第3話 ヒカリ、やるねぇ

 ヒカリ様は朝が早い。


 いつも、一番に寺子屋に出てきて、先生が来るまでの間、自分の席で家から持って来た本を読んではる。

 その内容は様々で……


 それは聖典のときもあるし、歌集のときもある。

 物語のときもあった。


 気になって、ちょっとだけお話して聞いたら「家に沢山あるから、それを読んでるの」やって。


 どうもヒカリ様のお母上のクミ様が、漢字かな交じり文の写本を作る作業を仕事にしてて。

 仕事で、控えと提出用で2冊同じものを作るらしく。


 家に、今まで作った写本の控えがぎょうさんあるとか。


 ……それを遊ばさず、ちゃんと自分を高めるために活用されるなんて……


 さすがはヒカリ様や。尊敬してまう。


 ウチも真似したいと思ったから、家に唯一ある本の「聖典」を持ってきて、それを毎朝読むようになった。


 まぁ、ウチの家の聖典は、新装版と違うから、全部ひらがなカタカナで書かれてるんやけどな。

 ……今年の誕生日に、オトンとオカンにおねだりしようかな。


「ウチに、新装版の漢字かな交じり文の聖典を買って欲しい」って。


 ……実は、漢字というのはここ10年ちょいで、急速に広まって来た字で。

 それ以前、この国には漢字というものが無かった。


 それを、ひとりの英雄が……まぁ、ヒカリ様のお母上なんやけど……国王陛下に謁見したとき、金銭的なご褒美を辞退して、広めて欲しいと嘆願し、広まった文字……らしい。

 少なくとも、そう言われとるし、ヒカリ様もその話については何も言われてへんから、大きく間違っても無いと思う。


 そのせいで、ヒカリ様のお母上は『漢字聖女』なんて二つ名を持ってはるんや。

 将来歴史の教科書に載ることも、確定済みのすごいお母上やね。


 漢字が広まってから、世の中の発展が加速してきたように感じると、オトンとオカンは言うとったな。

 何でなんかはちょっと分からんのやけど。


 ヒカリ様のお母上なら分かりそうな気がするわ。



 で。


 寺子屋の勉強が終わった後。

 部活に顔を出す奴はおるんやけど。


 ヒカリ様は特に何もやっておられへん。


 部活は、という枕詞がつくけどな。


 ヒカリ様は、自主トレをされるんや。


 毎日、武道場の裏にある稽古場で。

 一人、使ってないスペースを借りて、体操着に着替えて、稽古されてる。


 主に鉄棒で懸垂やった後、棒を握って、棒術……ヒカリ様曰く「杖術」を稽古されてるんや。


「爪先ッ! 顎-ッ! 脇ーッ!」


 流れる汗も拭わんと、真剣な顔で杖術の稽古をされるヒカリ様……


 ああ……なんと凛々しい……


 目立てへんように、木の陰に隠れて見守っていて、見惚れそうになってまう。


 で、そんなウチを、1回ヒカリ様は


「……トリポカさん、ちょっと見られると稽古しづらくなるんだけど……」


 って苦情をウチに仰られたんやけど


「……杖術の動きが面白いから見たいんですが、それでもアカンですか……?」


 って返したら、それ以後は黙認されるようになった。


 ちなみに、嘘は言うてへん。


 実際、杖術の動きはトリッキーで、面白い。

 それを難なくやってのけるヒカリ様。


 ようなさるなぁ、と見てて常に思う。


 普通に棒を振る、って感覚ではそれは無いやろ、って動きで、仮想敵の爪先を打ち、顎を打ち、脇を打つ。

 それを何度も繰り返し、自然にそれが行えるように体に染み込ませる。


 ヒカリ様は本当に努力家や……。


 ウチも勉強があるから、あまり長いことは見てられへんねんけど。

 毎日、放課後のこのひとときが本当に幸せやった。


 やったんやけど……


 ある日、そこにイランのが紛れ込んで来よったんや。




「ヒカリさん、ここに居たんですね」


 ある日、いつものようにヒカリ様が稽古されてたら、男が来よった。


 忘れもせん。

 ウチの事「庇う価値が無い」って言いよったあのイケメンや。


 別にその事を恨んでるわけやないけど、ウチにとって好きな相手であろうはずが無いわな。


 そんな奴が、ヒカリ様の稽古の場に土足で踏み込んで来よったんやわ。

 何の用なんや?


