第3話 カークーラー

「カークーラー」


 夏です。今年もまぶしい夏がやってきました。海水浴にキャンプ、旅行やあんなことやこんなこともしたいと妄想するだけでも心ワクワクする季節です。でもネックがあって、それは死にそうに暑いことです。近年は「熱中症」なる言葉が生まれたぐらい猛烈な暑さで、特に還暦を過ぎた我々クルマ好きの年寄りにとっては、洗車するだけでもまさに命がけの厳しい時期でもあります。

 でも車内にいれば大丈夫。なしてかというと「エアコン」というものがあるからです。エアコンのおかげで、外は灼熱地獄でも車内は快適です。エアコン全開にして、車内の熱を外に放熱して、音楽かけて冷たいアイスコーヒーでも飲みながらドライブするのも夏の醍醐味です。つまり、どんなに暑くても車内は涼しいもの。そう思い込むようになってきたのも、ワシが現代人に一歩近づいてきた証なのでしょうか。

 ワシがクルマに乗り始めた昭和50年代の前半頃は「夏は暑いもの、夏の車内はもっと暑いもの」が当たり前でありました。なしてかというとエアコンというものがあまり普及していなかったからです。正確に言うと、エアコンというものはほぼ皆無で、稀にあってもクーラーでした。つまり冷やすだけのシステムです。なぜかというとエアコン(クーラー)は、オプションでしたので、クルマを買ったら、さらに大枚はたいてディーラーで取り付ける必要があったからです。なぜオプションだったかというと、車両価格に対してとても高価だったからです。普通のクルマが100万円だとしたら、クーラーは安くても13万円ぐらいでしたので、車両価格の10%以上です。だからよほどの余裕がない限り、無理してクーラーをつけようとか、そんな贅沢な発想自体がなかったのだと思います。

「昔はそんなに暑くなかった。」という方もいらっしゃいますが、そんなことはありません。やっぱり夏は、特に車内は暑かったと記憶しています。じゃあなぜ、今みたいにバタバタ熱中症で倒れなかったかというと、そんなものだろうと脳が認識していて身体を適応させていたからであります。ガマンしていたからであります。そもそも、クーラーとというものが世間に滅多にないので、クーラーの快適さを知らなかったからであります。

 高校の夏の補習帰りに、道行く車を観察すると、ほとんどのクルマは窓を全開にして走っていました。ごくたまに窓を閉めて走っているクルマがあるのですが、それがクーラーのついている証でありました。だからドライバーは、日陰に駐車したり、タオルを濡らして車内に置いたり、うちわを常設するなど工夫というものをしていました。

 つまりワシらの頃は、ガマンと工夫と適応力で暑い夏を乗り切っていたのでした。当時は「車内は暑い=危険」ということを誰もが知っていたので、「車内は涼しい=安全」なんて誰も思っていなかったので、炎天下の車内に幼子を放置してパチンコに熱中するようなバカ親は皆無だったと記憶しています。

 ワシが初めて中古で買った車には、なんとクーラーがついていました。家にもクーラーがないのにクルマについているのはとても贅沢な気がしました。でもクーラーのスイッチを入れると電磁クラッチが「ガチっ」とつながって、車内にゴーっと冷気が流れ込んできて、ワシはとても快適なのですが、エンジンの力がどっとクーラーに取られるのがとてもよくわかりました。そしてクルマがワシたちを冷やすためにすいぶん無理をしているのがひしひしと伝わってくるのでした。燃費もごっそり落ちていきました。だからワシは、夏でもあまりクーラーを使わなかったと記憶しています。貧乏性だったというのも否定できませんが、クルマに多大な負担かけてワシだけが快適に過ごすことに抵抗があったのでした。

 あれから40年。現在は、一番安い軽自動車にさえエアコンが標準装備されています。性能も良くいつでも快適な車内環境を整えてくれます。家にも職場にもエアコンが備わって、ワシたちを快適な環境で守ってくれています。

 でも、ワシは自分の適応力が落ちたなあと痛感しています。特に暑さが身体にこたえます。また、いろいろなことに我慢ができなくなってすぐに根を上げるようになってきました。それから他力本願で自分で工夫しなくなったなあと思うのは、決して歳のせいだけではないような気がしています。それからクルマの声を聞くかなくなったというか聞こえなくなってきました。先日ガソリンスタンドで、空気圧が減っていることを指摘されて驚きました。以前は運転した感じで絶対に気が付いていたのですが、便利とか快適とかと引き換えにワシ自身の大切なものをどんどん失ってしまったような気がしています。それからクルマに対する思いやりや情熱もなくしてきたように思います。やはり歳のせいなのかにゃあ?

「がまん」「適応力」「工夫」「思いやり」は、我々日本人が持っていた美徳でありパワーだとワシは勝手に思っています。利便性や快適性などいわゆる文化的な生活と引き換えに、ワシたちは大切なものを失ってしまったと思っているのはワシだけなのでしょうか。


「追記」

 真夏の炎天下に窓を全閉にして乗るとエアコンがついているように見えるので、知り合いの前ではよくやって見栄をはっていました。また、パワーウインドウが付いているように見える窓の開け方(肩を動かさずに手首だけで窓を開けるハンドルを回す)も練習していました。今思うと、そこまでせんでもと、恥ずかしい思い出ですが、なぜかそういうことが、とても楽しかった時代でした。

 それからエアコンのない真夏のクルマでは、手ぬぐいを濡らして姉さん被りして、うちわであおぐとわりと快適に過ごせました。

 カークーラーは純正品で当時13万円ぐらいでしたが、カー用品店で社外品なら8万5千円ぐらいだったと記憶しています。

 

 夏になると、こんなことばかり思い出して、このたった40年間ぐらいのクルマの進歩と贅沢に慣れて、すっかり軟弱になってしまったワシ自信を痛感しています。



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