第24話:【アーシェ】招かれざる客─2
ただ、それはそれとして。偶然なの? と考える。
ヘルミーナにヨルンと、尋常とは呼び難い客の続きかなと。エトヴィンに呼ばれたのも結果としてそうだったし、半年前に訪れた恋文の老人まで、どこからが誰の思惑なのか。
「で、なにが必要なの」
「車軸だ。多少細くとも鉄の棒があれば、一時凌ぎには十分だ。それに、今すぐ腹の膨らむ物を」
二人とも、二十歳になったかどうか。立場は同等のようで、一方が捲し立てるのをもう一方もその通りと頷く。
指さした方向を見ると、松明がちまちまと動くのが分かる。もう少し遠ければ、あたしの家にも気付かなかっただろうに。腹を膨らませたいなら、曲がった車軸でも齧ればいい。
「あいにく、そんな都合のいい物は無いわね。箒の柄ならあるけど」
「なにい? 女、その態度はなんだ!」
「まあ待て。隊長も、運が良ければと言っていたろう。なあ、君。パンでも干し肉でも、なにか無いかな」
失礼、と。交渉役と頷き役が交代した。気の短いこいつではなく、自分の話なら聞いてくれるだろう? という思惑が透けて見える軽薄な笑みだ。
「代金を払うなら、食事は用意してあげる。でもあんな所まで運ぶのは嫌よ、食べに来なさい」
「貴様っ」
いきり立つ男と、諌めるふりをする男。こちらが「仕方ない」と折れるのを期待しているらしいけど、あたしが応じる義理は無い。
じゃあね、と扉を閉めた。罵倒の声と共に、扉が殴りつけられる。二回だ。
「い、いいんですか」
「いいのよ。あいつらも子どもじゃないんだから、お腹が空いてるならお願いしますって言ってくるわ」
ローブをぎゅっと握って、ショタァは震えた。それがまた奴らへの苛立ちになり、しかしやっと声を聞けた嬉しさと衝突する。
「傷んだ材料の掃除にちょうどいいわ。全部ぶち込んで、シチューにでもしましょう。ショタァは疲れてるなら、休んでもいいのよ」
「い、いえ。僕にやらせてください」
脚に張り付かんばかり。ぴったりとくっついて見上げる、この可愛い生き物はなんだろう。頭から齧りついて、一心同体になりたい。
「分かった。じゃあ、お願い。味見はヨルンにさせるといいわ」
「はい、頑張りますっ」
勢い良く手を上げ、震えた声を張り上げる。誰かあたしに、自制心を注入して。
「兵士でしたの?」
「ええ。失敬な連中よ、まったく」
食卓へ戻ると、ベスは自分の皿をもう片付けていた。客なのだから、そんなことしなくていいのだけど、いつも気を遣ってくれる。
もしかすると、ショタァと気が合うかもしれない。
「近付けないようにしなきゃ」
「え、この屋敷にですの? そういうことなら、私がやって参りましょうか」
「ああ、ごめん。そうじゃないの」
笑ってごまかす。彼女は「そうですか」と、あっさり納得してくれる。世の中にはこんなにいい子が居るのに、どうして悪い子もあたしの視界へ入ってくるんだろ。
それから程なく、再び扉が叩かれた。今度はさっきよりも大人しげで、出迎えるまで繰り返されもしない。
「なんの用?」
「はっはっ、聞いた通り手厳しい。部下に失礼があったなら、謝らせてほしい。俺がこの隊の長で、ゲオルグと言う」
四十前。いや老けて見えるだけで、もう少し若いのかも。ごつごつとした川原の石が、首の上で人の言葉を喋る。隣に、さっきの居丈高な若人を連れて。
灯りの見える方向から、鉄を打つ甲高い悲鳴が聞こえた。曲がった車軸を、どうにか修正しているらしい。
「這いつくばれとは言わないわ。そうやって普通に頼めば、あたしも普通に答えられる」
「だ、そうだ」
「申しわけありません、兵長。気持ちが高ぶってしまって」
ゲオルグはあたしと同じくらいの背で、鉄環鎧を着てなお、大した威圧感が無い。それでも長と言うのだから、なにかしら秀でているのだろうけど。
若い男も隊長の言うことには、頭を掻いて見せた。
「食事ね? 今用意してるから、入ってお待ちなさいな。ぬるいお茶くらいなら出してあげられるし」
「そうさせてもらおう」
食堂へ戻る短い道中、ゲオルグは故障の経緯を語った。急ぐあまりに御者役の兵士が判断を誤り、道をはみ出してしまったと。
修理を優先する為、食事もこうして二人ずつの交代にしたらしい。
