七転八起の日


 あの日。

 伊藤から聞いた事。


 恋の願いを叶える狐さんに。

 昼休み、彼が恋のお願いをしてきたという話。


 社の場所を聞いたあたしも。

 その日のうちに試したくなって。


 下校時刻は過ぎているけど。

 恋の悩みを打ち明けている友達を無理に誘って。


 薄暗くなり始めた校庭を。

 他人の目をかいくぐりながら駆け抜けた。



 まるで、親に内緒で悪いことをしに行くみたい。

 お互いの目が何度も交差するたび。

 くすくす笑いが止まらない。


 でも、悪いことには罰が与えられるもの。

 その日、あたしに与えられた罰は。



 生きる希望を。

 夢を。


 根こそぎ奪っていった。



 膝をついて。

 泣くことしかできなくなったあたしが。


 たった一つだけ手にしていた幸せ。


 それは、こんな私を抱きしめながら。

 大胆な作戦を口にする友達がそばにいてくれたこと。



「保坂を使えばいいと思う」



 思わず、涙で濡れていた目を丸くさせたが。

 言葉の意味は、まるでわからない。


 そんなあたしに、さらなる衝撃が走る。

 友達は、鳥を籠から逃がしてしまったのだ。



 ……こんな悪事。

 ばれてはいけない。


 そして、万が一、鳥が戻って来たら。



 最大の秘密を。

 隠し通すことができなくなる。



 あたしは、不安なまま友達を見つめ続けていたけど。


「大丈夫。きっと、全部うまくいくから。だから、最後まであきらめないで」


 結局、その言葉に。

 盲目的にすがることしかできなかった。




 ~ 七月八日(木) 七転八起の日 ~

 ※七転八起しちてんはっき

  俺はそういう人間に。

  幸せになって欲しいと思う。




 今世紀最大の脅威。

 英語の試験は過ぎ去った。


 でもさ。

 まだテスト期間中だろがよ。


「ほんとお前ら遊んでねえで。勉強しろ」


 お前はどうせ試験勉強などせんのだろう。

 そんな一言で先生に押しつけられたごみ焼き。


 焼却炉の前に。

 俺がいるのは当然なんだが。


 余計な連中がわらわらと。

 現実逃避に余念なし。


「うんうん! テスト明けたらすぐライブだからね! プロデューサーと打ち合わせしとこうと思って!」

「だったらプロデューサーからの命令だ。すぐに勉強しろ」

「勘弁して~っ!!! もう限界なのちょっとは遊びたいの!」


 それなり成績がいい佐倉さん。

 お前は、百歩譲って良しとしよう。


「そ、それなら……。明日、テスト終わったらみんなで遊びに行く?」

「いいね! 採用!」


 明日の試験は理系教科ばかりだから。

 秋乃も許す。



 でも。



「明日じゃなくて~。これからどこか行かね~?」

「いいわね乗ったのよん! さすがパラガス!」

「普段なら止めるとこだが、今日の俺は一味違うぜ?」


 この三バカ共め。

 お前らは却下だ。


「さすがにこれが最後通告だ。七月いっぱい、補習漬けになりたくねえなら今すぐ勉強しろ」

「それな~!」

「それな!」

「くそう、合宿に行けなくなるのは困るな……。おい、キッカ。拳斗。勉強するぞ」

「うえ~?」

「うえ~?」

「グダグダ言うな!」


 よし。

 頭カチンに保護者役を押しつけることに成功。


 お前らじゃねえけど。

 俺も、もう勉強させることに飽きてたんだ。


 今日は久しぶりに。

 自分の勉強ができるかも。


 そんなことを考えながら。

 木くずを焼却炉に突っ込んでいたら……。


「おお! いたいた! ちょっとこれ見ろよお前ら!」

「や、やめてくださいー!」


 昇降口の方から。

 駆けて来たのはトラ男と乙女くん。


 何の騒ぎだ?


