第十五話「IN MY DREAM」
◆
そしてどういうわけか、私達は展望台で夜景を眺めていた。
駅前にある、ランドマーク的な高層ビルの31F。地上までの高さは145mらしい。
私達二人の他に客はいない。月明りと星の海、窓の隙間から零れる夜風の音色を
違う言葉で言えば、愛してる。
振り向きながら、真行寺は甘い声で最後の歌詞を囁いた。
「月が綺麗ね、音無さん。――こういう時の返し、なんて言うか知ってる?」
そんなの小学生でも知っている。答えは、
「一人で死ね」
「ひ、ひどいわ!?」
うるさい馬鹿。文学なんか知るか。一人で浸ってろ。
「ふふふ。でも流石よ。そんな最低の返しを思いつくなんて。やっぱり貴女は私に相応しい――」
もうそれの基準がさっぱりわからないな。お笑いコンビでも目指してるのか?
「それにしても、やっぱりいつ来ても気持ちいいわね、此処は。見なさい音無さん。まるで人がゴミのようだわ? ふふふ」
「……馬鹿と煙は何とやらって、よく言ったもんだよな」
溜息を吐きながら、私は窓際ではしゃぐ真行寺の横に立つ。
「……で? なんでこんなところに連れてきた?」
「何でって、デートの締めといえば夜景に決まっているじゃない。常識でしょう?」
「そんな常識より普通の常識をおぼえろ」
結局、あのカラオケが終わった後。コイツはヴィクトリカの話をちらつかせながら、私をショッピングに連れ回し、やたら高級そうなレストランに連れ込んだ。こっちは制服姿な上に、学校の帰りの途中だったってのに、気まずいったらありゃしない。まったくとんだ一日になってしまっていた。
「ふふ。まぁ私は常識に囚われない事を信条にしているから。だけど、音無さん」
「?」
「今日は本当にありがとう。私のワガママに付き合ってくれて。やっぱり、とっても優しいのね」
サングラスを外しながら、真行寺はどこか儚げに微笑んで見せる。
――何故だか分からないけれど。私は今日初めてこいつの自然体を見た気がした。
「真行寺」
「なに?」
「おまえさ、なんでヴィクトリカに入ろうと思ったんだ?」
未だに分からない事を確かめる。何故こいつはこんなにも私に執着するのか。
そもそも何故こいつはこんなところに居るのか。
「業界に
舞子の話じゃ、コイツが1年前にいきなり現れて、バンドに入れてくれと言ってきたのが始まりらしいけど。東京に住んでいた元芸能人のお嬢様が、一体どうやってこんな地方の高校生バンドの存在を知ったのか。なぜそこに入ろうと思ったのか。
そこをはっきりさせない限り、コイツの真意は読み取れない。
「……少し長い話になるけれど。聞く気はある?」
私が頷くと、真行寺は静かに話し始めた。
「私ね、高校生の時。とってもやさぐれていたの。数か月後にCDデビューが決まっていたのに、声帯を痛めて声を出せなくなってしまって。……最悪の時期だったわ。二度と同じ声で歌えないと言われた時は正直、生きる気力を失った。――だって私には、歌しか自分の取り柄がなかったから」
手すりに肘を置き、真行寺は夜の街に視線を落とす。
「子役の人生なんて華々しいものに見えるけれど、実際はそうじゃない。来る日も来る日もレッスンの毎日。たまに学校に行けば、みんな大騒ぎ。授業の内容なんてさっぱり分からなかったわ。同年代の子達が、一体何を好きで、何を考えているのかも。まるで自分が宇宙人にでもなった気分だった」
子役の日常。一般人の私には想像するべくもない世界。
だけど。宇宙人という言葉には、少し感じ入るものがあった。
舞子たちと出会うまで、私もそんな風に扱われていたから。
「それでも、小学校の頃はまだ良かった。仕事が沢山あって、自分がスターだという自覚もあったから。自分は特別な存在だと思い込んで居られた。だけど番組のレギュラーが終わって、中学に入った頃。私の仕事は激減して、芸能界を離れざるをえなくなった。そこから、私の人生は狂い始めた」
青い瞳が、虚ろに陰り始める。
「中学では勉強ができない事や、色んな”常識”を知らない事をひどく馬鹿にされた。学校なんて行く時間全然なかったから当然よね。私、いまだに漢字なんて自分の名前くらいしか書けないし、算数も掛け算までしかできないの。戻ろうとしても、今さら普通の人生になんか戻れるわけなかった。だって私にとっては、
真行寺は『変なヤツ』だ。それは決して冗談じゃなく、深刻な現実として。