「ほう。あんな小さな子が料理番とは、なにが出てくるか楽しみだ」
踏み台を持ち出し、炉の前で大鍋を見張るショタァ。小さな背中を、ゲオルグは眩しそうに目を細めた。
「お前もそろそろ、所帯を考えんとな」
ベスに出した残りのお茶を与えると、剣帯を外して椅子に収まった。座るなり、靴底が鳴る。ほとんど音もしないほど小さく、絶え間なく。
口からは世話焼きのようなセリフを吐くものの、若人は「はあ」と曖昧に頷いた。相手に心当たりが無いようで、あたしも頷く。
「美人姉妹だな。バカにするわけでないが、女と子どもだけでは心細いだろう」
「心細くさせないのが、あなたたちの仕事でしょ」
「あいたた、墓穴を掘ったな」
男の臭いのする物が無いことを、目ざとく見抜いたようだ。
それもそのはず。ゲオルグは三つ数える間も、ひとつ向きを見ていない。ショタァの背から食堂の壁。あたしの顔とベスの顔。どこにでもある窓や扉、テーブルの隅々にまで。
視線が動くたび、必ず経由する先があった。それは目下修理中の、彼らの荷車がある方向。
「落ち着かないわね。そんな格好で、きかん坊ばかり連れて、どこへお散歩? 戦を抱えてるとは聞かないけど」
「きかん坊だと――」
「抑えろ。そうやってすぐに腹を立てては、認めているのと同じだ」
領地周辺の見回りとでも言い張るつもりだったのか。ゲオルグの目が一瞬、鋭さを見せた。すぐに若人を窘め、元の訳知り顔に戻ったけど。
「ご推察の通り戦ではないし、ただの見回りでもない。争いの起こる気配を知ってな、収めに行くところだ。火を消すより、立つ前に踏みつけたほうが簡単だからな」
間違ってはいない。でも兵士の口から聞くと、苛々が増してしまう。
「踏みつけるのは火だけ? 咲いた花や、明日芽吹く葉さえ枯らすんでしょう」
「お前っ!」
「抑えろと言っている」
若人の椅子が、たたらを踏む。ゲオルグは部下の肩を押さえ、無理矢理に座り直させた。
「そんなことはしない、とは言えん。場所を選ぶ余地のないことも多い。必ず相手のあることだからな」
「場所を選ぶなんて、口先だけでも言えるのに驚いたわ。考えたことも無いくせに」
激しく、床を蹴る音と振動が響いた。反論と起立を禁じられた若人が、足を動かしたから。
そんな態度で、あたしは恐怖を感じない。でも厨房の背中が、びくりと跳ね上がったのを悪いと思う。
「ふむ。なぜそこまで、俺たちは嫌われているんだろうな。察するに、西部の生まれかな?」
数年前まで小競り合いが続き、この国へ併呑されたばかりの土地をゲオルグは挙げた。
あたしの出身は違う場所だし、その戦場を見てもいない。だけど特に否定もしなかった。
「相当急いでるようだけど、食料も用意せずに出発するなんてね。荷車の積み荷は、あなたの部下だけでしょ。正規の衛兵隊なら、もっと整ってるはずよ」
そもそも衛兵は、町や砦を守るのが仕事だ。狩り出されることが無いとは言わないけど、その場合は誰かの応援で、支援物資を多く持っているはず。
取るものもとりあえず、慌てて出たのがあからさまだった。
「なるほど。だとしたら、俺たちは何者に見える?」
「争いに巻き込まれた人たちの不幸を食い物にする、火事場泥棒よ」
ケンカを売っているつもりはない。至極近い将来、どこかの誰かが財産や命を踏み躙られる。そんなことをするなと言っているだけ。
「お姉さま、さすがに」
顔色は変わらなかったけど、隣へ座るベスの手があたしの手に重なる。
しかしその厚意を、ゲオルグ自身が「いや」と否定した。歯の痛みを堪えるようにしかめ面で、シィッと息を吸いつつ。
「君の姉さんの言う通りかもだ。俺が向かう先は、甚だ場違いかもしれん」
おもむろに、腰を探り始めた。ズボンのベルトに、手荷物を入れた小袋があるようだ。中からなにやら薄っぺらい物が取り出され、テーブルの上へ放られる。
「兵長、いいんですか」
「これだけはっきり言ってくれる姉さんだ。俺の予感がどうか、聞いてみるのもいいだろうよ」
見るとそれは、当て名をゲオルグとした手紙らしい。受取人は「読んでみてくれ」と、封筒をあたしに向けて滑らせた。
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