第17話

 菅沼すがぬまは、眠り姫だった。

 赤ん坊の頃はもちろん、成長してからも人生のほとんどを寝て過ごした。医学的に緊急性のある危険はないと判断された。

 退院後、けあきは月岡学園つきおかがくえんの生徒となる。けあきは、夢うつつに父親の書いた物語を聞いた。

 いつしか、自分は菅沼椎すがぬましいなのだと信じるようになっていた。

「永い眠りから目覚めたとき、セダカ君の子供を産む」

 月岡学園では生徒の特性上、男女交際をあえて禁じることはなかった。

 しかし、現実とは夢の中のことで、夢とは現実のことだと信じ切っているけあきである。けあきは、眠ったまま男児を産んだ。

 けあきの両親とも相談して、やはり、身に覚えのない子供を育てることはできないと結論された。

 そもそも月岡の生徒は、短命であることが多い。生徒は、心身のどこかに問題を抱えているからだ。

 妊娠・出産は、女性としての権利である。それを行使するには、しかないのである。

 大抵、男児は姉妹校の美陰学苑みかげがくえんに送られ、女児は特別養子縁組されることが多い。やはり、少女が赤ん坊を育てることはほとんどない。少女たちには才能があって、時間がない。子供を育てている場合でらないのだ。

 菅沼キョウタは、双子の妹の存在を知らない。

 けあきは生まれてからずっと入院していたし、その後は全寮制の月岡学園にいたからだ。病気の特性上、帰省してくることもない。両親も、キョウタにけあきの話はしなかった。

 キョウタは良くも悪くも母親である椎に夢中であった。そして、コンプレックスゆえに生まれた娘のひいらぎ。柊もまた病気で、弱視だった。医師になったキョウタは、娘の弱視を治そうと研究医を志す。

 一方、娘になったけあきは当たり前の生活を送れるようになっていた。

 そこで、父親は考えた。けあきにはキョウタを「セダカ君」と偽り、キョウタにはけあきを椎だと偽ったらどうだろう。「セダカ君」とはあだ名であるし、キョウタは若い頃の父親に、けあきは若い頃の母親にそっくりである。手許で育てている孫娘には、けあきを椎だと偽ればよいのではないか。両親がそばにいない少女に、それくらいの希望を与えても文句はあるまい。セダカ君は椎のために書いた物語をけあきに送り、柊には読んで聞かせた。

 セダカ君の大好きな女の子、椎の中には同時に複数人の人格があって、彼はその誰もが同様に大好きだった。しかし、大人はいつも一定であることを求める。椎にはそれが出来なくて、結果、出る杭は殺された。人格が一人消されるというのはほとんど殺人と同じである。友の消失に、正気を失ってしまわないようにセダカ君は物語を書いた。物語ならば、同時に全く違っている人格が存在していてもおかしくない。そうだ、菅沼けあきは、浅田あさだせとかにも、菅沼椎にだってなれるのだ。けあきはキョウタと同い年であるが、きっと姪の柊よりも幼い。ずっと少女のまま。

「ん? ところで、当の椎さんはいずこに」

「椎は、美陰学苑にいる」

 セダカ君は簡単に言い切る。

「ふうん」僕は何度も頷く。「ダウト! あそこは、厳格な女人禁足地のハズ!」

 セダカ君を二度見すると、不敵な笑みを浮かべている。

「私たちの娘が長く月岡学園にお世話になったからね。ちょうど美陰学苑で、職員が足りないとかで」

「え、いや、だから女の人は出入り禁止ですよね、あそこ?」

 こいつ、バカかとセダカ君の顔に書いてある。

「だから、男装しているに決まっているだろうに」

「ええ?」

 素っ頓狂な声をあげる。それでいいのかよ。

「椎が継いだのは、『荘司しょうじさま』だから。一般の学校でいうところの、庶務とかそんなところかな。未就学児の世話をしたり、庭や菜園を見たり。ふつう、美陰の生徒と関わることはほとんどない」

「ああ、なるほど…?」

 僕は首を傾げる。そこで、セダカ君は咳払いをひとつ。

「君も御師おしなら、苦心して振り分けた人生をひっくり返さないこと」

 僕は、返答できなかった。これで、良いのだろうか。

 セダカ君は嘘を吐く。

「君、全ては、女の人の幸せのためだよ。僕の人生は、全て、それに尽きる」

 自嘲気味に笑う。セダカ君こと、春太郎しゅんたろう氏は、とぼける。

「ところで、キョウタさんって、どういう漢字…」

 セダカ君は、手許のメモ帳に名前を書いて寄越した。

 欅詩。

「…ウソだろ?」

「はあ? ここは、仙台で、けあきの双子の兄なんだから、妥当だろう」

 ていうか、「けやき」って「キョ」って読むのか。初めて知った。

「確実に、息子さんに対するイヤガラセですよね」

「そんなことはない。仙台出身の誇りを感じるいい名前だろう」

 セダカ君は、非対称に微笑む。ウソつきジジイめ。とぼけてやがる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春に惚ける 神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ) @kamiwosakamariho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