最初は好奇心で人も寄り付いたかもしれない。だけれど、話題が合わない。空気が読めない。そんな人間はいつしか疎まれ、誰にも相手にされなくなる。
面倒なものとして、隅に置かれる。
「父親は、日本の学校に馴染めないなら海外の学校に、勉強が苦手なら、いずれ音楽の道に進めばいいなんて言って、私とママをアメリカに移住させた。7歳まではアメリカに住んでいたから、英語にさほど苦労はなかったけれど。結局私は向こうでも『普通』には馴染めなくて、すぐに悪い子達と付き合うようになった。いわゆる不良ってやつね。喉がダメになったのも丁度その時期のこと。気持ちが荒んでいた私は、その場の衝動に身を任せて、馬鹿な真似を沢山したわ」
「……馬鹿な真似って、具体的には?」
「ふふ。そうね。本当に色んなものに手を出したけれど。一番馬鹿だったのは、」
子供のように無邪気に笑い、私の方に視線を向ける。
そして真行寺は、
「――自殺未遂、とか?」
無機質な表情で私を睨み。氷のような声でそう呟いた。
私が無表情で視線を返すと、真行寺はまた夜景に視線を落とす。
「……面白くない冗談だな」
「……そうね。それは本当にそう」
きゅ、と。手すりの上に置いた腕に爪を食い込まなせながら真行寺は言う。
ひとつ溜息を吐きながら、私も手すりに腕を乗せる。
「……お前の身の上話。割と面白いけどそろそろ飽きてきた。いい加減、早く聞かせろよ。ヴィクトリカに入ろうと思った切っ掛けを」
「……ふふ。そうね。少し話しすぎちゃった。でも私がどういう人間なのかを知らないと、貴女もきっと納得しないと思ったから。許して頂戴?」
「許す許さないは、その先の話次第だ」
「そうね。じゃあ話すけれど。……私がヴィクトリカの存在を知ったのは、今からちょうど三年前よ。あなた達四人が、軽音楽部の全国大会に出ていた時のことね」
「……全国大会? あのライブを見たのか?」
「ええ。荒んだ環境を変えるために、日本に連れ戻されていた時期の事だったわ。
家に軟禁されていた私は、父親がパソコンで動画を見ているのをたまたま見かけたの。普段あの人が絶対に見ないような、高校生のバンドのライブ動画だったわ。
そこには制服を着た四人組――赤い髪をした、貴女の姿が映っていた」
四角い、最近流行りのタッチパネル式の携帯電話を取り出して。真行寺はその動画を開く。2010年、特別賞、ヴィクトリカ。思わず目を背けてしまいそうなくらいに眩しい、あの頃の私たちがステージの上に立っている。
「これは今でも私の宝物。まだ何もかも荒削りで、いかにも学生バンドという感じだったけれど。……衝撃だった。特に、ギターを弾く貴女の姿は。背が高くて、男の子みたいにきりっとしていて。割れたガラスみたいに尖った目つきで、血が滲むような激しい音を奏でていた。この日本中、いえ、世界中探してもどこにもあんな女の子は居ない。――すごく綺麗で、頭に焼き付いて離れなかった」
動画の再生が終わり、真行寺は携帯をしまいこむ。
「……お前の父親って」
「……そう。あなたがこの街で会った、
名字の時点で察しはついていた。だから特に驚きはない。
問題はその後だ。
「――その頃の私は、音楽の道に絶望していたの。元々あったCDデビューの話も、私が望むような形じゃなかったから。私がやりたかったのはロック。それもプリティー・レックレスのようなハードな路線。今時の日本でそんな企画は通らないと父親は言って、私は不貞腐れるように喉の治療を拒んでいた。――けれど」
そっと自分の喉に触れながら、少し掠れた声で真行寺は言う。
「貴女たちの動画を見た時。私は自分のやりたい事が見つかった気がした。……もう一度、歌えるようになって。貴女の隣で歌いたいと思ったの。音無さん」
真行寺は穏やかに笑う。何か大切なものを見るように、目を細めながら。
「なのに――、全く、あの男と来たら」
「……なんだ?」
私が尋ねると、真行寺は苦虫を噛み潰したかのような表情で目を逸らす。
「っ……私の父親。貴女にすごく失礼な言葉を吐いたでしょう? ヴィクトリカから、貴女だけを引き抜きたいとか、なんだとか」
「ああ――」
確かに言っていた気がする。ついでに何か、説教臭いことも。
「そういや何か、ユニットを組ませてたいとか言ってたけど。それって」
「っそう! それ! 私はちゃんと言ったのよ!? あの子たちとデビューしたいって! ものすごく頭を下げて、真面目に治療する約束までして! なのにあの男、断られたから諦めろとか言って……ッ!!」
