The girl who loved by the Raven §1

 ここに来て、とても面倒臭い事態になってしまった。発端は先週ミズホ先輩と行なったコラボ配信での事だ……。

『やっぱマイクラってすごいね〜。こんな綺麗な所行ってみたい』

「!! じゃあ私と海外旅行に行きませんか!? 2人きりで……えへへ」

照れる様に七海ハルが言う。

『えー行きたい〜! はやく元通りの生活に戻れたらいいのにねぇ〜』

六聞ミズホは若干それを聞き流す様に答える。

「ですねぇ〜。先輩と旅行か〜! どこがいいかな〜〜」

『ハルちゃんはどこか海外行った事ある?』

「行った事ある国ですか? 私はご近所の台湾くらいしかないですよー」

『えーでもいいとこじゃん台湾! なんかみんな優しそうなイメージ』

「あー、実際みんな優しかったですよ! それになんというかすごい陽気でとても楽しかったです! 街中に並ぶ屋台のご飯もどれも美味しかったですし〜」

『いいねぇ〜!』

彼女も嬉しそうに答える。

「先輩はどこか行った事あります?」

『私はねー、高校の卒業旅行でアメリカ行った事あるよ!』

「あ、昔配信で言ってましたね! 青春ですねぇ」

『いいでしょ〜。ハリウッドとかグランド・キャニオンとかを巡ったよ! また行きたいなぁ〜』


 そんな過去の思い出話に花を咲かせていただけのつもりだったのだが、『台湾は国では無い』と騒ぐ一部の日本人と思われるアンチから世界中へ拡散され、その配信の切り抜きは世界各国の言語で訳され瞬く間に増殖した。主に中国人の怒りを買い、その後の私の配信やTwitterはもう荒れに荒れた。私の認識の甘さが原因ではあるが、揚げ足取りの様にも感じるし。私個人的な政治的意見を言わせて貰えば、台湾は事実上中国から独立している国じゃないか、と謝罪文を掲載しろというV WIND運営スタッフとも揉めた。だが日本も台湾は国とは認めてないし……等と言うので、渋々受け入れTwitter上に謝罪文を掲載し、2週間の謹慎措置という名の“火事が鎮火するまでの時間稼ぎ”を行う事となった。もちろんその配信のアーカイブは削除された。せっかくのミズホ先輩との楽しい楽しいデート配信だったのに……。

 ミズホ先輩にも本当に申し訳ないと思う。『何故あの時七海ハルが言った事を訂正しなかったのか』等というクソみたいな文句を垂れる輩達が先輩の関係ない配信にも現れる様になってしまった。

私はこの謹慎期間中よく先輩の配信を見守り、そういった荒らしや、コメントが荒れるのを煽っている人間を片っ端から管理者権限を使いブロックしていった。だが消しても消してもウジ虫の様に湧いてくる。最初は怒りの感情に塗りつぶされていたが、やがて自分は何をやっているんだろうという虚無感に襲われる様になってきた。

私がミズホ先輩の配信でコメントを削除しまくっていた所為かどうかは分からないが、次はミズホ先輩以外の他のV WINDメンバーの配信にも荒らしに行くコメントが増え、自分の無力さと終わりの見えない誹謗中傷に心を蝕まれ始めていた。

 謹慎明けまで、あと8日。まだ6日も過ぎていなかった。


「よしよし、優はがんばってるよ」

私はベッドの上で相川凛の胸に抱かれ、めそめそと涙を流していた。この騒動がきっかけ、という訳でもないが凛は私の家に入り浸る様になり、実質同居の様な事になっていた。

「……私、謹慎解けても……もうどうやって配信すれば良いか分かんない……」

声を震わせながら言葉を溢す。

「大丈夫、みんな待ってるよ」

いつもは声に出さない凛の優しい声に、益々涙が溢れてくる。

「私はなんて無力なんだ……」

思ったままの事を口にだしてしまう。凛が私の額に軽くキスをしてくる。

「今日はずっとゆっくりしてよう? 私も横に居るから」

「ありがとう、凛」

もう14時を過ぎていたが、私は再び彼女の胸の中で眠りに落ちた。


 目が覚めると、隣に凛が居なかった。部屋は日が落ち、闇に呑まれかけている。私は唖然として、急に心の奥底から湧き出た真っ黒な不安感に呑み込まれそうになる。重い身体を起こし家の中を見渡すと、彼女はベランダでタバコを吸っていた。いつからだろうか彼女がタバコを吸う様になったのは。別に私はなんとも思わないので別に聞いてもいないのだが。だが私はベランダでタバコを吹かす彼女の後ろ姿を見て安心した。私はベッドから這い出て、タオルケットを身体に巻きベランダへ出た。

