第3話 タチバナロード

 他のルナティックとは雰囲気の違うコクピットの中で、男は息を整えるのに必死だった。メインモニターの左に追加された拡張モニターに映し出されている女性が、宥めるように話しかけている。

 「もう大丈夫、振り切ったみたい。だから落ち着いて」

 それでも落ち着かず、その目に宿す怒りは女性の顔を凝視しているが、見ているのはその向こうだ。

 

 追いすがるルグランを振り切った黒いルナティックは、速度はそのままに高度を下げ始めた。メインモニターには合流地点へ向かうよう指示が表示されている。

 「ジョー、コースがずれてる。修正して」

 そう言われた男の目の怒りが増し、裏返りそうな声で叫んだ。

 「あんな思いをしたんだぞ!墜とされかけたんだ!・・・そっちが迎えに来い!」

 言い切ったあと男の目に涙が滲んだ。満ちていた怒りが静まっていき、思い通りに行かなかった悔しさが涙を溢れさせた。

 拡張モニターの女性が何度か名前を呼んだが、聞こえないのか答えたくないのか返事はない。女性は声のトーンを強めた。

 「ジョー・カーティス!コースを修正しなさい!」

 そう言われてやっと、ジョーは呼吸が整い、渋々コースの修正を始めた。修正が済むと、ヘルメットを脱いで涙を拭った。

 「取り乱してすまない。僕は死ぬのが怖かったんじゃないんだ。逃げるしか出来なかったことが悔しいんだ」

 「そう思わないで。あなたは逃げたんじゃない。正しい決断をしただけ。重要なことよ」

 女性はジョーが落ち着くのを待ったが、まだ時間が掛りそうだ。

 「最初のヤツだけならなんとかなった。けど軍も現れた。三機が相手じゃ僕には無理だ!無理だった!」

 ジョーはまた、泣き出しそうになる。呆れた表情とも、優しさとも見て取れる表情でエイミーは話しかける。

 「あの状況を切り抜けられたのは、あなたが優れているから。そうじゃなければ今頃は・・・。だから自信を持って」

 ジョーは落ち着き、一度笑顔を見せた。しかし、すぐに怒りが蘇る。それはその場にいない、エイミーの向こうにいるはずの誰かに向いた。

 「おい、聞こえているか!あれは待ち伏せだ。なんで場所が知られていたんだ。あのギルドは真っ直ぐ僕に向かってきた。情報が漏れていたんだ!」

 ジョーは止まらない。

 「きっとスパイがいる。僕を売ろうとしたやつがいるんだ。そいつを見つけ出せ!それともお前が僕を撃った張本人か!」

 言い切った後、再び涙が溢れた。エイミーは根気強く、もう一度宥めるように言い聞かせた。

 「ジョー、駄目。直接話すことは出来ない。それに、私達の中にスパイはいないわ。断言する。情報が漏れる原因は他にもあるから、調査する。もうこんなことは起こさない。だから仲間を疑うのはよして」

 沈黙が漂い、コクピットの中にやっと平穏が訪れた。ジョーはまだ不満があるようだが、再び怒りが戻ることはなかった。ここで、エイミーが仕上げにかかる。

 「ジョー。私達はあなたを選んだことを後悔してない。今回のことであなたの評価が下がることはない。次は、こんなことのないように最善を尽くすから」

 こう言われてジョーは「分かったよ・・・」と言って、拗ねたように黙り込んだ。

 

 月の夜の闇に、さらに濃い闇が船の姿を形作るのを、スクリーン越しにジョーは見た。その船に、速度を合わせ少しずつ近付くと上甲板にあるハッチが開いた。船内の光が僅かに漏れる。そこへ機体を鮮やかに滑り込ませ、窮屈な格納庫のハンガーに固定させた。

 電源が落とされ薄暗くなったコクピットで、ジョーは深く息を吐いた。そして、さっきまでエイミーの映っていたモニターにそっと触れた。 


 

 ムーニーたちによる月の開拓は、豪快で容赦がなかった。楽園の在り処を地下に求めた結果、広大な地下空間が幾つも現れた。掻き出された土砂の搬出と、工作機械や人員の出入りの為の通路が、無数にあちこちに掘られ、月面は穴だらけになった。

 この頃はまだ月の自治権は地球にあり、目に余る見境にない開拓に対して「可能な限り環境が保全されることが望ましい」と何度も警告を受けた。それでもムーニーたちの勢いは止まらず、彼らが月を一周する頃になってやっと、その勢いは衰えていった。

 

 開拓時代に掘られた地下に繋がる無数の通路は、いまはセラーと呼ばれる洞窟として名残を残す。深さも広さも入り口の角度も地形により様々で、埋め戻されたり蓋をされたり、セラー同士で繋がり迷路に発展したりと、その全容は誰も把握できていない。 

 

 ネム・レイスは落ちていた軍の試作ライフルを拾ってすぐセラーに逃げ込んだ。ルナティックが通れる広さがある。

 奥に進むと壁がある。ムーニーたちの暮らす地下空間と宇宙空間とを隔てる隔壁で、空気の流出を防ぐ役割もある。どのセラーから入っても必ず数枚あり、一枚抜けるごとに人工的な雰囲気が増していく。

 最初はむき出しだった岩肌が次第に隠され、押し固められた壁と天井に照明が設置されるようになると、もうそのエリアには空気が満たされている。

 

 最後の隔壁が開くと、タチバナロードと呼ばれる総距離が一万キロに及ぶハイウェイがその威容を晒す。

 四つの都市のうち三つまでを繋ぎ、ムーンモービルや専用のシャトルはもちろん、ルナティックも自由に通行が出来る。ルナティックがここを通るときは専用のキャリアを使用するのが普通だが、歩いても飛行しても構わない。

