転生に対する尊大な一考

生まれ変ったら梶井基次郎になりたい、そう思うほどに彼の文章は美しい。だが「サア生まれ変ろう梶井に」と玉川上水なりなんなりにヒョイと飛び込む勇気はない。死への怖れ?そんなものではない。もっと卑しくつまらないことだ。結局私には私を捨てる勇気がなかった。私という身に生まれ持った何かに期待するあまり、梶井という決定された値に乗り換える決心がつかなかったのである。

死というのは皮肉なもので、前世どのような高尚な理由で死んだとしてもそれを覚えて産まれてくることはない。ごくたまになんとか小僧のように覚えている奴がいるそうだが、騙ることは誰でもできる。しかし覚えていないことを騙れる人間はほんの僅かしかいない。

もしかしたら前世の自分も梶井に心酔し、その器を手に入れるべく百の薬をがぶ飲みしたのかもしれない。その結果ここにいて、もしも私が今まんまとその器を手に入れていたのなら。それで死ぬのはあまりに滑稽だ。そうだ、そうだ。私は既に梶井であるかもしれない。ろくに腕を振るわずに「はい次」と投げ出すようなことでは、笑いも出ない。

また、もっともっと卑しい意味もある。私は梶井の生まれ変りではない。生まれ変りではないとして、私は「私」という唯一無二の人間かもしれない、という考えだ。梶井が「梶井基次郎」という英霊的な器であるならば、私も「私」という器であり、今後引く手あまたの転生体となるやもしれない、そんな幼稚で薄汚いからからの思想である。私は既に梶井を超え、現世において花開く運命の大きな蕾!などという哀れな自尊心が、かの人の後に続こうという順当な学習プロセスを阻んでいるのだ。嫌なこった!

どこへなりとも消えよ、どこへなりとも!徒然とした考えごとを霧のように追い払ってまた夢を見る。蝶となる夢。

生きていたかった。未認可の命ひとつが四畳半に転がっていた。

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