「タバコって美味しい?」

後ろから彼女に抱きつく。

「おはよ。別に。ただの癖だよ」

彼女はビールの空き缶を灰皿がわりにしていた。

「一口頂戴」

「一本あげるよ」

彼女のデニムのポケットからラッキーストライクのボックスを取り出し、一本差し出す。

「私吸った事ない」

「とりあえず咥えな」

その1本を手に取り、口に咥える。

「というかタオルケット一枚って、痴女かよ」

そう彼女が罵ってくる。

「うるさいなー。あんただって上ノーブラじゃん。はやく火寄こしなさいよ」

「ハイハイ、こうやってやるんだよ」

彼女が顔を近づけてくる。彼女がタバコを吸うタイミングで私のタバコの先にくっ付け、私も吸う様に目配せしてくる。私もタバコを必死に吸い、彼女から火を貰う。火が点いた瞬間、熱い煙が喉の奥まで一気に入り思い切り咽せる。

「シガーキスっていうんだよ」

「うぇぇ……」

「最初は肺に入れる事は意識しないで、口の中で香りを楽しむんだ。ほら、よく吹かすだけって言うだろ?」

「いや知らんし……」

そう言いつつもう一度吸い、煙を喉の奥まで入れない様に気をつける。タバコの葉っぱの香り、というものなのだろうか。ほのかに甘い感覚を覚える。はぁーっと煙と共に息を吐き出す。

「蛍が2匹」

「え、どこ?」

私が愚直に聞く。

「私たちの事だよ。アパートのベランダでタバコを吸う害虫、蛍族の2匹がここに」

「なんそれ」

「え。蛍族って言っても通じないんか……」

と、彼女が軽くショックを受けていた。

「優は、タバコなんか吸っちゃダメだよ」

「1口で良いって言ったのに1本くれたのはどこの女だよ」

「なんとなく。でもタバコは本当に喉をダメにする、依存もする。これからもVTuberやるならもう止めな」

「なんなんその言い方……まるで凛が辞めるみたいじゃん」

「え? ……別に他意は無いよ」

彼女はもう1本新しいタバコを取り出し、また火を点けた。なんだかそれがやけに悲しかった。

私は吸殻を彼女が持っていた空き缶へ入れ、また後ろから抱きつき、彼女のパンツに手を入れる。もさもさと下の毛を弄ってやる。

「ちょっと!?」

彼女が慌てた勢いでベランダからタバコを落としてしまった。

「何すんだヘンタイ!」

「ねぇ、ベランダでしてみない?」

「マジでヘンタイじゃん……」

「もう暗いから大丈夫でしょ。他の蛍の人に見られるかな?」

「はぁ〜?」

「ホラ、病んでる私をリフレッシュさせてよ」

「……性欲の強い彼女はタイヘンだ」

彼女は空き缶灰皿をベランダの足元に置き、私に巻いてるタオルケットを剥ぎ取り部屋の中へ投げ入れた。そのままキスされ、ラッキーストライクの煙い匂いがお互いの口からする。

それから全裸で薄暗いベランダに立たされた私の前に彼女がしゃがみ込み股へ顔を埋めてきた。


 それから2日後の事である。更に最悪の事態が起きた。

「嘘でしょ……」

「マジで許せねえ」

私と凛はローテーブルの上に置いた私のMacBookを食い入る様に見ていた。当人の私より、凛の方が激昂していた。なんと『七海ハル、中の人流出!』等と言うタイトルを添えられてネット記事に私の写真が載せられていたのである。

この情報を知ったのは、私のTwitterへのリプライで多数『こういうネット記事が出来ている』と心配してくれたファンが知らせてくれていたからだ。

その画像はかなり前に知り合いと撮った写真で、恐らく私の知らない所で一緒に写っている彼女らの誰かがブログかSNSに上げたものだろうと考えた。

案の定そのネット記事の画像をGoogleで検索すると、6年ほど前に地元の高校の友人(と言っても今では全く連絡を取っていない間柄であるが)が、自身のブログに上げた記事がヒットした。内容は高校卒業寂しいやら、ずっと友達だよ等と書いてある、よくある女子高生が書いた日記にすぎなかった。これをアップした時の彼女に悪意は決して無かっただろうし、その点について責めるつもりも無い。だが、誰が、どうやってこの画像を探り上げたのか? この彼女が、私を七海ハルの中の人だと知って私を売ったのか? それともその他の同級生が私の存在に気付いて売ったのか?

