第5話 月の裏の楽園

 タチバナロードの始点の都市mmsは、地球から見て月の真裏の、やや南にある。正式名称はムーン・ムーンスタックだが、誰もその名前で呼ぶことはない。

 中心部に聳える塔と、その周囲に規則正しく並ぶ四本の煙突以外に街の存在を示すランドマークがほとんどないため、その規模を外から計り知ることは難しい。

 上空から見下ろせば所々に、地下に広がる街の灯が月面に僅かに溢れ、それを頼りに推察すれば、その広さを把握できる。

 火星との行き来をする星間船の母港として、壮大な計画を元に築かれた街は、過酷な旅に赴く乗組員たちに、休息と安楽をもたらす楽園になるはずだった。

 計画は、最初の市長であるマサユキ・タチバナの代では順調に進み、予定通りの発展を続ける。しかし、二代目の市長にトシオ・タチバナの就任すると、風向きは変わる。地球の主導で進められていたすべての計画が撤回され、次々とスポンサーが撤退し、人口も減り続けた。地下には数百の、空気を貯めるだけの空間が残された。僅かに残された人々は、凍りつきそうな街の中で寄り添い、互いを温めあい、冷たく流れる時間をやり過ごすだけしか出来なかった。

 

 現市長のトール・トット・タチバナが対立候補のいない選挙で勝利すると、状況が変わり始める。

 突如、街の中心に塔が突き立てられ、その周囲には、超高出力ビームキャノンが4基鎮座し、街に被害を及ぼしうる隕石の飛来を待ち構えている。

 新たに現れたスポンサーの援助と、独自のコンピューターネットワークの構築とが相まって、短期間で、高度な科学技術と生産能力を手に入れた。

 後にルナティックの開発に成功し、生産と、それに関わる全てに産業を独占することになる新興企業ミロクは、ここで生まれる。

 何もなかったmmsは、新たな工場を造り、思うままの稼働テストを行うのに、邪魔になるものは殆どなかった。

 登場と同時に急速に普及していったルナティックは、思いかけず大きな恩恵をmmsにもたらし経済を成長させたた。その結果人口は増え、街の賑わいも戻り始めた。それでも他の都市ほどの喧騒には程遠く、完璧に空調を管理されているはずの街の中を時折、冷たい風が吹き抜ける。 

  

 高さが二キロに及ぼうかという塔のてっぺんには、円盤状の展望台がある。一応、市民や観光客に開放されてはいるが、滅多に訪れることはない。宇宙の暗闇と、灰色の荒野を見下ろすために、二キロも登る価値はない。

 トール・トット・タチバナは、市長室の窓から外を眺めていた。暇というわけではない。殺風景で寂寞とした広い展望台に散らばる、かけがいのない思い出に、不意に呼びかけられた気がしたからだ。

 タチバナはデスクに手を突き立ち上がった。二メートルを超える身長は、天井を低く感じさせる。

 狭く質素な市長室を出て、自分を呼んだ思い出を探した。展望台には規則的に並べられたベンチと、ささやかな緑が植えられたプランターが置かれ、少しだけ、展望台の中の空虚を誤魔化している。

 窓際のベンチに、見覚えのある二人の背中を見付けた。いつもの場所だ。いつもの通りに歩み寄る。近付くほどにノスタルジーが溢れ、情緒が軟弱になり、瞳があたたまるのを感じた。

 ベンチの二人は見つめ合い、なにか言葉を交わすと笑いあった。歩いてくるタチバナに気付いた二人は、優しく微笑み、また目を合わせて笑った。

 「トール、やっと来たか。早くここに来て座りなさい。もうすぐ移民船が旅立つ。見逃してはいけない」

 「出発を一緒に見届けましょう。さあ、こっちへ」

 二人は立ち上がりタチバナに向け手を伸ばし、静かに「さあ」と言った。一人は背の低い男性で、もう一人は、とても背の高い女性だ。もう会えないはずの父と母がそこにいた。

 「父さん、母さん、そこにいたんだ。待ってて、いま行くよ」

 二人の傍へ歩み寄ろうとすると、展望台の高さまで上昇をしてきた移民船が、窓のすぐ外に現れた。宇宙船というより、帆船のような優雅な船は、儚い光を撒き散らす不思議な推進機で加速を始め、飛び去っていった。

 船が闇の向こうに消え去るころには、父も母も、その温もりも消えていた。気がつくと、涙が溢れていた。何度も見た幻をまた見ていた。

 二人が夢見た楽園の姿は、タチバナも見る夢でもあった。微かに漂っていた夢の余韻は静寂の中に消ていき、誰もいないベンチが、そこに残されていた。

 

 展望台には、高速エレベーターを使い登り降りをする。シャトルで直接到達することは、緊急時以外許可されていない。

 そのエレベーターから、黒いスーツをまとい長髪を後ろでまとめた、剣のように姿勢のいい男が降りてきた。

 

