。というほうが、飲む喜びも増しますでしょう?」
ふわっと柔らかそうな人さし指が、ベスさん自身の口を封じる。秘密と言った時、僕のほうを見ていた。まるで「お前にだけは教えない」と言われたようで、自分の気持ちが萎むのを感じた。
「そう、残念。ショタァに覚えてもらおうと思ったのに」
「薬草の知識の無い者に、調合を教えるのは危険ですわ」
「それはそうかぁ。あ、それでなんだったかしら?」
アーシェさんが用意しているのは、ただのお茶でなく薬茶。それなら不用意に扱えば、毒になることもあり得る。
教えられない理由を、これ以上なく納得した。アーシェさんも残念がってくれたのが救いだ。
「街道を眺めてなにを調べていたか、お聞きしましたわ」
「それはね、って。ベスも聞いてたわよね、昨夜の連中が言ってたからよ」
「聞いていましたわ。私が伺っていますのは、兵士に言われたからと調べるような物はなにか。ですの」
アーシェさんが兵士を嫌う理由を聞いて、無理もないと思っている。二百年も前のことをいまだに? と考えてしまう自分を、冷たいとも。
ただしそのことと、怒りを隠さない彼女を怖く感じるのは別の話。しかしアーシェさんには当たり前のようで、この場に僕の居ることを気にした風でない。
ベスさんから聞いていると、知られていいものだろうか。
「実はこの家ね、妙なのに好かれちゃったみたいで。人形の妖精とか吸血鬼とか。ベスはなにか感じる?」
僕も初耳だ。妙な仕掛けと聞いていたけど、ゲオルグさんたちのような人間まで引き寄せるとは。いやそれとも、人間でないなにかが紛れ込んでいたとか?
空にしたジョッキを逆さに振りつつ、アーシェさんは尋ねた。応じるベスさんは上下左右をぐるり見渡し、「いいえ」と。ちょっと困ったように苦笑で答える。
「そういう手合いしか感じ取れないなにか。ということでしたら、お姉さまに分からないものを私に分かるはずがありませんわ」
「感覚はそれぞれだから。でも分からないなら仕方ないわ」
話しながら、身振りではお代わりを作るかの相談がされた。アーシェさんが手を振って否定して、ベスさんは「それにしても」と問いを重ねる。
「そういうお話なら、なおさら兵士は関係ないのでは?」
「そうね。関係ないと確信したかったのよ、きっと。あの男が何者か、さっぱりだし」
「あの男?」
ニーアで出会ったザビネさんが、怪しげな薬をもらった相手。汚らしい格好、という以外に特徴も分からず。あれきり噂を聞くでもない。
「変な薬売りが居たそうよ。あたしも知らないけど、他に心当たりが無いのよね」
「へえ……。お姉さまに手を出そうと言うなら、いい度胸ですわ。私、今晩も泊めていただくつもりですけど、出て来れば歓迎致します」
「心強いわ」
ぐぐっと小さな力こぶを見せられて、今度はアーシェさんが苦笑する。筋肉と魔法とは、きっと関係ないと思うけど。
「あの、お話中すみません」
「ショタァを除け者にしたつもりはないわ。話したい時、いつでも話していいに決まってるの」
「あ、ありがとうございます」
一段落ついたみたいなので、気になったことを聞いてみる。かなり今さらな話だ。
「その怪しい男も、魔女なんでしょうか。ええと、男の魔女も居るのかなってことです」
魔女にとって、「空から飴が降ってくることはあるか」みたいな質問なのかもしれない。ベスさんは堪えられずに噴き出し、アーシェさんは「あははっ」と軽やかに笑った。
「魔女の血筋にも、男は産まれるわ。魔女と呼ばれることはないし、魔法を使うのもほとんど居ない。でも魔力を持ってて、魔法めいた仕掛けを作るのが得意だったりするわね」
しかしきちんと、優しい口調で教えてくれた。僕の主はやっぱりアーシェさん以外に居ない、なんて現金に考える。
それに、もう一つ分かった。彼女の言った妙な仕掛けとは、喩えでなく本当に機械仕掛けみたいな物ということ。当然、怪しい男が犯人ならだ。
それからベスさんは、アーシェさんに魔法の質問を始めた。魔女でない僕にはついていけず、汚れた食器を片付ける。
おおよそ終わったころ、家の前に乗り付ける馬車の音がした。窓へ駆け寄り、見下ろすと、なんだか見覚えがある。
「アーシェさん、リリーさんです。レオナルトさんも居ます」
僕の会った最初のお客さん。あの老夫婦が、またやって来てくれた。
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