運営の方では既にこの記事を上げた人間に対して削除要請を出しているらしい。

「削除よりも前に、この情報を売った人間を探さねえと意味ねーだろクソ運営が」

凛の怒りは収まる所を知らなかった。彼女は尤もな事を言っているが、最近の誹謗中傷と自己否定に走っていた私にとってはもうどうでもよかった。このままVTuber人生が終わってしまっても良いとすらどこかで思っていた。むしろこの事件が終止符を打ってくれた、とすら。

「別にいいよもう……。中の人が割れてるのは私だけじゃないし」

「いやでも……。あ、そうだ。その有名人な3期生の奴らに、どうやって個人情報を特定されないように守ってるのか、方法聞くとか?」

「こうなった今更やっても仕方ないでしょ」

「あーもうクソ!」

彼女は怒鳴りながら家を出て行ってしまった。

 親切な私のファン達がこの情報源について調べ上げてくれていた。どうやら少し前にこの情報を拡散する為だけに作られたTwitterのアカウントがあり、私の中の人の画像としてアップしていたらしい。拡散され、そしてネット記事にされた瞬間、そのアカウントは消されてしまった。Googleでその削除されたアカウントが呟いていた内容を検索すると、実際にそのツイートのログにヒットするが、開けば当然『アカウントが存在しません』と返答を返されてしまう。


『ファンの皆様にはご迷惑をお掛けしております。そして善意ある情報提供も沢山頂きありがとうございます。ですが、当該の記事を載せていたブログへの中傷行為等は、皆様自身へのマイナスにもなってしまいますので、どうかお控え下さい』

翌日私は精一杯ファンへの感謝を込め、そうツイートした。とりあえず私は、その友人と数年ぶりに連絡を取り、そのブログの記事を削除して貰えないか打診した。私の置かれている状況をすぐに理解してくれた彼女は、快く引き受けてくれた。彼女は高校の時、同じ演劇部に所属していた子だ。当時彼女はアニメに没頭しており、アニメ的表現を舞台の上に持ち込むにはどうにすれば良いか、という事を真剣に考えていた。そんな過去の事を思い出し、少し口元が緩む。

そういえば彼女はVTuberという存在も知っており、他企業の子を推しているそうだった。私が七海ハルの中の人だと伝えると自分の事の様に喜んでくれ、これからはハルの事も推していくからがんばってね! と、応援すらされてしまった。私はまだ七海ハルを辞められない、そしていつか彼女にはお返しをしてあげなければ、と素直に思った。こんな彼女が私の情報を売ったとは考えにくい、考えたく無い。ではどこから漏れたのかという最初の問いに再び戻ってくる。

 彼女がブログ記事を消したからと言っても、既に出回ってしまった画像は瞬く間にあちこちにアップされ、類似の画像を検索すれば様々なTwitterの外部連携サイトや、それらの画像を自動保存している海外のサイト、悪意のあるブログの転載記事など、無限に増えていく。私はその現実に、これ程私をどこかで嫌み、妬んでいる人間がいるのかと絶望する。勿論面白半分や、自身のサイトの閲覧数を増やす為に利用している人間も居るだろうが、それらも含め絶望し、軽蔑せざるを得ない。

 私は再びGoogleを開き『那賀見優』と本名を打ち検索してみた。自分の名前をGoogleで検索するなんて始めてだ。だがヒットするのは似た様な名前の人や地名ばかりで、本当に私に関するページは中学の時の水泳大会の記録表や、高校の時に演じた舞台のスタッフリストの中の名前等であり、顔写真も見当たらない。七海ハルと関連する様な記事も見当たらない。そしてその友人が上げていた画像も、当然私の名前と共にブログに載せていた訳ではない。

 だとすれば犯人は、“私の本名を知った上で敢えて画像だけ流出させた”という事になる。

その事実に気付き、私は再び背筋が凍る。

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