 交通量がそれほど多くないにも関わらず、始点から終点まで短い間隔で並ぶ照明は瞬くことなく灯り続ける。煌々と明るすぎる照明は、いつ来ても慣れることはない。

 「いくら電気が余ってるからって・・・」

 レイスはそう不満を漏らしながらキャリアを呼び、来るまでの間、戦利品の試作ライフルを観察した。長く重たいそれは、とても洗練されているとは言えず、いかにも試作品という風貌を隠せていない。丈夫そうなフレームに、幾つもの箱やプレートが貼り付けられ、それらを繋ぐケーブルがすべてむき出しになっている。カウンターには「3」と表示されて、残弾のことだと思うが、試しに撃ってみる気にはなれなかった。

 タチバナロードの内壁は、ルナティックの通常兵器での戦闘を許容するほどの強度を誇るが、このライフルはどう見ても普通ではい。

 

 キャリアはすぐにやってきた。軽くジャンプして飛び乗ると、戦利品のライフルをベルトで固定し、片膝を付いて機体を休ませた。

 キャリアにはルナティックを二機まで乗せることが出来るが、先客はいない。自動運転が基本なためドライバーが乗ることはなが、前後にキャビンがあり、シャトルとしての機能も果たす。

 ルナティックのメインモニターに、行き先を登録するついでにキャビンの中を映し出してみた。一人乗っていて、キャビンに備え付けの端末で誰かと話している。見られていることに気付いたのか、表情に緊張が走る。男は走り出して間もなく話し掛けてきた。

 「どこまで行くんです?」

 自然を装おうとするその努力に、付き合うことにした。

 「帰還するんだ」と答えると「じゃあグレイロビーですね?僕も一緒です」と言い、間を作らず世間話を始めたが、適当にうなづきつつ音声を切った。

 しばらく、たまに通る対抗車に目をやりながら暇をつぶした。

 

 数少ない直線区間に差し掛かった所で、キャリアが減速を始めた。停止するのを待たず、いつの間にか黙り込んでいた客は飛び降り、どこかへ走り去った。何らかの役割を終えたのだろう。

 遥か前方に立ち塞がる人影に、すぐに気付いた。メインモニターに拡大してみると、ルナティックがマシンガンを構えている。

 相乗りするつもりなら武器を構える必要はない。立ち塞がるルナティックは敵に間違いなさそうだ。

 「止まれ!」と叫んでいる。すぐに撃ってくる気はなさそうなので、その間に、敵の機体を観察してみる。どうやら同業者らしい。派手な装飾はなく個性の主張もない機体は、多分ルーキーだろう。

 武器を構えている以上、それは敵対行為を意味し、それなりの覚悟があると、こちらは受け取らざるをえない。

 

 ルーキーはさらに叫ぶ。「そこのキャリア、止まれ!とにかく止まれ少しの間止まるんだ!」声が震えているようだ。

 戦闘は避けられそうもないと判断したレイスは先手を打った。ルーキーの警告を無視し、ジャンプして天井スレスレを滑るように飛んだ。ルーキーの頭上を通過し背後に着地する。これだけで決着が着いた。

 予想と違う展開に慌てたルーキーはマシンガンを撃ちまくった。レイスが飛び去った後の空間にばら撒かれた弾丸は、頑丈な天井に跳ね返され、自らの機体に向けて降り注いだ。見事に頭部と右腕と左足を破壊されたルーキーの機体は、その場に崩れ落ちた。「どっ、どうすれば・・・。早く、早く来てくれ」と言っているようだ。

 レイスはゆっくり近付くと、壊れた右腕からマシンガンを奪い取り、銃口をよく見えるようにルーキーに向けた。

 「言い残すことは?」そう言って一発、天井に向けて撃つ。跳ね返った弾丸がルーキーの傍に着弾した。

 「ごめんなさい!俺はただ足止めを・・・」

 戦闘能力はもうない。十分脅かしたことだし、後ろから撃たれることはないだろう。

 レイスはライフルを放り投げ、路面に落ちた後滑っていく擦過音に耳を澄ませた。気がつけば、タチバナロードにはいつもの静寂が戻っていた。

 

 ルーキーの口振りだと黒幕がいそうだが、待ち構えて返り討ちにしてやろうとは思わない。その余裕はないし、相手をすることに意味もない。そいつを消せという依頼は受けていない。黒幕登場の前に立ち去るのが懸命だ。

 再びキャリアに飛び乗り、試作ライフルが無事なのを確認して走り出した。道すがら、避けきれずに、倒れているルーキーの機体を踏みつけてしまった。「すまん」と謝ったが、ルーキーの悲鳴に掻き消された。

 

 レイスが去って少しして、派手なキャリアに乗ったルナティックが現れた。キャビンには、逃げていった男が乗っている。

 そのルナティックは立ち上がり、倒れたままのルーキーの傍に飛び降りた。

 その機体は遠くを見るような素振りをしたあと、ルナティックが最も美しく見えるポーズを取り、高価な武器を満載した勇姿を、たった二人の観衆に披露した。

 姿勢を変え、スポンサーの広告でラッピングされた派手な機体を、タチバナロードの過剰な照明の元で輝かせた。越に入っているようで、しばらくの間、姿勢の切り替えを繰り返していた。

 満足したラッピングルナティックは、顔の向きだけを変え、身動きの取れないルーキーを見下ろした。

 「すまない。足止めできなかった。アイツは強かった。きっと上位のやつだ」

 ルーキーの報告を聞き届けると、背中を見せ、乗ってきた専用のキャリアの方へ歩き出した。

 「おい、俺はどうすれば?」ルーキーの悲痛な問いかけに、「役立たずに用はない」と言い残し、機体と同じラッピングが施されたキャリアに乗り、走り去った。

 

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