 そう、ウチが木の影からこっそり覗いて見ていると。


 イケメン、ヒカリ様に頭を下げてこう言うたんや。


「この間は衆目監視の中で告白なんて無粋な真似をして済まなかったです。もう一度、正式に言わせてください。……俺と付き合って欲しいです!」


 ……そういや、こいつ。

 こないだヒカリ様に昼休み、周りに人が居るにも関わらず告白して、即玉砕しとったなぁ。


 自分イケメンやからそれでもイケる思たんかな? アホ丸出しや思うけど。


 ……あれは傑作やった。


「ヒカリさん、あなたは素敵な人だ。前にあなたに説教されて虜になってしまった。俺の恋人になってください」


「嫌よ。ごめんなさい」


 2秒。


 言われた瞬間、断られると思って無かったの丸出しの顔で、呆然としとった。


 で、周りに人が居るから、食い下がることもできなくて、そのまますごすご退場しとったっけ。

 どんだけ根拠のない自信持っとったんや、っての。


 これまでヒカリ様、男の告白全部断ってきてるのに。


 で、そんな男の。


 しつこい告白を前にして、ヒカリ様は


「……前に、お断りしたはずですよね?」


 稽古の再開こそしないものの、早く消えて欲しいという態度を隠そうともしないで、うんざりしたようにそう言いはった。

 口調が丁寧になってるの、その表れのような気がする。


 すると、イケメンは


「何故ですか!? 俺はこの通りのルックスだし、家は呉服問屋ですよ!? しかも俺は長男です!」


 はぁはぁ。俺はイケてて金持ちやのに、何で俺を選ばないのかと。


 ブッサイクな食い下がり方やなー。


 1回断られて諦めないだけでもブッサイクやのに、断られて理由を問いただすって。


 どんだけブサイクやねん。ブサイク過ぎるわ。


 そしたらヒカリ様、しぶしぶといった感じで、理由について教えてくれはったわ。

 感謝せい、イケメン。


「……まずアナタ、自分の母親の事をクソババアって言ってますよね? それを前に小耳に挟んで、それだけで「この人だけは相手としてあり得ない」って考えていました」


 それを言われた瞬間、イケメンはポカンとした顔になっとった。「は?」って感じで。

 アカン、わろてまう。


 ……いくらブッサイクな事さらしくさった結果や言うても、他人がフラれるのを見て笑うのはそれもまたブサイクやし。


「一番身近な異性である母親をそういう風に言う男の相手になったら、将来的に自分もそういう目に遭います。だからアナタはあり得ないんです」


「で、でも、それは言葉の綾で……!」


「それだけじゃありません」


 なおも食い下がろうとするイケメンに、ヒカリ様はさらに追撃をかけはった。


「……アナタね、お金の使い方が下らないんですよ。自分を飾る事ばっかりにお金を使って。服だの鞄だの」


 そういやこいつ、ブランド品のアクセサリーだとか、鞄だのを持ってきては、自慢しとったな。

 ヒカリ様、そういうところも見てはるんやね。


「……私の父は言いました。男の金はお嫁さんと子供のために使うもの。自分のために使うお金は汚い、って」


 イケメン、わなわなと震えとった。


「……お金の使い方に、男性の本性が出るんですよ。アナタみたいなお金の使い方は最悪の部類です。だから、アナタはありえないんです。ごめんなさい」


 言ってヒカリ様、軽く頭を下げて、もうこれで話は終わりましたよね? と態度で言ってはった。


 イケメン、もう勝ち目なんてあれへん。


 あれへんのに……


「き……キミは間違っている!」


 イケメン、キレよった。

 断られただけじゃなく、男として完全に駄目出しされたのが耐えられなかったんかね。


 強張った顔でヒカリ様に指を突き付けて、半狂乱やったわ。


