第10話 編入



エスカドル学院入学決定から数日後。

ミトスの姿は神殿を離れて、学院中等部の教室にあった。

教壇に立たされた彼女には、これからクラスメイトになる学生から期待の眼差しを向けられて、少しばかり……いや、かなり緊張していた。


「さぁ、自己紹介をお願いしてもいいかな?」


「う、うむ……妾はみ、ミトス・ガルディオスじゃ。見ての通り、モデル・フォックスのビーストじゃ。あまり尻尾は触らないでくれると助かる。」


ミトスは緊張のあまり、真っ白になった頭で何とか自己紹介を済ませる。

普段よりも少し小さめの声だったが、生徒たちにはきちんと届いていたらしく、教室は拍手で包まれる。


編入生の難所、「皆の前で自己紹介」という第1関門を無事に突破したミトスはほっと胸を撫でおろした。


「それじゃあ、貴女の席はカティアちゃんの隣よ。」


「うむ」


クラスメイトの視線を一身に浴びながら、そそくさと指定された席に着く。

ミトスの席は一番後ろの席のなので、席に着いてしまえば好奇の視線から無事に解放。途端、緊張で強張っていた全身から力が抜けて、思わず机に突っ伏してしまう。


「お疲れ様~」


「自己紹介だけこんなに疲れると思わなかったのじゃ……」


「いや、休み時間に入ったら、もっと疲れるイベントが待ってるよ。」


「??」


「中等部への進級から1か月が経過しました。新しい環境にそろそろ慣れた頃でしょうから、今日から本格的に授業が開始されます。さらには、来月の初めにテストがあります。」


”テスト”という単語に多くの生徒が「え~」と抗議する。

中には好成績を残さんと息巻いている生徒も居るが、少数派。大多数の生徒が”テスト”の存在を快く思っていなかった。


「芳しく成績を残してしまった方は先生との有り難い個別授業が待っていますから、くれぐれも注意してくださいね。」


(テストまで1か月か……手加減して欲しい所じゃが、中等部1年のテストなら何とかなるじゃろう。)


「それと、カティアちゃん。ミトスちゃんのサポートお願いできないかしら?」


「任せてください!!」


カティアがそれほど膨らんでもいない胸をトンッと叩きながら、威勢のいい返事を返す。

その頼もしい返事に満足したらしく、女教師は微笑みを浮かべた後、教室を後にした。


「むっ、あの教師が授業をする訳ではないのか?」


「中等部からは教科毎に担当する先生が変わるんだ。中等部からの先生は研究との両立になるから。」


「そういえば、この学院は教育機関であると同時に研究機関でもあるんじゃったな」


中等部の生徒を担当する教員は研究者としての側面を持っている人が大多数。

そのため、自分の研究時間を確保するために教科毎に交代して授業を行っているのだ。


「それよりも、ミトス。そろそろ覚悟した方が良いよ。」


「それはどういう—————」


言い切る前にクラスメイトたちが我先にとミトスの周囲に集まる。


「ねぇねぇ、ミトスちゃんって何処から来たの?」


「ビーストって事は行商も付いて行って事があるんだよな? どんな所に行ったんだ?」


「その尻尾、気持ちよさそう……触らせて!!」


「変な時期の編入だけど、何か理由があるの?」


「ハァ、ハァ……耳触っても良い!? それと尻尾も!!」


などなど集まったクラスメイトたちが矢継ぎ早に質問を投げかける。

中に、少々聞き捨てならない内容の質問があったような気がしたが、そんな事に反応する余裕もないくらいに詰め寄られていた。


こんなに大勢の人に取り囲まれて、質問責めにされた経験など無いミトスはどうすれば良いのか分からず、戸惑うばかり。カティアに視線で助けを求めるが、返ってきたのは「ごめんね」という無常な返答だった。





—————パンッ、パンッ!!





ミトスの瞳からハイライトが消える寸前、教室の中に手を打ち合わせる音が響き渡る。

子供たちの興奮がウソのように静まり、静観していた子も特に見向きもしなかった子も思わず、そちらに視線を移した


音の源は腰に手を当てて、威風堂々と佇む少女。

アメジスト色の長い髪の一部だけ左右対称に結い、ルビーの双眸が呆れたような眼差しで興奮していた同級生たちを見つめている。身長は同年代に比べると高めで、ミトスの頭の一個分ぐらいは高い。



「そんな一度に押しかけたら、ミトスさんが答えたくても答えられないでしょ? 質問は1人ずつにしなさい。」


「「「「「「は~い」」」」」


こうして、大人びた少女の一声によって、落ち着いて質問に応える事ができたのだった。

そして、ミトスへの質問タイムは1限目担当の教師が来るまで続けられた。




・・・




・・・・・・・




・・・・・・・・・




・・・・・・・・・・・・



時間は過ぎ去り、一限目の授業を終えた休み時間。

初めての授業という体験を終えたミトスは椅子に全体重を預けて凭れ掛かった。

特段、授業で疲れたという訳ではない。編入生への慈悲なのか、回答者に指名される事もなく、既知の内容だったために寧ろ暇だった程だ。


彼女がこんなに疲労しているのは、集団で授業を受けるという慣れない環境に置かれているのも理由の一つだが、一番は授業前に行われた質問攻めの影響である。

何人もの初対面の人と話すという経験は想像以上にミトスの気力を奪っていたらしい。


「疲れてるみたいだな、ミトス。」


「カティア……お主、さっきはよくも見捨ててくれたなぁ」


「悪い悪い。アタシが止めても、あの状況は収まらなかったからな。適任者に任せたんだよ。」


「誰が適任者よ。」


「お主はさっきの……」


「初めまして。私はフェルノール・トリスタニアと申します。以後、お見知りおきを。」


(ほう……この娘、トリスタニア家の令嬢じゃったのか。)


