「ホラー苦手なんです」と彼女は言った

コウキシャウト

「ホラー苦手なんです」と彼女は言った

「ホラー苦手なんです。ああいったのを喜んで観る人達の気持ちが分からなくて」


と、清々しい今の季節と重なるような澄んだ声で麻衣は言った。彼女とは仕事を通じて知り合い、少し前から仲良くしており、今回家に招かれそこに向かって二人歩いている所だ。話題はいつの間にか観る映画のジャンルの事となり、「ホラーは観るの?」という俺の質問に対する麻衣の答えがこれなわけだ。


「やーいやーい怖がり麻衣」


登下校中気になる女子に対してからかう小学生男子の真似を俺は舌を出しながら思わずやってのけた。


「えーっ、からかわないでくださいよ~」


それにしても、俺はなんて幸運な男なんだろう。麻衣は歩けば周りの歩行者が電柱に衝突したり、通り過ぎた車が交通事故を起こしても違和感がない程の美貌の持ち主で、一見高嶺の花に見えるが実は親しみ易く明るい性格、優しくて手の甲にある少し大き目なほくろが個人的に魅力にも思える、良い意味で普通な所が有る女。天から落っこちてきた天使が地上を歩いてる、なんて例えは今どきイタリア人でさえ口にするのを躊躇しそうな陳腐さだが本当にそんな表現が似合うし、実は一発ギャグを持ってたり、気が強そうで実はお化け屋敷は大の苦手だったりと怖がりなのも魅力の一つだ。


そんな女性が家に招いてくれたわけだから行かないわけがない。余りにも都合が良過ぎるかもしれないが、俺はこんな女性に愛される自信が今までの成果から有ると思ってるし、スペックも数値化出来るものならどれも申し分ない。そしてこんな美女なら騙されたって構わないつもりでいた。


そして間もなく、彼女のマンションの前。白く塗られたマンションは少し錆びたベランダの柵に少し時代を感じる外廊下と思ったよりも古く、おそらく昭和末期辺りに作られたのが容易に想像出来る雰囲気は比較的洗練された彼女のイメージとギャップが有った。


「こちらです」


「結構、渋い所に住んでるんだな。なんつーか、らしくないというか」


「家賃が安めで駅に近い、利便性を重視した結果ですね」


年季の入った茶色い扉のエレベーターに乗り、外廊下を無愛想で少し頼りない白い蛍光灯が照らす中乾いた靴音を響かせながら歩き、彼女の部屋へ。これまた女性、とりわけ麻衣のような女にしては殺風景としか形容できない部屋が、目の前に広がっていた。整理整頓こそされているのだが、人間が住んでいれば自然と宿るはずの仄かな「熱」を何故か感じなかった。


「部屋まで渋いな・・。もうちょっと女の子、って感じに出来ねーの?」


「実は、まだ引っ越してきてそんなに時間が経ってないんです。そのうちそんな感じにしていきますよ。あ、荷物適当にそこらへんに置いてソファーに座ってくつろいでください」


「熱」を感じなかった理由、それは引っ越して時間が経ってないこと。


「うん、そうするね。あ、なんか飲み物とかって有る?」


ほぼ同じタイミングで冷蔵庫の粘り気の有るドアが開く音が耳に届き、麻衣は返事する。


「あ~すいません。今切らしちゃってますね。近くのコンビニ行って買ってきます!良かったらその間テレビ近くに置いて有るDVDとかでも観ててくださいね」


「おお、サンキュ」


ドアが閉まる音が聴こえ、俺は今女性の部屋に一人残った。いたずら心が働けば色々物色するのもアリだと思ったが、ここは素直に行儀よく彼女が勧めてくれたDVDでも観るのが妥当だ。テレビ下の棚に横置きになっているDVDのタイトルをチェック。「アバウト・タイム」ロマンティック。「グリーン・ブック」真面目。「オーディション」これはサクセスストーリー物かな?そして何も表記のないケースが。開けてみるとディスクにも何も表記がない。俺は好奇心からこのディスクをプレイヤーに入れて再生することにした。


画面に映ったのは、薄暗い独房の中で椅子に縛り付けられている男。目の前には机が有り、男の顔はうつむいていて良く見えない。雰囲気的には「ソウ」シリーズのようなホラー映画だ。なんだ、ホラーも観るんじゃないか。すると、固定されていると思ってたカメラが動き、男に近付いていく。少し不安定な動きから、おそらくカメラを片手で持ち撮影しているらしく、登場人物とカメラの視点が一致した所謂POV方式のホラー映画に近い感覚の作品なんだろう。