「か……考え直せ! その誤った男の見方を捨てるんだ! でなければ、キミのためにならないぞ!」


 なんでやねん。

 聞いてて、ウチはますますヒカリ様を尊敬したわ。


 ヒカリ様だけやなく、そのご家族にも。


 まぁ、あのヒカリ様を作るには、そういうご立派なご両親がおらんと無理やいうことなんかね。


「……今、なんて言ったの?」


 するとや。

 イケメンの言葉を聞き咎めて、ヒカリ様の声音が変化した。


 明らかに、不機嫌になってはった。


 ……当然かもしれへんな。

 ヒカリ様の口ぶりからすると、多分男の判断基準、全部ご両親からの受け売りなんやろうね。

 で、当然のことながら、そのご両親を大切に思ってはるから、判断基準に据えているんや。


 それを「間違っている」だなんて……


 こりゃあかん、と思ったから、ウチは茂みから飛び出した。


 で、二人の間に割って入った。


「何だお前は!? カンサイ人はすっこんでろ!」


 突如湧いて出たウチに、イケメン、目を剥いてウチをそう罵ったけど。


「……アンタ、ブサイク過ぎるわ。ブサイク過ぎて、まともな女やったらアンタなんか誰も相手にせえへんよ」


 そう言ってやったんや。


 これでコイツがキレて、ウチに暴力を振るえば、ヒカリ様は守られる。

 ヒカリ様に向くはずだった、争いの矛先がウチに向くんやからね。


 ヒカリ様を守れるんやったら、ウチは殴られてもかまへんかった。

 殴られても痛いだけや。


 それでヒカリ様を守れるなら安いもんやろ?


 そしたら


「黙れカンサイ人の癖に! 犯罪民族が! ゴール王国に寄生するダニが!」


 ……案の定か。

 メチャメチャ罵倒してきおった。


 手は出して来んかったけどな。


 でも、キツさでいえば、こっちの方がウチは嫌やな。


「どうせお前の親は元密入国者だろう!? 卑しい貧乏人の分際で!」


 ……さすがに、親の事を言われたときはキツかったわ。

 ヒカリ様を守る、って使命感が無ければ、掴みかかってたかもしれへん。


 そりゃま、ウチの両親はカンサイ地区では幸せになれないって思って、ゴール王国に渡って来た人間や。

 でも、今はちゃんと帰化して、仕事して。国王陛下にだって忠誠を誓ってるんや。

 何も文句をつけられる筋合いの無いゴール王国民なんや。


 それなのに……


 そしたら。


 いきなり、ギュッ、って抱きしめられた。


 体操着から、汗の香りがした。


 ……ヒカリ様が、ウチのことを抱きしめてくれたんや。


「……仮に元密入国者でも、今はトリポカさんの家は帰化してるよね? 立派な私たちの仲間のはずよ。罵られる筋合いは無いでしょ!」


 ……声に、怒りがあった。


 ヒカリ様が、ウチのために怒ってくれてはる……!


 そんなつもり、全然なかったから、ウチは感激した。

 泣いてしもうた。


 気づかれるのが嫌やったから、顔を伏せる。


「それでも……」


「……これ以上騒ぐなら、人を呼ぶよ? それでもいいの?」


 なおも食い下がろうとするイケメンに、ピシャリとヒカリ様は言い放ってくれた。

 ……嬉しい。


 こんな事が、あってええんやろうか?


 神様、ウチは今日から本当にエエ子になります。

 もう二度と、悪いことは致しません……。


 そう思わず誓ってしまうほどやった。


 そのときや。


『ヒカリ、やるねぇ。カッコイイよ』


 ……全然別の声が聞こえたんや。


 女の声やった。


 誰……誰や?


 ウチは顔を上げた……


 上げて、息を呑んだ。


 驚きの余り……!

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