スイサイ/アンブレラ/ロクガツ/ドライフラワ

しぇると

スイサイ/アンブレラ/ロクガツ/ドライフラワ

 六月。

 外では雨がしとしとと降る。

 明かりもつけてないような薄暗い部屋の中、彼女は窓辺にある椅子に腰かけていた。

 「何してるの?」

 自分がそう問いかけると、彼女は振り向き、こちらを見て愛おしそうに目を細めた。

 どうやら、また絵を描いているらしい。

 彼女の趣味は水彩画を描くことだったのだが、不思議なことに六月にしか描かなかった。

 それに加え、彼女は絵を描く時、決まってこの部屋に一つしかない窓の近くの椅子に座り、画材を拵えるのだった。

 昔、気になって聞いてみたところ、彼女曰く「雨に光が反射してとても綺麗だから。想像力が掻き立てられる。」とのことだった。

 そう言う通り、彼女の描く絵は光の表現が多く、幻想的なものが多かった。

 そして、彼女はこの時期に咲く紫陽花がとてもお気に入りだった。それのせいか、絵の中には必ず紫陽花が描かれていた。

 ふと窓辺の方を見ると、いつの間にかそこから彼女がいなくなっていた。椅子の上に置かれた小説のページがめくれ、お気に入りの花の押し花で作られた栞がちらりとのぞく。

 そうして後ろを振り向くと、今度はダイニングテーブルで朝食を取っている彼女がいた。

「これ、あげる。」

 そう言われて渡されたのは、青紫色の紫陽花の花束だった。しかし、その様子は通常の生花と違って見えたので思わず問うてみると、この花束は「ドライフラワー」と呼ばれるもので、花を長く楽しむ為の物らしかった。

「私のこと―――でね」

 しばらく目の前の花に視線を奪われ、彼女の言葉でハッとなると、朝食だけがポツンと残されたダイニングテーブルが目に映った。

 すると、突如として鳴り始めた音。今度は部屋の隅にあるピアノを弾き始めたようだった。彼女が鍵盤を指で叩く度に、それに呼応するように音が鳴る。そうして呼応した音たちは、この狭く逃げ場の無い部屋でひたすらに鳴り響く。

 しばらくすると、鳴り響くピアノの音に交じって電子音が聞こえ始める。はじめは気にも留めないほどの小さな音であったが、次第にそれは大きくなり、ついにはピアノの音さえも飲み込んでいった。


 五月蝿い。


 うるさい うるさい うるさい


 いつの間にかついていたテレビがニュースを流し始める。

 気が付くとピアノの音は消え、狭い部屋の中には雑音と自分しか残っていなかった。

 嫌気がさした自分は、とうとうこらえきれなくなり傘を手に持った。郵便物が溜まったポストを横切り外に出る。

 しかし外に出たところで、開いた傘に降り注ぐ雨もやはり、雑音と化していた。

 逃げ場を求めた自分は、ポケットに手を入れ、かつて彼女が描いた水彩画を取り出した。

 小さな四角に収められた光に溢れる幻想的な風景も、今となってはこの雨に融けて消えていく。

 彼女が愛した六月の雨を、今の自分はもう、愛せなくなっていた。

 悲しみが募り思わず叫ぶが、その声も雨にかき消され、傘の中に吸い込まれていく。

 足元にあった水たまりを覗くと、そこにはひどく歪んだ顔の自分がいた。



 雨に融けるのは移ろいか、無常か、冷酷か、神秘か、はたまた愛情か。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スイサイ/アンブレラ/ロクガツ/ドライフラワ しぇると @shelt90

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る