「げ! さ、佐倉……。いたのか?」

「その反応。あんた、また伊藤くん苛めてたの?」

「違う違う! なあ! 苛めてねえよな!」

「苛めてなくていいので、手紙を返してください!」


 トラ男が慌てて背中に隠した何かを。

 乙女くんが奪い取ろうとしてる。


 手紙? なんだ?

 まさか乙女くん、ラブレターでも貰ったの?


 これはトラ男じゃなくても気になるな。

 相手は男子?

 それとも女子?


 つい、俺まで野次馬根性。

 なんとか差出人を確認したい。


 そんな思いでニヤニヤしていたら。


 意外な人物が。

 声を張り上げた。



「今すぐ渡しなさい!」



 ……普段、静かな人が声を張ると。

 誰だって体がすくむ。


 そんな効果を、居並ぶ誰もが身を持って体験している間に。


 声の主は、トラ男の手から手紙を奪い取ると。


「ほんと……、ろくなことをしない男ね。自分あての手紙を、伊藤宛の手紙と勘違いして大騒ぎして」

「は!? 何の話だ?」

「うるさい。黙りなさい」


 いつもの、ミステリアスな声のトーンで。

 いつものように、トラ男をたしなめる。



 そして。



「あ……」

「え?」



 焼却炉の中に。

 手紙を投げ込んでしまった。



 俺は、慌てて焼却炉から手紙を回収しようとトングを何度も突っ込んだが。

 そのままがっくりとうな垂れることしかできなかった。


 誰かの想いは。

 火の粉になって、今日も雲の立ち込める空へと消えて行ったのだ。


「え……? なんで燃やした?」


 誰もが思ったことを代弁したトラ男の言葉に。

 メイジは何も返事をせず。


 校舎の裏手に向かって歩いていく。


 その背中に、不意に落ちた雨粒が。

 俺を、どうしようもなく寂しい気持ちにさせたのだった。




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 みんなを納得させるのに手間取った。

 決定打になったのは、秋乃が頭を下げたこと。


 一番抵抗していた委員長もさすがに口をつぐんだから。

 ようやく俺一人でメイジの後を追って来れたんだが。


 なんだよ、お前のその表情。

 ずいぶん落ち着いてやがるな。


 まるで俺が一人で来ること分かってたんじゃねえかってほどだ。


「……ごめんなさいね、変なことをして」

「いや、みんなびっくりはしたけど気にしてねえよ。さ、戻って、明日の打ち上げでどこに行くかみんなで決めようぜ?」

「ふうん……。訳を聞かないのね?」


 探るような目で見つめてくるメイジに。

 俺は、肩をすくめてみせると。


 それを返事と受け取ったようで。

 こいつはようやく警戒を解いてくれた。


 ……でも。


「さて、どっちなのかしら。訳を聞かなかったのか。それとも、聞く必要が無かったのか」

「いやまいったな五十嵐には。……ほれ、お前の手紙」

「ふふっ。……まいったのはこっちよ。よく差出人が分かったわね」

「まあ、な」

「燃えたことにしてくれてありがとう」

「普通に受け取ることもできねえとは、栃尾のやつ……」

「まったくよね……。ほんと、どうしようもない男」


 そう言いながら、煤のついた手紙を大事そうに手にしたメイジ。


 こいつは、俺が全てを分かっていると理解している。

 と、なれば話は早い。


「…………まあ、栃尾にラブレター渡してくれって頼むなら、伊藤君に頼むのが手っ取り早いよな」

「人選は合っていたみたいだけど、この方法を取った時点で私のミス。……だから、そこまで落ち込んでないわ」


 そう言いながら。

 右だけ少し長い髪をかき上げたメイジの頬。


 そこに光る雫が。

 ぽつぽつとふり始めた雨ではないかと疑うほどに、彼女は落ち着いていた。


「……どこで分かったの?」

「状況証拠はいくつかあったけど……」


 パフェを食べに行ったとき。

 二人でデートスポットから来た事。


