ch.7 祝宴、そして……

 ◆


 ハクツイラの乾杯の音頭に合わせ船大工たちが杯を掲げる。

 どっと場がこなれて、おしゃべりのボリュームが大きくなった。

 若い船大工が立ち上がって太鼓を打つ。

 アップテンポな輪唱が始まる。

 カヌーをたたえる歌のスタンダード<赤い星々の汀に浮かぶ我が舟よ>。

 アムはそっと席を立つと入江の宴会場をあとにした。

「ドク?」

 忍び足で側に寄ってきたトゥトゥが囁くように呼ぶ。

「まだ耳が痛いの。あんまり大きな声はきついから。ねえトゥトゥ、あなた主役でしょ。抜けてきたら駄目じゃない」

「主役は俺じゃねえ、稲妻号だ。龍の体当たりにもヒビひとつ無く耐えたんだから大したもんさ。ハクツイラだって誇れる仕事だ」

 それにほら、とトゥトゥはホピの葉に包んでヌ・テアウをしっかり二人分持ってきていた。

 ヌ・テアウは祝いの席に供される料理である。

 セムタム料理としては珍しく穀物が出てくる。

 肥沃な島の大地にはキビに似た赤い実をつける草が生えるが、それをテアウと呼んだ。

 ヌは蒸すの意。

 テアウを脱穀して蒸し、その上に具を乗せて食べる。

 トゥトゥが船大工たちの為に用意した具は、鮫の蒸した身の上に特製のソースをかけたヌ・テアウであった。

 熱々のものを料理人が洞窟の入り江まで出張してサーブする。

 このデリバリーサービスの為に、トゥトゥは追加で鮫の上顎前歯を支払っていた。

 大盤振る舞いである。

 祝いの席は盛大でなくてはならないから。

 アムはまだ湯気の立つホピの葉包みを両手でお手玉しながら、トゥトゥが秘密の場所だと教えてくれたビーチへ連れて行ってもらうことにした。

 ハクツイラの洞窟から出て、脇道にそれて歩いていく。

「そういえばトゥトゥ、この森には人食い花が咲いてるって本当?」

「本当さ。迷い込むと食われちまうんだ」

 がぶーっ、とトゥトゥは噛みつく真似をした。

 アムはげらげらと笑う。

「海に出てもすっかり魚が獲れないときはな、人食い花を退治しに行くんだ。いい小遣い稼ぎになる」

「やったことある?」

「結構楽しいぜ。釣竿を持ってって、先に腐ったような魚をつけて振り回す。そうすると花が釣れるんだ。がぶーっ」

 どこまで本当なのかな、と思いながら、アムは面白がる。

 機嫌がいい時のトゥトゥはとてもおしゃべりだ。

 草むらを掻き分けていくと、ほどなく完璧な白と青に彩られた砂浜に出た。

 アムが感嘆の声を上げるとトゥトゥはにやにやする。

 端から端までほんの十歩くらい。

 真っ赤なティコの花が波打ち際に並んでいる。

 ホピの葉が優雅な日陰を演出している一角があって、アムとトゥトゥはまるで王侯貴族のように腰を下ろした。

 そして、ヌ・テアウをもぐもぐ食べる。

 鮫の身はそのまま食べても美味しいし、くずしてソースとテアウと絡めても美味しい。

 潮風が隠し味をつけてくれる。

「最高」

 とアムが言った。

「そうだろ」

 とトゥトゥは言った。

 お互いお腹がぱんぱんになるまで食べて、砂浜に大の字になる。

「トゥトゥ」

「ん」

「生きていてくれてありがとう」

 ふふん、とトゥトゥは鼻を鳴らした。

「迎えに来てくれてありがとな、ドク」

 風が心地よかった。

 このままお昼寝したい。

 でも、潮が満ちたら溺れちゃうかしら?