トリスタニアという家名には聞き覚えがあった。

王国内での商業を生業とする貴族であり、市場の流通にも関与している名家。

しかも、時には自分たちで商品となるモノを確保に赴くために武芸にも秀でている。

アメジストのような髪色とルビーのような双眸が代々引き継がれおり、目の前の少女にもその特徴はしっかりと引き継がれている。


研究にのめり込んでいた頃、トリスタニア家が市場に卸しているモンスターの素材にはミトスもお世話になった過去がある。


「フェルはこのクラスのクラス長を任されてる優等生なんだ。何か困った事があったら、フェルを頼ったらいいよ。」


「学院関係限定ですけど。ビースト関係はカティアに聞いてくださいな。」


「うむ、頼りにさせてもらうぞ。早速で悪いんじゃが、学院長室の場所を教えてもらえんか?」


「学院室、ですか? 場所は分かりますが、またどうして……」


「ミトスは図書館を使いたいらしいんだ。ほら、図書館って編入生はすぐに使えないでしょ?」


「ああ、なるほど。それで学院長に直訴しようと。構いませんが、行くなら今日の授業が終わってからの方が良いでしょう。」


「? 何故じゃ?」


「だって、もうすぐ休み時間が終わりますし。」


そう言った直後、ゴーンゴーンと厳かな鐘の音が学院内に鳴り響く。

それは次の授業が始まる合図。ちょうど担当の教員も教室に到着し、他の生徒も蜘蛛の子を散らすように着席する。


「では、失礼します。」


「そう言えば、次の授業って王国史の授業か……あんまり好きじゃないんだよなぁ」


そう言って、カティアもフェルノールも自分の席へと戻っていく。

全員が着席したのを確認すると、何の前置きもなく王国史——エスペランザ王国の歴史を学ぶ授業が始まった。


若々しい教員が授業する中、ミトスは教科書を次々と読み進めていく。

よく見れば、ミトス以外にも教員の授業そっちのけで教科書を読み進めている生徒がチラホラ居る。


(ふむ……王国の歴史を真面目に勉強するのは初めてじゃな。別に興味はなかったが、こうやって学んでみると物語みたいで楽しいのう。)


まるで、一個の小説を読むような気分で王国史を楽しむミトス。

当然ながら教科書を読む事に熱中しているので、教師の授業は耳に入ってこない。

そして、一心不乱にページを捲り続ける間に授業の終わりを報せるベルが学院に鳴り響いた。


(むっ、つい熱中し過ぎてしまったか。儂の悪い癖じゃな。)


心の中でそう呟いて、ミトスは教科書を閉じる

昔から一度本を読みだしてしまうと、反応が鈍くなってしまう。時には、睡眠も食事も取らずにひたすら読書にのめり込んでしまうため、弟子のへカティアには度々注意されたモノだ。


この悪癖は学術書以外にも発揮される。今回はベルのおかげで止まったが、ベルが無ければ王国史の教科書を読み終わるまで止まらなかっただろう。


「さて、次の授業は……魔法学か。退屈な授業になりそうじゃな」


事前に渡された時間割を確認しながら、ミトスは小さく呟いた。

【賢者】と称された過去がある彼女にとっては、魔法学———つまりは魔法に関する基礎知識を学ぶ授業など何十年も前に自分で学んだ範囲である。さらに言えば、ミトスは魔法研究を専門していたので、今更学ぶ事など無い。


それは学院長に師事しているカティアも同じらしく、取り出したのは次の授業である魔法学の教科書ではなく、教科書よりも分厚い本を取り出している。


「カティアよ。その本は?」


「師匠が書いた空間魔法に関する本だ。ちなみに、市販されていない超貴重品。」


「羨ましいのう……妾も早く図書館を利用したいのじゃ。」


「ミトス、図書館が利用できるようになったら一日中本読んでそうだよな。さっきの授業も先生の話そっちのけでずっと教科書読んでただろ?」


「授業開始と同時に睡眠モードに入ったお主には言われたくないのう。」


「あははは、バレてた?」


「うむ。教科書を立てて、正面からは分かりにくいようにしていたみたいだが、横からは丸見えだったぞ。」


「いやぁ、もう教科書読破しちゃったからな。教科書通りの授業されても……」


「それは同感じゃな。」


そう言って、2人は笑い合った。

その様子を離れた所から見ていたフェルノールは呆れたようにため息を零した。

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