第12話:【正太】傾いた愛情─2

 突然の訪問者を迎え入れた、三十分くらい後。僕たちは町の北にある、建物の前に居た。

 とにかくもその女性の話は、理解が難しかった。どちらかの会話能力に、問題があったわけでなく。


「ここにあなたの恋人が?」

「そうよ。早くギルを助け出して」


 分かったのは、ギルバルトという男性がどこかから出られなくなったこと。放っておけば、死ぬかもしれないこと。

 彼になにかあれば私も生きていられない。などと言い出したので、ここまでは仕方なくやって来た。


「火事でもあったのかと思ったけど。見たところ、どうもないわね。出られないと死ぬって、どういうこと?」


 生色で薄手のワンピースの腰を、紐で縛っただけ。淡い金色の髪は妙に癖が付いて、結んでいたのを解いたんだろう。

 見るからにベッドへ入る直前という格好の女性は、「分かんないよ、そんなのどうでもいいから!」と喚く。


「良くないわ。あたしには、ここが誰の持ち物かも分からない。それを勝手に入り込んでなにも無かったら、衛兵に捕まっても文句が言えないもの」


 とても大きな建物だ。ひと抱えもある石をたくさん積み上げた造りで、窓の並びから四階建てと見えた。というかこの辺りの建物は、みんな立派だ。


「知らないの? ここは小麦ギルドよ。ギルはその長だから住んでいいのよっ」

「へえ。あいにくとよそ者で、知らないの。でも良かった、あなたこそ知らないのかと思ったわ」


 ギルド長は、社長みたいなものと聞いた。なのに十代と思われる女性は、その人が恋人と言う。

 まあ年の差というなら、僕とアーシェさんもだし。若いギルド長が普通なのかもしれないけど。


「じゃああなたが――そう言えば名前は?」

「ザビネ」

「恋人のザビネが、ギルド長を助けろと言った。誰かに咎められたら、そう言っていいのね?」

「だから誰も咎めないってば! 早く助けてよ!」


 痩けた頬の奥でキリキリと歯を鳴らし、ザビネさんは叫ぶ。

 率直に僕はこの人が怖くて、頼れる魔女の脚に隠れた。夜もだいぶ遅くなり、人目が無くて良かった。


「はいはい。あたしも商売だからやるけど、もちろん料金は払ってくれるのよね」

「いくらでも払うって言ってるでしょ!」


 ザビネさんにお金の話をしたのは初めてだ。でもアーシェさんはまた「はいはい」と、入り口らしき扉へ向かう。


「ショタァ、これを持ってて」

「これ、って。袖を?」


 扉を開ける前になにかと思えば、ゆったりとした袖の端が差し出された。

 問いながらも、従う。するとアーシェさんは声を潜め、「絶対に離しちゃダメ」と僕の目を見つめる。


「は、はあ」

「ちょっと早くしてっ」


 後ろで急かされるのには、もう答えない。アーシェさんは頷いて、扉を押し開く。中は真っ暗だ。宿から持参したランプが床から壁、天井を順に照らす。なんだか冷たい風が、首すじをくすぐった。

 広い部屋の真ん中に、椅子を八つ揃えたテーブルが置かれていた。奥の壁に扉が二つ。ザビネさんは左側を指さし、「そっち」と。


「ねえ。ギルって人は、ここに住んでるのよね」

「そうよ」

「恋人を呼んで、食事でもして、楽しく過ごしてたのよね」

「そうよっ」


 言われたほうの扉を、アーシェさんはくぐる。当然に僕も、その後を続く。

 苛立つ口調に熱の増すザビネさんとはうらはら、次の部屋はさっきよりもはっきりと温度が下がった。


「なんだか寒いです」


 シャツの首元を押さえ、ぎゅっと身体を縮めた。冷蔵庫の中みたいなのに、なぜか息は白くならない。


「そうね。氷を置いた保管庫でもあるのかしらね?」

「そんなの知らない。私は寒くないし」

「でしょうね」


 知らない。分からない。ザビネさんの言葉の多くは、そういう単語だ。

 もちろん恋人の仕事場を熟知しているはずもないけど。もう少し考えてから答えてくれても、バチは当たらないと思う。


 さておき二つ目の部屋は厨房兼、食堂のようだ。前の部屋は物がなくて殺風景だったのに、ここは木のカップやら、中身のあるらしい鍋やら。生活の臭いが、アーシェさんの持つランプに浮かび上がる。


「うわっ!」

「な、なによっ!」


 厨房の奥へ目を向けた僕は、驚いて声を上げた。ザビネさんはその声に驚いたみたいで、苛々と睨みつける。


「すみません、そこに」


 向けようとした指を、アーシェさんが握った。言いかけたのは、厨房の奥に立つ女性だ。人を見て驚くなんて、失礼なことをしたと。

 でもその人の目の前に小さな棚があって、なにか作業をしているのか。こちらへ関心を示す気配は無かった。


「ショタァ。邪魔しちゃダメよ」

「邪魔ですか、すみません」

「ちょっと。二人でわけの分かんないこと言わないで」


 たぶん、構うなということだ。アーシェさんは首を横に振る。ザビネさんは言い返されると向きになるみたいなので、そうかと黙った。


「ねえ。まだかしら」


 食堂からさらに奥の扉を開け、次の部屋へ。途端、氷を押し当てるような風が流れ始める。僕の主は素知らぬ顔で、ギルさんの居場所を尋ねていたけど。


「この部屋よ。奥に扉があるんだけど、開かないの」

「ええと。ああ、あれね」


 八畳くらいの部屋に、低いテーブルが据えられている。その下にはふかふかの絨毯も敷かれ、この世界ではかなりの贅沢品と僕にも分かった。


 一人掛けが二つと、二人掛けが一つ。添えられたソファに、また女性が居る。ちょうど四人。暗くて顔がよく見えないけど、みんな明るい色のワンピースを着た二十歳くらいに思える。


「ショタァ、こっち」

「え? はい」


 ソファのすぐ後ろを通るのに、ひと言くらいなにか声をかけるべきだったろう。けれどアーシェさんが手を引いて、早く歩けと急かした。


「ここね?」

「早く開けて」


 頼んでいる立場なのに、どうしてこうも偉そうなのかな。いや、違う。それだけギルさんのことが心配で、他へ気を回す余裕が無いんだ。

 一人でそんなことを考える間に、アーシェさんは扉を押したり引いたりする。


「言う通り、開かないみたいね。鍵は?」

「あったら、あんたたちなんか呼ばない」

「そうよね」


 鍵を渡すよう出した手を、ザビネさんは撥ね付けた。

 痛いのは僕じゃないのに、びくっと首を竦める。誰かが怒りの感情を見せるのは、どうも苦手だ。


「ギルバルトさん聞こえる?」


 力強く扉が叩かれ、アーシェさんは声を張り上げた。

 彼女の大声は、あまり聞く機会がない。こちらは怒っていないと分かっているけど、やっぱりビクリとしてしまう。


 室内で、声が響くせいもある。そう思うと、ここはやけに声が重なって聞こえた。僕の住んでいた家の、タイル張りのお風呂みたいだ。


「返事がないわね。でも出られないのは大変だけど、死ぬってことはないんじゃない?」

「分かんないわよ。彼が立て篭ってすぐ、悲鳴が聞こえたんだもの」

「悲鳴、ね。じゃあ扉を壊すしかないか。構わない?」


 ザビネさんの態度にも、状況にも、アーシェさんは動じない。淡々と解決策を提示し、やはり偉そうに「早くして」と返された。

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