第六話:崩壊

「ねぇー佐藤くん。真剣に掃除してるー?」

「あーしてるけど……寝不足なんだよ」

「私一人でするから寝ておきなよ。昨日も遅かったでしょ?」

「白川一人にさせるわけにはいかないだろ」

「私、一人にさせた方が早く終わると思うんだけどなぁー」


 土曜日。

 白川の宣言通り、本日は俺の部屋掃除になった。

 午前中から働き詰めなので、お昼までには終わりそうだ。


「はぁー。疲れたぁー。やっと終わったなぁー」

「私のおかげだね。私が居なかったらずっと汚かったよ」


 反論したいが、その通りだから何も言い返せない。

 白川が次から次へと的確な指示を出してくれたのだ。

 こっちは私がするから、あっちは佐藤くんがするんだよと。


「あ、そうだ。お昼にしよ。今日はサンドイッチを作ったの!」


 白川結奈は料理上手だ。

 数日間一緒に生活していたわけだが、毎日三食作ってくれた。

 今までコンビニ飯やカップ麺を食ってきたので、手作り感満載な味が俺の胃袋を掴んだと言っても過言ではない。


「ふふふ。もう佐藤くんー。慌てて食べなくてもいいんだよ?」

「白川が美味すぎるものを作るから悪いんだよ」

「も、もう……て、照れるじゃん」

「何か料理が美味くなる秘訣とかあるのか?」

「愛情だよ」


 白川ははっきりと答えた。

 その後、薄らと笑みを浮かべ、心底幸せそうに。


「佐藤くんが美味しいって言ってくれるのを想像して作ってるの」


 長い沈黙。

 時々、白川結奈は大胆な発言を述べてくる。

 まるで、俺に気があるみたいに。


「モテない男をからかうのはやめてくれ」

「本気だよ。私、佐藤くんのこと好きだよ」

「ほら……またからかう……やめてくれ」

「もうぉー。こっちは本気で言ってるのにー」


 唇を尖らせた後。

 あ、そういえばと思い出したように呟いて。


「ねぇー佐藤くん。これってさ、なぁーに?」


 白川が掴んでいるのは透明な瓶。

 その中には白い粉が入っていた。

 掃除中に見つけたと言うが、見覚えが全くない。


「そっか……佐藤くんも知らないんだ。もう捨てていい?」


 ゴミ袋へと入れようとする白い手を、俺は思わず掴んでいた。


「だ、ダメだ!!」

「えっ……? 何か大切なものなの?」

「わ、分からないけど……うん……た、大切だと思う」

「ふぅーん。佐藤くんが言うなら……仕方がないね」


 ポイっと投げ捨てるように、白川は瓶を渡してくれた。


「白川、今までありがとうな。俺は十分幸せになったよ」


 部屋掃除は終わった。

 もうこれで俺と白川の奇妙な関係は終わりを告げる。

 そう思っていたのに。


「何辛気臭いことを言ってるの? これからだよ」

「こ、これから……?」

「うん。まだまだいっぱい幸せにしてあげるね」

「俺は何も返せないと思うが」

「返してくれなくても大丈夫だよ。側に居るだけで十分だから」


 というわけで、と呟いて、日焼け知らずの肌を持つ彼女は言った。


「今からデートに行こうよ。ちなみに拒否権はありません」

「えっ……? い、今から……?」

「うん。そうだよ、社会人は休みの間に遊びまくるだよ」

「はぁー。俺は家でゆっくりと過ごしたいんだが」

「と言いながら、毎日家に籠るタイプでしょ?」


 簡単な身支度を終わらせると。

 玄関前の鏡で容姿を確認していた活発女が不満を漏らしてきた。


「早くー早くー女の子を待たせちゃダメなんだぞ」

「急遽決められたんだが……?」

「人生ってのは何でも唐突に起きるんだよ」


 白川結奈に腕を掴まれ、強引に外へと連れ出された。

 駅前を散策し、気になった場所を見て回るのだと。


「クレープとかどうかなー? 美味しそうじゃない?」


 やれやれと頭を掻く陰気臭い俺と、太陽にも負けない笑顔の彼女。


「今日は一段と元気だな」

「佐藤くんと初めてのデートだからね。とっても嬉しいもん」


 それにね、と付け加えるようにもう一度呟いて。


「佐藤くんと邪魔な女との思い出を全部全部捨てられたんだもん。嬉しくないはずがないでしょ? これからはずっとずっと私が一緒に居るよ」


「思い出……? 邪魔な女……? 白川、どんな意味だ?」

「ん? ごめん、声に出てた? 佐藤くんのこと大好きって意味だよ」


 問い質そうとしたが、完全無視。

 あーあっちのケーキ屋さんも美味しそうだよーとか、佐藤くんが好きそうな中古本屋さんもあるよーとか言われてさ。でも楽しかったし、それでいいや。別に気に留めるほどのことじゃないと思うし。