 そこに突然、少女の声が降ってきた。

「あーっ、トゥトゥ!」

 トゥトゥはぞんざいに声のした方を見遣る。

 そして、ぎゃっ、と悲鳴を上げた。

「なになに」

 面白い知り合いが出てきたのかと興味津々でアムも顔を上げ、そして、同じように悲鳴を上げた。

 草むらを掻き分けてこちらに走ってくるのは少女である。

 白い巻きスカートのあどけない少女。

 ただし、彼女には目が四つある。

 その後ろからヌーナが現れたので、アムは混乱した。

「いきなり叫ぶのはおやめ」

「だってトゥトゥがいます。あと雌」

 少女の首根っこをヌーナが掴んで引き戻す。

 じたばたと手足を振り回す少女のことは無視して、

「あらあら、驚いてくれたわねドクター」

 とヌーナが破顔した。

「こちらイムサプルパちゃん。ご存じだと思うけど、ほら、ご挨拶」

「こんにちはトゥトゥ」

「ドクター・アムにもご挨拶」

「雌にはしません」

 イムサプルパの頭に、ごちんとヌーナが拳骨を落とした。

 わんわん泣き出すイムサプルパ。

「ええと、どういう流れです?」

 と、アムが質問する。

「イムサプルパがねえ、私に弟子入りしたいって言ったのよ。トゥトゥを落としたいって」

「やめてくれよ」

 けろっと泣き止んだイムサプルパは、

「大丈夫よ、トゥトゥ。わたし、あと千年くらい修行して、師匠みたいな色っぽいのになる。あなたがどこに行ってもわかるように、今日も鈴を持ってきたわ!」

 と言って、腰をくねくねさせた。

「千年待ったら死ぬから」

 トゥトゥがそう言うと、イムサプルパの四つの目が飛び出るのではないかと思われるほどに見開かれた。

「どうして。トゥトゥだって今だいたい千五百歳くらいでしょ。あたり?」

「二十五」

「嘘ついちゃヤダ」

「セムタムがそんなに生きるかよ」

 ヌーナは少女の白い髪を撫でた。

「ほうらね、トゥトゥはセムタムだから、せいぜい生きたって百年くらいなの。あたしたちとは違うのよ」

 うーっ、と泣き出したイムサプルパをヌーナが抱き上げる。

「イムサプルパ、よろしいこと。失恋は女を磨きます。千年も頑張って磨いたら、あなたの意中の雄龍が振り向いてくれるわよ」

 だからトゥトゥはやめときなさい、とヌーナは優しく諭した。

「人に化けるのが上手い雄龍を選んだらいいじゃない。あなた、龍が全般的にタイプじゃないんでしょ」

「だって鱗ばっかだもん」

 悪戯っぽいウィンクを残して、少女を抱いたヌーナは森の奥へ去っていく。

 遠ざかりながらイムサプルパの甲高い声が、

「あのね師匠。私もうひとり、いいなって思った人がいるの」

 と言い、

「そっちのがまだ勝算あるわ」

 とヌーナが笑っているのが聞こえた。

 アムとトゥトゥは顔を見合わせる。

「良かったわねえトゥトゥ。あなた意外と五歳児くらいの龍にモテるんじゃない。セムタムには泣かれてるけど」

「やめてくれよ。悪夢だ」

「うーん、今度からトゥトゥと一緒にカヌーに乗るときは、おもちゃでも積んだほうがいいのかなあ」

「おいドク」

「冗談よ。龍も幼いころはあんな感じなのね」

「そりゃあ、セムタムも龍も元をたどれば一緒だからな。がきんちょは、がきんちょだ。あ、なあドク、それより面白いこと教えてやろうか」

 なになに、とアムが言うと、顔じゅうを笑い皺でいっぱいにしたトゥトゥが耳打ちする。

「あいつ<黄金の王>にもプロポーズしたんだぜ」

「何それ!」

 遠くの方で、タイミングよく雷が鳴った。

「ねえトゥトゥ、今のはきっとくしゃみよね」

 肩を寄せ合って笑う。

 その日はいつまでもいつまでも、アムとトゥトゥそうやって、ふたりで笑っていた。


(了)

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