第十八話「Title Of Mine」

                 ◆


 雨降りの帰り道。傘を差しながら街を歩いていると、ジャージのポケットに入れた携帯電話が震えだした。誰からか確認すると、響。どうせ大した用事じゃないだろうと無視して信号待ちの交差点に捕まると、また携帯が震えだす。


(……五十嵐?)


 響といい、一体何の用事だろう。妙に思いながら電話に出る。


「……はい」

『あ、楓先輩! すいません急に! その、今学校の外ですよね! 高宮のこと、どっかで見かけてないですか!』

「……? 別に見てないけど」

『そう、ですか。……すいません。でも、もし見かけたら。アタシか響に連絡ください。っ……それじゃ』

 

 それだけ言うと、五十嵐は電話を切ってしまう。何か、取り乱したような様子だった。前を向くと信号はちょうど青。歩き出そうとしたその時――視界の片隅、反対側の歩道で傘も差さずに走る男子高校生の姿が目に入る。


(……高宮?)


 ずぶ濡れで髪型が崩れているから一瞬、別人かと思った。だけど制服と背格好からして本人だろう。必死の形相で道を駆けていく。何か、異様な雰囲気だった。

 ポケットから携帯を取り出して、リダイヤルから五十嵐の名前を選択する。


「……」


 だけど、そこで手が止まった。

 一体私は、何をしようとしてる? こんなことをする義理はないはずだ。それに一体どう伝えるつもりだ。こうしてる今も高宮の姿はどんどん遠ざかっていく。さっき街中で見かけたなんて言った所で、何も伝わらない。迷惑なだけだ。

 

『だからアタシは――友達として。あいつが立ち直れるきっかけとか、作れたらって思って……』


 だけれど、あの時、辛そうに沈んでいた五十嵐の表情と。さっきの電話で、別人のように上ずっていた声が、妙に頭から離れない。


「……くそ」


 携帯を閉じる。傘をしまって、雨の中を駆けだした。


                  ◇


 店に着くなり、俺はトイレの個室に駆け込んだ。持ってきた万札を財布に戻し、コンビニで買ったハサミをバッグにしまい込む。ICレコーダーの残り容量も確認済み。あとは、やるべきことをやるだけ。


「……」


 千葉先生、俺は本当に馬鹿だ。言われたこと、ちゃんと覚えてたはずなのに。いつの間にか忘れて、つまらない意地を張って。また同じ事を繰り返そうとしてた。

 だけど、今度は間違えない。

 いま俺が本当に、やりたいことをやる。


「遅せえんだよ、タコ」


 カラオケの個室。扉を開けるなり顔面を殴られた。部屋の中には坂上と、智也と、その取り巻き四人。今日も酒と煙草の匂いが充満している。いい加減、鼻が曲がりそうだった。


「で、金は?」


 バッグの中から封筒を取り出す。すぐにそれを奪われた。


「へえ。本当に持ってきやがった。おい、パス」

「うぃっす。さーて、どんくらい持ってきてくれちゃったのかなぁ~」

 

 連中の注意が封筒に行った隙に、俺はバッグを置いて、テーブルの上にあるマイクを拾い上げる。その一瞬、智也と目が合った。俺が口元をにやつかせると智也はわずかに、目を見開く。


「……あ?」

「どうした?」

「んだこの中身、……ノートの、切れ端?」

「は? ……おいテメェ、いったいどういう――」


 瞬間、振り向いた坂上の顔面に、俺は思いっきり左拳を叩き込んだ。尻もちをつくその姿を見下ろしながら、俺は右手で持ったマイクを口に当てる。


『ぎゃはははは!!! 騙されたなァ、このクソボケ共が!! いつまでも調子こきやがってよォ!』


 掴みかかられ、顔面に一撃を貰う。倒れ込んだところを、全員で袋叩きにされた。壁にもたれかかりながら、俺は血反吐と台詞を吐く。


「……く、く」

「あ? 何笑ってんだテメェ」

「……ああ。言うの忘れてたけど。さっき、警察に通報してきたんだよな。飲酒に、喫煙。ついでに集団暴行。十分だろ? お前ら全員、今日で終わりだ』

「ああ? テメェ、適当ほざいてんじゃねえぞ」


 腹にもう一発、蹴りを入れられる。

 