 欺くして、俺と白川結奈の関係は段々と深まっていった。

 毎日三食愛情が篭ったご飯を食べさせてもらい。

 お互いの休みの日には、デートに出かけたりもした(強制)。

 一見順風満帆な人生を歩んでいると思われるかもしれないが。

 仕事に置いては、俺の無能っぷりがここぞとばかりに発揮された。


「おい、佐藤!? お前は何度言ったら分かるんだ。このバカが!」

「簡単な仕事もできないんじゃ、社会人失格だな」

「お前の代わりなんてな、誰でもできるんだよ。この給料泥棒が」

「学生気分で仕事やってんじゃねぇーよ。さっさと辞めろよ、無能」

「お前さ、いい加減にしろよ。陰気臭いし、うぜぇーんだよ!?」

「さっさと仕事辞めてくれねぇーかな。マジで気持ち悪いだけだし」

「え、てか。どうして仕事来るの? 何も生み出せないのに」


 上司の罵倒は日に日に増していく。

 言い返す気力も勇気もない俺の心は蝕まれていく。

 自分にも向いてないと自覚していたものの、五年間続けた仕事。

 今更転職など無理な話だ。

 そう諦めていた頃、遂に最後の日が訪れた。


「佐藤一樹くん、キミに頼みがある。自主退職して欲しい」


 社長からの呼び出し。

 何だろうかと思い、扉を開いた瞬間にこれだ。

 何か悪いことでもしたのかと思いきや、まさかの反応である。


「これは社員全員の総意だ。是非とも会社を辞めて欲しい」


 言われる通りに辞表を出し、俺は会社を辞めた。

 自分でも向いてない職業だと思っていた。

 元々現実逃避したいからこそ入った業界だった。

 あれ、何から逃げたかったのだろうか。もう思い出せない。

 別に何かをするわけもなく、ただ街をぶらぶらと歩き。

 夕暮れ時になる頃に、帰路へと着いた。


「今日は早かったんだね。おかえりー、佐藤くん」


 見計ったのかのように、白川結奈が玄関から出てきた。

 エプロン姿で、尚且つお玉を握っている。

 何か料理でも作っていたのかもしれない。


「どうしたのー? 元気ないけど……って、ええ。仕事辞めた?」

「俺は無能だから周りに迷惑ばかりかける?」

「どうせ、白川だって……俺のことをバカにしてるんだろって?」

「バカになんてしてないよ、私は本当に佐藤くんの大好きだよ!?」


 白川結奈が抱きしめてきた。物凄く温かく人間味に溢れていた。


「佐藤くんは悪くないよ。全然悪くない。生きてるだけで価値がある」


 だって、私の生きる意味だもんと言い、隣人は腕に力を入れてきた。


「どうせ、白川は口だけで何もできない? そんなことないよ」

「なら、証明してみろって……本当に良いの? 喜んでするけど」

「もう訂正は無しだよ。後から何か言うのは、絶対禁止。約束できる?」


 俺が首を振ろうとしないので、無理矢理コクコクと動かしてきた。

 その後、ニタァと笑みを浮かべ、子供をあやすように俺の頭を撫で。

 終いには——。

 俺はベッドへと押し倒され、身動きが取れなくなっていた。

 お腹の上に跨る下着姿の美女。俺の初恋相手。

 事前準備を怠らないのか、勝負下着らしい黒紫色のブラとショーツに履き替えた妖艶な彼女は一際上気した顔で、少しずつ俺へと迫ってきた。


「頑張ったね。辛かったよね。今からいっぱい癒してあげるね」


 その宣言通り、彼女は極上の楽園へと連れて行ってくれた。


「うふふふ、佐藤くん。いっぱい出しちゃったね。イケナイ子だね」

「多分だけど……これで妊娠確実だと思うよ。生に出したのはマズかったかな? もっともっと二人だけで遊んでからが良かったかなー?」

「でもさ、どうせ……私たちは結ばれる運命だもん。先でも後でも一緒だよね。それに赤ちゃんできたら……佐藤くん、もう逃げられないし」

「愛してるよ、佐藤くん。だから、佐藤くんももっと私を愛して」

「もう佐藤くんは、私が居ないと生きていけないんだからさ」

「一生ずっとずっと二人は一緒だよ、どこまでもどこまでも」

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