真行寺は顔を真っ赤にして声を荒げると、やがて胸に手を当て深呼吸をする。
「ごめんなさい。取り乱したわ」
「ああ」
「っとにかく。私はそれきりあの男と袂を分かったの。喉を治療した後、自分で直接あなた達の元に交渉にいくつもりだった。だけど二年後、私がこの街にやってきた時――貴女はもう、居なくなっていたわ」
成程。そこまで聞いて、ようやく話の全体像が見えてきた。
「最初は舞子も、双子も、貴女のことを話そうとしなかった。だけど打ち解けていく内に、何があったのかを説明してくれたわ。貴女がまだこの街に居て、心に深い傷を負いながら引きこもっていることも。……本当はすぐに会いにいきたかった。だけど勇気がなかった。ずっと憧れていた貴女に、どんなふうに話しかけたらいいのか全然わからなくて。最初に、貴女をこの街で見かけたあの時も怖気づいて帰ってしまったわ。覚えてるでしょう?」
「ああ……」
確か舞子に泣かれて、仲直りした日のことだ。
どこかで見覚えがあると思っていたけど、その時会ってたのか。
「実は今でも結構、心臓バクバクなのよ私。だって興奮するわ。こんなに近くに、ずっと憧れていた貴女が居るなんて。今日はもう、こんなに一緒に過ごせて、ハァ……ハァ……頭がおかしくなりそうよ!?」
「もう十分おかしいから安心しろ」
でも、色々合点がいってきた。
コイツの様子がおかしい理由も、やたら私に執着する理由も。
「……お前さ、ほんとは脅す気とかなくて、私と話したかっただけなのか?」
「え? ええ。もちろん。ごめんなさい。ヴィクトリカを辞める気なんてないわ。私、家を追い出されてるし。今は舞子の所に転がり込んで一緒に住んでるの。伝手があるっていうのも、本当は嘘。私に今更そんな力はないわ」
やっぱりそうか。
なんだかすごく――時間を無駄にした気分。
「……事情は、大体わかったよ。お前はなんか、色々とアレな性格で、完全にストーカーのクソ女だけど。……別にそこまで悪い奴じゃなさそうだ」
「ふふ。誤解が解けたようならよかった。でもクソ女はやめて?」
「ビッチ・パーフェクト」
「面白いあだ名をつけないで!?」
咄嗟に思いついた割にはおまえにぴったりだと思うけど。
「真行寺。――お前の性格はともかく、歌はさ。本当に凄いって思うよ。私が今まで出会ってきた中で、一番の素質と実力があると思う」
「……本当? なら、私と一緒に」
「でも、私はヴィクトリカに戻る気はない」
「……どうして?」
「あの三人だけで頑張り続けてたから、今のヴィクトリカがある。自分の都合で勝手に抜けていった私に、今更戻る権利なんてない」
「……そんなの、つまらない
「……かもな。けど今の私には他にやりたいことがある」
真行寺の表情が堅く強張った。
何か怒りに任せた言葉を吐こうとして、抑え込む。
「……何故? なぜ貴女は。あの子たちにそこまで」
「……お前が私に拘る理由と一緒だよ」
「……え?」
「……あのバカと、その友達と、お節介焼きの弟が居たから今の私がある。あいつらが私の手を引っ張って、私に立ち直る切っ掛けをくれたんだ。……ほら。お前が私に拘る理由とおんなじだろ?」
少し置いて、言葉の意味を真行寺は理解したようだった。
ぐすん、と鼻を鳴らしながら目をこする。
「……
「……、なにも泣くことないだろ。大体お前、私の事買い被りすぎだ。日本中探せば、別にメタル弾ける女なんて他にいくらでも――」
「いないわ! 居たとしても嫌よ! あなたじゃなきゃ絶対嫌! ッ……そもそもこんなの寝取られだわ……!? ああもう……脳細胞が破壊されそう……!」
誰が誰といつ寝たんだよ。失礼極まりない奴だな。
「……とにかく、もういいか? 私は帰るぞ」
「いいえ! まだまだ全然話は終わってないし、諦めないわ! 私の計画には絶対に貴女が必要だもの!」
「……計画?」
不穏な言葉に、つい足を止めてしまう。
「そう。計画。……音無さん。さっきの物言いだと貴女は”とりあえず”あの子達に付き合っているように思えるわ。ひとまずその理由については納得してあげるけれど、貴女――その後はどうするつもり?」
「どうって?」
「ちゃんと将来のビジョンは見えてる? ものすごく真面目な話よ、これは。今のバンドでメジャーデビューを目指しているの? 高校を卒業したらどうするつもり? そういう話は、メンバーとしたことあるの?」
「…………」
