補習

 その教室のドアを開けると、既に彼女はいた。


「あ……うっす」

「こん……にちは」

 

 ぎこちない挨拶を交わしてから、俺は適当な席に着いた。わざわざ近くに座る必要も無いだろう。

……あの噂を聞いた直後だから、ちょっと怖いというのもある。


 補習と言っても、休んでいた時の分の国語ワークを完成させるだけだ。終わったら職員室に持って来いと言われ、教師はいない。


カリカリカリ……シャッシャッシャッ……

 シャーペンを動かす音だけが響く。

 湯木さんはただ黙々とワークを解いているだけなので、変に話して気まずくなることがなく気が楽だった。たまにちらっと見ても、湯木さんはいつも通り落ち着いた様子だ。やっぱり噂は所詮うわさだ。


 そうこうしているうちに、さっきまで聞こえていたもう一つの書く音が聞こえないことに気づいた。

 動きを止め、なんともなしに彼女に目を向ける。


―――!


「えっ、大丈夫!?」

 声を掛け、走り寄った。

 

 湯木さんは胸を抱えるように少し俯き、顔を歪めていた。


「大丈夫、です。動悸が少し苦しくて……すいません、筆箱取ってもらえますか」

 机の中から湯木さんの筆箱を取り出し、開けてから渡した。


「ありがとうございます」

 そう言って中から取り出したのはカッター。迷いなく刃を出していく。――まさか。


「えっ、ちょっ、待って」

 咄嗟に彼女の腕を掴んだ。


「あの、」

 こんな時何を言えばいいんだろう。どうすれば止められる。


「あの…………痛くないんですか?」

 口に出した瞬間「はぁ?」と思った。なんて馬鹿げた質問――


「痛くないです」

 え。

 ……痛い、よな? 絶対、いやたぶん。


「痛くないですよ。心を落ち着かせるためにやってるんです。……私は、ですけど」俺を見つめてふつうに言う。


何も言えないでいるうちに、湯木さんは左の袖を捲り始めた。


 す、と目の前に腕が突き出される。

 美しい真っ白な肌。

 そこには赤黒い線が、無数に走っていた。

 顔を背けたくなるのを抑える。下唇を噛んでごくりと唾を飲み込んだ。


「……自分を傷つけるの、やめてほしいかな……今日初めて喋っただけの俺が言うようなことじゃないし、すっげー自己満でうざいと思うんだけど。あ……でも湯木さんはしっかりした理由を持っているのに俺はぐちゃぐちゃだな………………えっと、ほんとごめん、自分でも何が言いたいのかわかんない……」

 

 うわ俺最悪。訳も言わずに自分のわがままだけ押し付けて、最後には逃げだ。

 

 心から申し訳ないと思った。

 項垂れ、床を見つめるしかなかった。自己嫌悪に縛り付けられた頭がガンガンと痛くなってくる。

 

 数十秒の沈黙の後、口を開いたのは湯木さんだった。


「好きです」

 意外すぎる言葉に顔を上げる。


「ずっと優しくて、私なんかにも普通に接してくれようとして、かっこよくて、でも心がちょっと弱いんだよね。そういう所。」

 頬を赤らめてにっこり笑って、

「愛してます」


 何か言おうと思った。でも、脳が働かない。


「知ってますか。これ、リスカじゃないんです。心配させてしまってごめんなさい。




 毎夜毎夜、あなたの名前を刻み込んでました。」




 驚きに目を見開く。




 彼女はもう一度カッターを手に取って、彼女の腕に向かって勢いよく振り上げた。

 今度は止めることができなかった。




「愛してます、


 …………からだにかかった彼女の血を「暖かい」と感じてしまって、俺は朦朧とした頭で彼女の胸に顔をうずめた。















【終】

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クラスメイトの腕 @gozaemon

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