 乙女くんに、なにかお願いしていたこと。


 そして……。


「オウムが覚えていた言葉と、五十嵐さんの言葉が一致したこと、かな?」



 トチオト、アザイイト、ムスバレマスヨウニ

 赤い糸、結ばれますように



「……それは、どういうこと?」

「お稲荷さんにも、短冊と同じことお祈りしたんだろ。それをオウムに聞かれて……」

「そう。逃がしたの。……それにしても、短冊なんてよく見る気になったわね」

「秋乃が気づいたんだ。あいつは、なんて言うか……、そういうのに鋭い」

「ふふっ。……名探偵に見られたならしょうがないか」


 そして、柔らかく微笑んだメイジが。

 両腕を上げて伸びをすると。


 下ろした両腕を、こっちに向けて一瞬止めたのは。

 犯人だとカミングアウトしたつもりなのか。



 でも。

 俺が取る行動は、もう決めている。


 その手に手錠をかけるつもりなんかねえ。



「この中に! 犯人がいます!」



 突然の宣言に、目を丸くさせたメイジが。

 俺の手を見つめる。


 両手首を重ねたその上には。

 黄色いタオルがかぶさっていた。


「……せめてもの情けだ。隠していいだろ?」

「どういう、つもり?」

「困ったことにな。あの鳥、犯人の名前覚えてやがったんだ」

「え……? な、なにもそこまでしなくても」

「しかもあのバカ鳥、戻ってきやがったからもう一度逃がした」

「保坂……」

「また戻って来たら、何度でも俺が逃がす。……危険な言葉を忘れるまでは、な?」


 どうにも照れくさいセリフだ。

 まともに目なんか見れやしねえ。


 そんな、泳ぎまくった俺の視界の端で。

 胸に手を置いたメイジが。


 苦しそうに、詰まる呼吸を二つ入れたあと。

 体ごと後ろを向いて肩を震わせる。


 いや、泣かせるためにやったんじゃねえよ。

 笑わせたくてやったんだ、爆笑しろバカ野郎。


「大丈夫だって。こんな噂、広まったりするはずねえ」


 普段からお前ら仲悪く見えるし。

 俺たちは言わないし。


「うん……。でも、気にしないで。みんなにばれるのは、時間の問題だってわかってるから」

「え? 誰か他にもばれてるのか?」

「そうじゃなくて……。隠し事っていうものはね? 口は閉ざしていても、視線とか態度とかを通してこぼれ出てしまうものなの」


 まるで物語の紡ぎ手。

 メイジは、妙に説得力のある落ち着いたトーンで語りながら歩き出す。


「でも、それでいいの。それが自然なこと」

「いや、ほんと大丈夫だって。俺たちのこと信頼してねえのか?」

「ううん? 別に、噂になっても困らないわよ?」


 え?

 どういうことだ?


 一瞬、矛盾してると思っちまったが。

 すぐに理解できた。


 もしもうわさが広まったとしても。

 俺や秋乃が、自分のせいだと心を痛めることが無いように。


 こいつは、そこまで考えて。

 うわさが広まってもいい。


 そう言ってくれたんだ。


「……みんな、五十嵐さんのことミステリアスって言うけど。俺も実際そう思ってたけど」

「うん」

「ただ、底抜けの優しさがみんなに伝わっていないだけなのかもしれないな」

「それは買いかぶりよ。私は、大した人間じゃない」

「そんなことねえって」

「ううん? ……私は、ただのゲームマスター。参加者の獲得点を、公正に決定するだけの女」


 そして校舎の角を抜けて。

 みんなのほっとした笑顔に手を振って応えたメイジは。


 かつて、俺たちを異世界へといざなった魅惑の声音で。

 俺の背筋を震え上がらせた。




「…………さて、勝者の発表です」




 え?


 いや、まさか。


 俺が敗者ってことはあるまい?



 どこまでが演出なのか、まるで分らないまま。

 俺は、凄腕の役者の背を。

 ずっと見つめ続けていた。

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