第13話:【正太】傾いた愛情─3
「あら、いい物があるじゃない」
部屋を見回し、「ふふっ」と。半ばスキップのように、アーシェさんは壁のほうへ。そちらには暖炉があり、お皿や絵が飾られている。
「うん、いい重さ」
装飾品の一つに、棘のたくさん突き出た棍棒があった。金属製みたいだから、そうとは呼ばないのかもしれない。
ともあれ綺麗な魔女の長い腕に、その武器は握られる。両手で「せえの」と頭上へ振りかぶり、躊躇いなく叩きつけられた。
「おやまあ、頑丈ね」
しかし扉には、擦った跡の付いた程度。全く壊れそうな感じがしない。むしろこれは本当に木の扉なのか、と疑いたくなる。僕は音を聞いただけだけど、まるでコンクリートを打ったように思えた。
「これじゃダメか。どうしようかしらね?」
棍棒は床へ棄てられ、自分の顎を摘んだアーシェさんはザビネさんに視線を向けた。苛々とし続ける依頼人は、怒りを隠さずに罵る。
「なによ役立たず。私に聞かないでよ!」
「そうね、その通りだわ」
くすくすと笑って返せる強さが羨ましくあり、理解も及ばない。
僕は情けなく引き攣った笑みを浮かべるだけで、まあまあとなだめることも出来なかった。
「じゃあ、最後の手段。もっと乱暴な方法を取るわ」
「最初からやりなさいよっ」
「ザビネさん? あなた、食堂に行ってて。危ないから」
口調は柔らかいけど、スッと動かした指が「邪魔だからあっちへ行け」と語っている。もちろんザビネさんが、素直に従うはずはない。
「なんでよ。ギルを助けるのに私が居ないなんてありえないわ。そのガキも居るなら、私が居て悪いわけないでしょ!」
「ショタァはあたしのことをよく分かってるわ。だから補助に必要なの。それにあなたに万一のことがあったら、料金をもらえなくなる」
補助と言われても、なにをするつもりやら。自信の無さが、おどおどと態度に出てしまっただろう。ザビネさんは僕の腕を掴み、激しく揺する。
「こんなのに出来ることなら、私がやってあげるわ! それとお金なら、これでいいでしょ!」
右手に嵌めた指輪が抜かれ、投げつけられた。小さな宝石が付いていたようなので、料金としては多すぎる。
アーシェさんの手が、顔の直前で受け止めた。ぐぐっと握り潰すように力を篭めた後、持ち主に突き返す。
「あたしの勘違いなら悪いけど、さっきからショタァをバカにしてる? それならもう帰るだけよ。扉が開かなくたって、こっちはなにも困らないもの」
いつもの優しい微笑み。に、よく似ているが眼だけは笑っていない。
「なっ、なんでそんなこと。あんたに――」
「そもそもおかしいのよ。命が危ないって言うなら、衛兵を呼べばいいじゃない。これくらいならやってくれる奴も居るわ」
ああ、そうだ。
この辺りに個人の家は無いみたいだから、近所の人を呼ぶのは難しいだろう。でもだからと、なぜあの宿屋へ来たのか。
困りごとの相談を仕事とするアーシェさんが居ると、どうして知っていたのか。
「くうっ……」
「さあ、どうしましょうか?」
言葉を失ったザビネさんは少しの間、僕とアーシェさんを交互に睨んでいた。しかしとうとう、舌打ちを残して食堂の扉をくぐる。
「ターコイズね、ちょうどいいわ」
手に残った指輪を眺め、アーシェさんは呟いた。まだらに黄色の混じる青い石を、部屋の真ん中へ放り投げる。
開けるべき扉とは反対で、むしろソファに座った女性たちに近い。ザビネさんを追い出しても、あの四人はいいんだろうか。
「どうするんですか?」
「どうって、扉を開けるのよ。あれには錠なんかかかってないし、開かない理由はこっちみたいだから」
「こっちって」
どっちだろう。錠が無いのなら扉が歪んででもいることになるけれど、そうも見えない。部屋の真ん中の床などは、なおさら関係がない。
「僕にもなにか出来ますか?」
悩んでも埒が明かないので、さっさと聞いた。しかしアーシェさんは「うぅん、そうだなあ」と、いかにも無さそうに室内を見渡す。
「そうだ。応援して」
「お、応援?」
「うん、そう」
