第四章

第38話 霧の中

「まさかここまでとはな……」


 アベルは目の前を遮る濃霧を見て言葉を零した。


「そんなに? ただの濃い霧に見えるけど」


 側を歩くシエラは霧の向こうへと目を細めている。しかし、先の景色は全く見えなかった。


「一見するとそう見えるだろう。しかしこれは高度に偽装された結界だ。侵入者を拒む為か、あるいは中の物を隠すための……な」


 そう言いながらアベルは濃霧の向こうへ火球を放つ、大賢者のパッシブスキルにより彼の詠唱は簡素化され、低レベルな魔法は詠唱を必要としなかった。


 火球は少し遠くまで飛んでいくと、そこで効力を失ったようにかき消されてしまう。


「ホントだ! アベルの魔法があんな風に消されるの初めて見た!」

「ということは、我々は閉じ込められたという事か?」


 セリカとサイゾウが周囲を警戒しつつ声をあげる。


「いや、恐らく通過するだけなら問題ないだろう。中心部へ向かうなら別だが、周囲を通るだけなら少し遠回りする程度だ」

「なるほど、じゃあなおさら気になるわね、この結界」


 シエラは唇を舐める。アベルが高度だと評する結界だというのに、厳重な防衛機構も無い。何か注目を浴びたくないものが置かれている。彼女の勘はそう告げていた。


「向かうのか? オース皇国はもうすぐだぞ、一度あちらのセーフハウスで、休息を取ってもいいんじゃないか?」

「でもさー、セリカ達が行って帰ってくる間、この結界がそのままだとも限らないよね? 幸いイクス王国から持ってきた糧食には、まだ結構余裕あるし」


 アベルとセリカの意見は、両方とも理にかなっており、どちらの選択をするかはリーダーであるシエラに任された。


「どうするシエラ、某の偵察範囲に魔物はいない、今ならどちらにも舵を取れるぞ」


「うん……こういう時は『リックならどうする?』って考えましょ」


「なるほど」

「じゃあ」

「探索、だな」


 シエラ白金旅団の面々はその言葉に笑みを零し、しっかりした足取りで霧の結界を中心部へ向けて進んでいく。



――



 目の前には、ミルクを溶かしたような深い霧が立ち込めていた。


「はぁー……すごいですね、全然前が見えません」

「ああ、こりゃあ気を抜くと俺たちまで迷いそうだ」


 まあ、リゼと俺の間には奴隷の首輪がある。お互いの位置を把握できる以上、はぐれるような事は無いが、二人そろって遭難する可能性はあった。


 数週間晴れない霧ならば、これから先晴れるかどうかも怪しい。先遣隊が消息を絶っているというのも気になる。何か凶悪な魔物が居るのかもしれない。


「しかし、これは本当に霧なのかな? 空気の淀んだ気配も、張り付くような湿気も無いぞ」


 それに今は真昼で、この地域に入る前は確実に晴れていた。直射日光を浴びても晴れない霧は明らかに異常だった。


「ちょっとぽよちゃんに聞いてみましょうか、ほい!」


 そう言ってリゼは懐から観測用スライムを取り出し、天高く掲げた。


「……ヤガー、周囲の環境はどうなってる?」

『何……別に……ザッ……じゃない』

「ヤガー?」


 スライムに話しかけると、雑音が入り込んで声が鮮明に聞こえなくなってしまった。なんだろう、こんな事一度も無かったんだけどな。


「大丈夫か? 声がとぎれとぎれでザーザーうるさいけど」

『……と言う事は、――害ね、近くに……』


 ブツンという何かが切れるような音がすると、スライムは赤色になってひっくり返ってしまった。たしか、ヤガーが言うには他のスライムと連絡が取れなくなった時の色、だっけ?


「わっ、ぽよちゃんが熱出した!」

「いやいや、連携が外れただけ……ん?」


 スライム同士の連絡は魔法を使っているはずだ。それが途切れたという事は、魔法的な障害が起きている?


「もしかしてこれ、結界か!?」


 全然そんな感覚は無かった。ただ歩いているだけにしか感じなかったし、位置関係の歪みも全く起きていない。高度というか、アベルですらこのレベルの結界は作れないだろう。


「リゼ、ここから先は一層警戒して進むぞ」

「は、はいっ、リック様!」


 リゼの手をしっかりと握り、俺は霧の中心部へと足を進めた。

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