 タチバナの秘書であるトーマス・カラードは、六日間の休暇を消化し職務に戻った。もう一日残されていたが、それを切り上げ、タチバナの居る展望台へやって来た。

 人気のない展望台を、健気に動き回る管理ロボットを瞳だけで追いかけていると、窓際で外を眺めるタチバナを見つけた。            

 近づくより前に、泣いていると感じた。あそこでああしている時は、いつも泣いているからだ。

 気配を感じてくれるだろう距離まで近付き、頭を下げて声が掛かるのを待った。

 「トーマス君、おかえりなさい。休暇を一日残してここに来たと言うことは、何かあったんですね?」

 タチバナは振り返らずに言った。トーマスは顔を上げた。

 「軍が試作していた粒子ビーム砲がギルドに渡りました」

単刀直入に、トーマスは言った。タチバナは少しうつむき、何かを考え始めた。少しして、「仕組まれたことだという確証があるんですね?」と言った。

 「ギルドのルナティックは、直前にウォーロックと交戦しています。居場所を知っていたようです」

 「なるほど、そういうことですか」今度は考えずに答えた。

 トーマスは次の言葉を待った。何らかの指示があるはずだが、具体的な行動を促すような言葉ではないはずだ。

 「トーマス君。今回のことは何かの合図だと、私は思います。きっと何かが始まります」

 もう、待つ必要はないと、トーマスは受け取った。実力を行使せよとの指示だ。

 「分かりました」それだけ言って、トーマスは踵を返した。

 「トーマス君。家族との時間を大切に。動き出してしまえば自由な時間はありません」

 余計な一言のように思えたが、感傷的になっていたからだろうと思い、余計な詮索をせず、「ありがとうございます」と答えて、トーマスはその場を立ち去った。

 エレベーターに向かうと目前で扉が開き、めったに訪れない観光客が降りてきた。

 辺境の街の、表向きは権力を持たず、政治的な影響力を持とうとしない男が、暗殺の標的になるとは思えないが、誰もが表だけを見ているわけではない。視線だけを鋭く動かし、殺気を探った。だが、家族連れの観光客に暗殺者が混じっているとは思えず、そのまま歩き、最後にもう一度確認してから、エレベーターに乗った。

 タチバナはたった一人で、すでに観光地の体をなしていない展望台の中で暮らしている。トーマスは、せめて一人ぐらい護衛を常駐させるか、ガードロボットを配置してほしいと何度も進言したが、いつも、「その必要はありません」と言うだけだけだった。

 ならば、私のオフィスを置かせてくださいと懇願しても、「あなたは私ではなく家族のそばにいてください」とあしらわれるだけだった。

 展望台が、頭上を遠ざかっていく。あんなところでたった一人で、運命が道を開くのを待ち続けている。そして今、霧が晴れつつあった。

 

 エレベーターを降りたトーマスは、シャトルに乗り換え地下に潜った。華やかに見えるが人気の少ない市街地を通り抜け、工業区へ向かう。トンネルを抜けるたび、照明に煌々と照らされるだけの、果てしない奥行きを持つ空間が現れる。

 拡大し続けるルナティック産業が地下空間を埋めているとはいえ、まだ半分以上が空気と光をためているだけだ。

 シャトルは存在しないはずのエリアにたどり着いた。そこには正規ではないルナティックの生産ラインがあった。ロールアウトしたばかりの真新しいルナティックを、遠巻きに、エンジニアたちが取り囲んでいる。シャトルを降りたトーマスは、迷わず一人のエンジニアの元へ歩いていき、横に並んで、漆黒のルナティックを見上げた。

 「さっき出てきたばかりです」

 「仕事が速すぎるな」エンジニアの言葉に、トーマスは満足してそう答えた。

 「アレはどうなってる」

 「テストは終了しています。軍がいじってるおもちゃとは比較にはなりません。今すぐでもいけます」

 今度は、エンジニアが満足気に答えた。

 「ほんとうに仕事が早い。感謝している」

 「感謝しているのはこちらの方です。価値ある仕事をありがとうございます。我々は困難なチャレンジに飢えていました」 

 「これで市長のために戦える。私の夢だ」

 「必ずご期待に添えます。この機体に墜とせない敵はいません。ところで、最終テストはどこで・・・」

 「外に出てみる。相手を選ばなくてはならない。もうちょっと待ってくれ」

 「いつでも出れるようにしておきます」

 その時、機体のカモフラージュをする機能のテストが始まった。一瞬で、漆黒の機体は姿を隠した。


 タチバナは、トーマスが去った後、しばらくしてから市長室に戻った。途中、珍しく訪れていた観光客に挨拶をしようとしたが、もう帰った後だった。

 展望台の内周部に、市長室がある。休業中のレストランの半分を市長室に改装し、さらに、その一角に非常に質素な自室を設け、市長に就任以来ずっと、そこで暮らしている。

 市街地に博物館のような荘厳な自宅があるが、一人になってからはもう住んでいない。

 何十年も無人の屋敷は、たまに目覚める掃除ロボットと、それを配下に置く管理ロボットが無言で働きながら、家主の帰りをいつまでも待ち続けている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る