そんなことをしなくとも、彼女はなんだってやれそうだ。なんの取り柄も無い僕とは違う。
でも頼まれれば、その通りやるだけだ。僕は使い魔なのだから。
「ええと、じゃあ」
「うん」
「が、頑張れぇっ!」
「頑張る!」
夜というのも忘れ、精一杯に声を張り上げた。するとすぐさま、アーシェさんも同じ言葉で答える。両手をぐっと握り締めて。
自信に満ちた魔女は右手を力強く伸ばし、床に転がったターコイズの指輪に翳す。
「大地に宿る水。静けさの結晶。荒ぶる魂に、ひと時の平穏を与えてあげて」
呼びかけに応じ、ターコイズが小さく弾けた。高い位置から落とした水滴のように。
一瞬の間の後、ふわっと爽やかな風が吹き抜ける。それまでこの部屋にあった、重く冷たい空気を塗り替えて。
ソファの女性たちも、その心地よさを何ごとかと感じたらしい。一斉に顔をこちらへ向け、それぞれ立ち上がった。
けれど、何歩かで力尽きてしまう。へなへなと床へ座り込み、すうっと姿を消した。
「え、ええっ? あの、女の人が!」
「これで開くはずよ」
言いつつ、アーシェさんはさっきの棍棒を拾う。今度は片手で振り上げ、無造作に扉へ投げつけた。
それは見事に取っ手の辺りへ命中し、こぶし大の穴を空けた。勢いで扉も開いていく。
ランプを向けると、奥の床に誰か倒れているのが見えた。男性らしく、きっとギルバルトさんに違いない。消えた女性のことは、また後だ。
「どうしたんでしょう。単に寝てるとかじゃないですよね」
「さあ。理由はザビネさんが知ってると思うわ。呼んでくれる?」
「そうなんですね、分かりました」
暗がりで離れていては、息をしているかさえ分からない。
しかしアーシェさんは落ち着いていて、大丈夫と信じた。彼女の袖を離し、指示に従う。
「ザビネさん、開きましたよ。男の人が倒れて――」
「開いたのね!」
食堂に顔を出し、依頼の完了を告げた。ギルバルトさんと思われる人の存在も言おうとしたのだけど、ザビネさんは怒涛の勢いで僕を押し退ける。
「もうギルったら、なぜ扉を閉めてしまったの? あなたが本当に死んでしまうと思って、気が気でなかったわ」
この人はいったい、どうしたっていうんだろう。倒れたギルさんの頭を自分の膝へ乗せ、愛おしげに抱きしめた。
囁くような甘い声は、もう僕たちの存在なんか忘れてしまったようだ。
「ほら、これも飲んで。そうすればあなたは、私だけの物。私のことしか考えられなくなるの。うふっ、うふふふふ」
エプロンのポケットから、片手にちょうどくらいの瓶が取り出された。栓を抜き、中身がギルさんの口へ注ぎ込まれる。
なんだか怪しげなことを口走っているけど、アーシェさんは止めようとしない。ということは問題ない、のか?
「う……」
「ああギル! 目が覚めたのね、私のギル!」
ほんの少し呻き声が溢れただけで、ザビネさんはギルさんに頬擦りをし始めた。右も左も繰り返し、何度も何度も。
そうしているうちに、ギルさんは意識をはっきりさせたらしい。自分を抱える相手が誰なのか目を凝らし、悲鳴を上げた。
「ひっ、ひいぃぃぃ! ザっ、ザビネ! 勘弁してくれ、俺はもう、お前だけは!」
「どうしたのギル。まだ薬が効いていないの? 大丈夫よ、もうすぐだから」
膝から転がり出たギルさんは、奥の部屋の壁に張り付く。ザビネさんから少しでも離れたいのに、逃げ道が分からないらしい。
「さ。帰りましょうか」
「いいんですか?」
「あたしの知ったことじゃないわ」
いかにも呆れた冷めた目で、アーシェさんは見物していた。やがてそれにも飽き、僕の居るほうへ足を踏み出す。
その時だ。背後から誰かの声が聞こえた。
「ぎ、ぎる、ばると……」
人間のとも思えない。金属同士を擦り合わせたような、寒気を呼ぶ声。しかしはっきり、ギルさんの名が聞こえた。
誰の声、なんの音だろう。振り向いた僕の視界に、暗い影が覆い被さる。
「逃げてショタァ!」
走り寄るアーシェさんの叫びが、僕の危機を知らせていた。
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