別に、忘れていたわけではないけれど。
まだしていない。一年後、自分がどうなっているのかも想像がつかない。
「その表情。――やっぱりね。ならまだ全然脈アリと見たわ」
にやりと、真行寺は無邪気な笑みを浮かべる。
「音無さん。聞いてくれる? 私の夢を」
「……夢?」
「そう。夢」
青い瞳が、星のように瞬く。
私にはない光が、私を照らす。
「私の夢はね、世界制覇」
左手を腰に当てて仁王立ち、右の人差し指を私に付きつけながら真行寺は叫ぶ。
「ガールズバンドで天下を獲る事よ!!」
――思わず、笑ってしまいそうになった。
背丈は大人なのに、顔も仕草も、まるっきり小さい女の子みたいだったから。
「……どう?」
「……いや。どう、って言われても」
アホだな、としか。
「私の父親のように、音楽もビジネスだなんてただの言い訳だわ。何番煎じのモノだらけになっていく今の世の中だからこそ、ロマンが必要なの。そう、時代を変えるほどの影響力を持つ、強烈な
夜の街並みを見下ろして、真行寺は両手を大きく広げる。
「それこそが、私の目指すモノ。時代を変える、史上最強のガールズロックバンド。可愛いだけなんて言わせない。誰にでも格好いいと言わせてみせる。私はヴィクトリカをそういうバンドに育て上げるつもり。コンセプトはDo It Yourself! 男女共同さんか、さか、さんきゃく? 社会よ!!!」
「絶対意味わかってないだろそれ」
馬鹿のくせに難しい言葉を使いたがるな。……でも。
少しだけ羨ましいと思ってしまった。そんな理想を、本気で抱けるものなのかと。
「……とにかく。その為には貴女の力が絶対必要なのよ音無さん。この計画に、貴女ほど相応しい人はいないわ、貴女は現代のジョーン・ジェットになれる。男も女も憧れる、そんな存在にね」
「……ランナウェイズだったら、私はリタ・フォード派だけどな」
「どちらでも構わないわ。私がシェリー・カーリーで、貴女はその横に立つのよ」
「その根性だけは認めてやるけど。おまえ、肝心の曲は書けるのか?」
「いいえ書けないわ? だから私の為に書いて頂戴!」
「ふざけるな」
自信満々に言いやがって。Do It Yourselfの精神はどうした。
「でも大丈夫」
真行寺は言う。
「叶うわよ、どんな夢も。貴女と私が居れば、絶対に」
そして、映画のワンシーンのように笑った。
月明りの下、地上に滲む無数の光を背にして立ちながら。
擦り切れた子供の声で、途方もないユメを語って見せた。
こんな風に笑う人間を知っている。
奔放で、自分勝手で。泣いたり喚いたりいつも忙しい。
だけど何処か憎みきれない、人たらしのろくでなし。
もし、本当に。こいつともっと早く出会っていたら。
私は――。
「ところで音無さん。最近、ある筋に教えてもらったのだけれど――日本では百合という言葉があるらしいわね」
「……ん?」
急になんだ。ゆり? 花の名前のことか?
「覚えてるかしら。私達が小学生の頃、ロシア人の女の子二人組アーティストが来日して色々と物議を醸したことを」
ああ。なんか居たなそんなの。
確か高宮がしつこくロシア人がドタキャンで、伝説の夜がどうとか言ってた奴だ。
「なんでも彼女達は手を繋いだりキスをしたり同性愛を匂わせることで世間を騒がせていたらしいわ。事実のほどは分からないけれど、それってなかなかスリルがあっていい演出だと思わない?」
「いや、全然」
「ふふ。ところが今の世の中、結構注目を集めているのよねそれが」
いったいどこの世の中だ。
有無を言わさず、ねっとり指を絡ませながら顔を近づけてくる真行寺。
「バンドを組んだ暁には貴女と私で百合営業――スキャンダラスな関係になるのもやぶさかではないわ? ところで綺麗な手してるわね音無さん。ふふふ。すりすり。って痛い痛いわ! ごめんなさい!!」
手に頬ずりされて凄く気持ち悪かったので思いっきり腕を捻ってやった。
悲鳴を上げて綺麗な顔に涙を滲ませながら真行寺はうずくまる。
「ハァ……ハァ……痛い……あれ? でもちょっと気持ちいいわ? なぜ?」
「知るか変態」
うん。やっぱりないな。天地がひっくり返ってもこいつと組むのはあり得ない。
もうさっさと帰ろう。そして明日から今までどおり無視しよう。
……これ以上こいつと居ると、割と本気で何かが危うい気がするし。
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