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 宿で昼食を食べて少し休憩してから僕たちは川凪さんの書いてくれた地図を頼りにヤマニシの波山さんの家に向かった。地図で示されたあたりに行ってみたものの、どれが目的の家なのかわからなかった。というのも、波山という表札の掛かった家が三軒ほどあったからだ。


「すみません、ヤマニシの波山さんのお宅はどこでしょうか。」


 家を見ていても埒が明かないと思ったのか、先生は一軒の波山さん宅の庭で洗濯物を干している老婦人に聞いた。


「ヤマニシの家は斜向かいの青い屋根の家だよ。」


 老婦人が洗濯物を干す手を止めて教えてくれた。


「どうもありがとうございます。」

「いえいえ。ここは同じ苗字ばかりで分かりにくいでしょう。」

「そうですね。ちなみにお宅の屋号はあるんですか。」

「ええ、ありますよ。うちはね『ミナカド』ですよ。夫の船が港の角の所だからね。『ミナトカド』が訛ったんですよ。」

「じゃあ、『ヤマニシ』にも由来があるんですか。」

「そのまんまですよ。留衣山から見て西の方の家だからねえ。」

「ここも西側じゃないんですか。」

「ヤマニシは本家ですから。最初は西の波山なんて本家しかなかったんでしょう。」

「なるほど。興味深い話をありがとうございます。」


 先生はお礼を言ってミナカドのお宅を後にした。


「先生、この家のオシンメサマ聞かなくてよかったんですか。」


 僕が聞くと先生がハッとした顔をした。


「すっかり忘れてたよ。まあ、波山さん訪ねてからにしよう。」


 先生はそう答えた。

 僕らは先ほどの女性に教えてもらった家に行き、ドアホンを押した。何度か押したが応答はなかった。


「先生、出直しますか。」


 しびれを切らして僕がそう言うと、玄関の扉が開いて、腰の曲がった老人が出てきた。先生が頭を下げたので僕も頭を下げてあいさつした。老人も僕らの方を向いて会釈して、僕たちの方へトボトボと歩きだした。


「こんにちは。P大学から来た四谷です。」


 先生はなるべく大きな声で言ったのだが、老人は聞き取れなかったらしく、頭を傾げていた。老人はもっと近くで話せと、手招きをした。僕らは庭に入っていった。老人に近寄ると先生はもう一度さっきの文言を口にした。


「聞いておりますよ。それで大学の先生さまが、私に何のご用ですか。」

「波山さんのお父様がオシンメサマの研究をしていらっしゃったと聞いて、ちょっとお話を伺いたいなと思いましてね。」

「そうですか。ここじゃなんだから、うちへ上がってくださいな。」


 波山さんのお宅には、いろいろなものが飾られていた。籠や刺繡の施されたハンカチ大の布、表面が削れてよくわからない木彫りの像など。どれもこの島で昔から作られてきたものだという。


「物がたくさんあって汚いでしょう。」

 

 お茶を持ってきた波山さんが言った。


「親父がこういう物を島中から集めてきましてね。ただ、こういう物だからなかなか処分するわけにはいかなくて。」

「こういう物と言いますと。」

「まじないの道具ですよ。戦前は結構残っていたそうですよ。あれはシャークの歯で作った首飾り。あれを掛けておくと海難事故に遭わないとか。他も海関連のものですな。海難防止とか大漁祈願とか。」

「なかなか興味深いですね。やはりこの島は漁業が中心だったから信仰も海中心だったんですね。」

「そうそう、おたくらはオシンメサマを調べているんでしたね。」


 波山さんはクリアケースに入っていた木像を取り出して僕たちが座っているちゃぶ台に置いた。


「島に現存する最古のオシンメサマです。」


 最古と言われても、今まで見てきたものよりも茶色が濃いくらいしか違いがなくよくわからなかった。


「いつ頃のものなんですか。」


 先生は木像を回し見ながら言った。


「室町後期のものだと言われています。」


 波山さんは顎髭を撫でながら言った。


「そんなに古いものなら、神像でなくとも何かが憑いてそうですね。」


 僕が言うと波山さんは笑い出した。


「そんなこと心配しているようではこの家に住めませんよ。ここにはヴィンテージがわんさかとありますから。」

「しかし、オシンメサマまで飾っていて大丈夫なんですか。祀らないと不幸が起きるとか。」

「そうなんですよ。このオシンメサマもね、もともとハスヒラの家に祀ってあったんですがね、ある時祀るのをやめたら流行り病で一家全滅したそうなんですよ。それで持ち手がいなくなって父が預かったんですけどね。」

「よくいわくつき(・・・・・)のものを飾れますね。」


 するとまた波山さんが笑って言った。


「オシンメサマもハスヒラの家から出て行ってしまってこの像には何も宿っておらんのでしょうな。」

「ところで、」


 先生が身を乗り出して言った。


「オシンメサマとはどんなカミなのでしょうか。」


 すると、波山さんはしばらく目をつぶって顎髭を撫でていた。そして目を開けるとゆっくりと口を開いた。


「何の神様なのかは、祀っている島民でさえ知りません。親父も熱心に調べてはいましたが、これと言った成果は揚げられませんでした。この島の者は不幸が怖くて祀っているのです。ただそれだけのために盲目的に崇めているのです。ただ、」


 波山さんは人差し指をピンと立てて見せた。


「一つだけ、その由来だけはわかっています。親父が島の老いた巫女から聞いたんです。彼女が言うには、オシンメサマは海を渡ってこの夷島にやってきたそうなんです。もともとオシンメサマは遠くの島の神様だったんです。その島はどこよりも栄えていたそうなんですが、ある時に海の底に沈んでしまって、居場所がなくなったオシンメサマはこの夷島にたどり着いたそうなんです。それ以来この島ではオシンメサマを祀るようになったとか。この話は巫女に代々口伝されていた話なんですが、巫女を継ぐ者がいなくなってから途絶えてしまったんです。」


 沈んだ島、蕃神。僕はある考えがふと頭をよぎった。しかし、あれは魚嫌いの妄想に過ぎないはずだと思い、すぐに頭から振り払った。


***


 波山さんの家を後にすると、周辺の家で調査をした。島の人たちは僕らが来ることをすでに知っていて、快く調査に協力してくれた。しかし、目ぼしい発見はなかった。見慣れた不気味な木像が一つ奥の座敷に祀られており、人々は口をそろえて知らないが家のために祀っている、と言っていた。

 日が傾き、僕らの影が伸びてきたころ僕らは旅館に戻った。

 夕食の時間、波山さんが亡くなったということを女将さんから伝えられた。僕はまたあのことを考えてしまった。馬鹿げているとはわかっていても、考えずにはいられなかった。

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