「お、おい。雅也。通報ってマジなんかな」

「は。マジなわけねーだろ。どうせハッタリだ。そんな奴らいくらでも見てきただろ。万が一本当でも、最悪補導されるだけだ。別に捕まりゃしねーよ」

「……あれ。やけに早口になっちまって。ビビってんすか、坂上先輩?」

「……あ"ぁ?」


 髪を掴まれ、思いっきり引っ張り上げられる。


「……つーかテメェ、マジでアホだろ? お前も俺らの仲間扱いなの分かってる? バレりゃ一発で退学だぜ。せっかく見逃してやろうと思ったのによ。チャンスを棒に振りやがって」

「チャンスを棒に振る? ……逆だバーカ」

「あぁ?」

「俺はチャンスを棒に振ったんじゃない。クソむかつくテメーをぶん殴って、金は渡さねえし、バンドだって続ける。全部勝ち取るための賭けにきたんだ。……もし仮にテメーらボケのトンチキの仲間扱いされるくらい、日本の警察が無能ならよ。それならそれでもう知ったこっちゃねえ。テメーら全員道連れに、一緒に少年院でも何でも行ってやるよ」


 笑いながら言い切って、坂上の顔に唾を吐き捨てる。また一発、顔を殴られた。


「……完全に、キレたわ。おい、あれある? メリケンサック」

「お? あれ使っちゃう? ほれ」

「……テメー調子乗りすぎだ。前歯全部へし折って、二度と歌えなくしてやるよ」


 坂上の右拳に嵌められた金属がぎらりと輝く。――流石に、怖気が走った。二度と歌えなくなる。そこまでの暴力を振るわれる想定をしていなかった。


(……五十嵐、響)


 二人の顔を思い浮かべる。楽しかった時間が、走馬灯のように蘇る。

 失いたくない。まだ一緒に居たい。あそこに今すぐにでも帰りたい。


(……だけど)


 こんな結末も、ある意味では俺に相応しいのかもしれない。

 だって、あの時間はまるで夢のようで。

 欲しかった願いは全部、叶っていたから。

 ひたすらバカで迷惑な俺なんかには勿体ないくらい、幸せだったから。

 

 坂上の腕を振り上げるのが見える。

 

 緩慢に滲む世界の中で、俺は目を見張った。

 

 後ろに立っていた、そいつの行動に。


「……おい、トモ。何のつもりだ」


 智也が、坂上の腕を片手で制している。

 ぎりぎりと、音が出そうなくらいの強い力で。


「いい加減にしろよ、クソ野郎が」

「あ? ……テメ今なんつった」

「みっともねえからやめろっつってんだよ。クソ兄貴」

「お、何だ何だ兄弟喧嘩か?」「いいぞー智也。かーっこいい」


 周りの奴らが呑気にヤジを飛ばす。

 坂上兄弟は互いに憎悪の表情を浮かべ睨み合う。

 なんだ、これ? ……一体何が起こってる。


「テメーは昔からそうだ。気に入らねえ奴がいたら叩かなきゃ気が済まねえチンケな性格で、そのくせ群れてオラつくことしかできねえ雑魚。本当は怖いんだろ? そいつが。一人じゃ思い通りにできねえからわざわざ周りを巻き込んでんだ」