少しずつクローズアップし、撮影者の黒い手袋の指が男の顎に触れ、ゆっくりと持ち上げる。男はおそらく端正な顔立ちだったものの、髪は汗と血が入り混じり生々しい質感を携えており、顔は無慈悲にも幾つもの傷が刻まれ、傷口から流れたであろう肌にこびりついた乾いた血からは鉄の不快な匂いが画面から次元を超え伝わってくるようだった。そして男は腫れた目をゆっくりと開けた。


その瞬間ボッ・・という鈍い音と共にカメラの前に腕が横切り、薄汚い床に男は椅子ごと倒れた。ゲホ、ゲホと言いながら幾つかの血の飛沫が口から吐かれ、床に滲んでいく。そしてノイズが混じったような疲弊したハスキーな声が独房に響いた。


「もう・・・・・許してくれ・・・」


映画とは形容出来ない違和感を、自分の感性は少しずつ気付きはじめていた。何かがおかしい。特殊メイクにしては異様に力が入り過ぎているし、血の色にしたって妙に生々しい。もしかすると、これは実際の殺人を撮影した映画、スナッフフィルムの一種なんじゃないか?そうだとしたら何故麻衣のような女の部屋に?今すぐ再生を停止すべきという冷静な判断を俺の頭の信号が送る。しかし映像の続きが見たいという本能は意外にも強い。


撮影者の手は哀れな男の胸倉を掴み、椅子ごと元の姿勢に戻した。不安定な男の息遣い。するとカメラは男から離れ、男を真正面からとらえたアングルに固定された。おそらくカメラが机に置かれたのだろう。その状態で数十秒が経った後、撮影者と思われる人物が画面脇から現れた。黒のレインコートを羽織り、残念ながら首より上は殆ど見えない。片手に銀色に光る何かを持ちながら、コツ、コツとゆっくりとした靴音を響かせながら男に近付いていく。


すると突然レインコートの人物はその何かを男の口の中に突っ込んだ。よく見るとそれは歯医者等で見られる、患者の口を開けたままの状態にする開口器で、それから開けた状態の口を机の天板に当たるように後ろから押し付けられ、その状態で机から動かないように更に強く固定されていく。カメラに対し睨め付けるような男の眼には怒りと苦しみ、そして自身の無力さを認めるかのようなあきらめの気持ちが混在しているように見えた。更に今度は男の舌を何故か無理矢理引っ張り出し、何故かテープのようなもので舌の先端と天板を貼り付ける。傍から見ればそれは妙に滑稽で、不快な感情の中に一瞬だけ笑いの種が芽生えたものの、次の瞬間それは吹き飛んでしまった。


レインコートの人物が両端のポケットからおもむろに取り出したもの。それはハンマーと釘だった。ノイズのような言葉にならない声を延々と出し続ける男の舌に針を持った左手、ハンマーを持った右手が近付く。男は抵抗することも出来ず、おそらくざらついているであろう舌の上に違和感の有る鉄の先端が最後の慈悲深さと言わんばかりにわずかに優しく触れる。それからハンマーはゆっくりと持ち上げられ、数秒だけ映像から見えなくなり、はっきりと見えない速さで男の舌の上の針に振り下ろされた。


凄まじい叫び声が独房に、そして映像を観ている部屋に響き渡り、凄まじい痛みが映像を、そして目を通じて体中に伝わってくる。もう観たくない。だけど観てしまう。なるほど、これが怖い物見たさという感覚なんだ。随分久しぶりの感覚だ。映像の中では、鈍重な音がある一定のリズムで鳴り続ける。すると固定された男は最後の抵抗なのか、力を振り絞ったのかレインコートの人物が一瞬だけ釘を持つ手を緩ませたタイミングで指を噛み、手袋は外れてしまった。


「あっ・・・。これって・・・・・」


思わずつぶやきながら、映像を一時停止してしまった。しかしこのタイミングで。このタイミングで。偶然にしては余りに出来過ぎている。これじゃあホラー映画の典型的パターンじゃないか。瞬時に激痛が走り、意識が遠のき、床に倒れていく中で俺は何度も反芻した。これは外出血か、内出血か。でも、そんなのはもうどうでもいいのかもしれない。ぼやけた視界の中には、片手に何かを持った天使がいた。俺に優しい、俺に夢中なはずの天使。騙されたって構わない、という思いは撤回すべきだったな。自分の舌もきっと・・。


「ホラーって苦手なんですよ。みんな本当に痛がってないし苦しんでないし演技だし、血は偽物じゃないですか」


テレビには手の甲にほくろが有る人物が映っていた。

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