 自分より背の低い兄貴を見下しながら、智也は高慢に顔を歪ませる。


「……トモ、てめえ喧嘩売ってんのか」

「見りゃわかんだろ。他にどう見えるってんだ? ヤンキー崩れのダボが」


 激昂した坂上が智也に殴りかかる。しかしそれよりも早く、智也の長い腕が坂上の顔を打ちのめした。勢いよくテーブルの上に突っ込んで、コップとボトルが割れて床に落ちる。


「ぐ、か……!」

「ほらみろ。テメーもそこのバカと一緒だ。ちゃらちゃらしてるから力じゃ俺に敵わねえ。運動部舐めてんじゃねえぞ。クソ軽音部がよ」

「う、るせえ。てめえら! 何ぼーっとしてんだ! そいつ捕まえろ!」


 俺を取り押さえていた二人が、今度は智也を囲んで抑えつける。

 メリケンサックをつけたほうの腕で、智也は5、6発も腹を殴られた。


「ッ……ほら見ろ。こんな風に人の手も借りなきゃボコれねえ。まったく嫌になるぜ。なんでテメーなんかが俺の兄貴なんだか」

「黙れよ、てめえ。マジで、殺すぞ」

「やってみろよ。ひよこ頭」

「……ッ!」


 坂上が拳を振り上げたその時――また智也と一瞬目が合った。

 にやっと笑うその顔を見た時、智也と野球をやっていた頃の思い出が蘇って、

 俺は思わず、叫んでいた。


「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 瞬間、個室の扉が勢いよく開く。

 そしてその、予想外の来訪者に全員が顔を顰めた。


「あ? ……誰こいつ」


 現れたのは、三好先輩だった。

 振り上げていた拳を下げ、坂上は怪訝そうに三好先輩を睨む。


「……なんだテメェ。何しにきやがった。まさか、こいつに呼ばれたのか?」

「……まだ、こんなことを続けてたのか。雅也」


 俺や周囲の人間、テーブルに散乱した酒類を見ながら三好先輩は呟く。


「ああ? 何が言いてえんだ、テメ……」


 坂上が三好先輩に近寄った瞬間、青い服を着た二人が部屋に押し入ってくる。


「警察だ! 全員、動くな!」

 

 にやついていた全員の顔が青ざめる。 

 そして、警察官の後ろからどすどす響く足音と共に凄まじい巨体が現れた。


「やあやあ。どうもお待たせしてしまって。あ、っていうかこれ通れるのかな僕。 ふ、んんん! よいしょっと」


 軽音部顧問の松本教諭だった。狭い入り口を何とか通り抜けて周囲を一瞥する。


「お、高宮くん。大丈夫かい? いやあこんなところに居たんだねえ。探したよ。でも、もう大丈夫だから。あとは僕に全部、任せてくれていいよ」


 取り巻き達の顔が一気に青ざめ、そのうちの一人が松本教諭の肩に手をかける。


「おい、デブ! てめえふざけたこといってんじゃ……」

「黙れッ!!!! ふざけているのはお前らだ!!!! こんな事をしてタダですむと思っているのか!!!!」


 落雷が落ちたみたいな大声だった。その圧倒的な迫力に、全員が口をつぐむ。


「いいか? お前ら。とぼけて済むなんて思うんじゃないぞ。店長に確認はとれてるし、証拠は十分ここに揃ってる。進路なんか全部取り消しになると思え」

「は、……!? ふ、ふざけんな! 俺の進路はもう決まって――」

「関係あるか! お前らは罪を犯したんだぞ! 甘い事を抜かすんじゃない!」

「ああ!? ちげえよ俺は! そいつらとは何の関係もねえ、酒だって無理やり」

「は!? マサヤお前裏切んのかよ!」

「ああ!? 元はといえばお前らが――」

「雅也」

 

 既に鼻の折れ曲がった坂上の顔に、三好先輩がトドメの右拳を叩き込む。

 

「……お前の事を。信じた俺が馬鹿だった」


 そして、ひどく悲しげにそう呟いた。


「三好くん。今のは僕見なかったことにするよ。それじゃみんなで外に出ようか」

 

 言われるがまま、俺達は店を出る。パトカーが数台止まった駐車場には、傘を差した見物人が立ち並び、その中から見覚えのある三人がこっちに駆けてくる。


「タカミー!」「高宮先輩!」


 一成と響。そして五十嵐が、人混みを間を掻き分けて、強引に俺の前に進み出る。そしてまた、俺は五十嵐に思い切り平手を打たれた。


「――ッ馬鹿野郎!」


 ひりひりと痛む頬を抑えながら、俺は五十嵐の顔をはっきり見た。 


「なんで、だまっ、てた……」


 五十嵐は、泣いていた。ぼろぼろと大粒の涙を流しながら俺の服を掴む。


「ごめん……」


 聞こえないくらいに小さな声で俺は呟いた。


「高宮くん。署の方で事情聴取があるみたいだからパトカーに乗ってくれるかな」

「……はい」


 俺の服を離そうとしない五十嵐を、一成と響が振りほどく。

 何も言えないまま、俺はその姿から視線を切った。

 暗い夜の街に、冷たい雨が染み込んでゆく。

 いつになったら、この空は晴れるんだろうか。

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