第4話

 




「変な奴に会った」



 夜の帳が落ちて夕餉の時間。


 祖父母とテーブルを囲い、大和は鯵の干物に箸を伸ばしながらそう言った。

 献立は大根入りの味噌汁に雑穀米。鯵の干物と自家製の梅干し、それから海鮮酢の物が小鉢の中に添えられている。



「変な奴?」



 冷えた缶ビールで喉を鳴らした源一郎が怪訝な顔で復唱した。

 もぐもぐと頬袋を膨らませた大和がウンと頷く。



「小夏って人の家に今日寿司桶取りに行かせただろ。その娘さん」


「あぁ、何か話したんか?」


「野球部のマネージャーやらないかって」


「ほぉ」



 意外そうな返事をして、源一郎は味噌汁を啜った。



「じいちゃん知ってただろ」


「何がや」


「北見坂の野球部の人間だってこと。知ってて俺に寿司桶取りに行かせたんだろう」


「……知らん」



 シラを切る源一郎の態度が大和は気に入らなかった。

 反応を見るに、知っていて自分を使いに出したと悟ったからだ。


 実際のところ源一郎は知ってはいた。

 大和が帰国して北見坂高校に入学するに辺り、調べられる範囲で野球部に関して調べていたのだ。たまに出前を注文してくれる小夏家の娘がマネージャーをやっているらしい、程度の知識しかないのだが。


 まぁそうは言っても、寿司桶を取りに行かせた程度で大和と撫子がそこまで込み入った話をするまで漕ぎつくとは思いもしていなかったが。



「何度も言ってるけど俺は野球はもうしないし、部活にも入らない。放課後はこの家の手伝をいしようと思ってる」


「なんだそら。気を使わんでいい。お前はお前の好きなことをやれ」


「俺のやりたいことはじいちゃん達の手伝いだよ。洗濯とか洗い物とかなら出来るし、重いものとかも俺が運んだほうがいいだろ」


「年寄り扱いするな。俺達はまだ尻の青いお前の手伝いなぞアテにしとらん。なぁ順江」



 静かに聞いていた順江が、柔らかく頷いた。



「そうよ大和ちゃん。折角の高校生活なんだから、あなたの好きな様に振る舞いなさい。入学式までまだ時間はあるし、しっかり考えてからでも遅くないんよ。おばあちゃん達は全然平気やから」


「……」



 大和は憮然として閉口した。


 彼にとって大人はいつもそうだった。

 自分がやりたいと思ってることより、大人は子供らしさを望み、そう振る舞うことが幸せだと諭してくる。


 しかし大和はそうは思わない。

 逸早く自立し、誰にも迷惑を掛けずに生きることを望んでいた。


 部活動に入り学生生活を充実させることが愚かだとは決して思ってはいない。思ってはいないが、彼はそれ以上に自立に近い道を選びたいのだ。


 無論、大和は源一郎達が悪意を持っているとは考えていない。

 ……ただ、そういうお節介が鬱陶しく思う面がないと言えばそれは嘘になる。



「……」



 もやもやとした感情を抱えたまま、その日の夜は更けていった。
















 *



「こんにちは」



 ――変な奴がきた。



 大和は嫌そうな顔を隠しもしなかった。


 翌日の十四時。

 小夏撫子は『源寿司』に一人でやってきた。


 昨日と同じボブカットに薄フレームの眼鏡。

 大人びた印象の撫子は、今日は溌剌とした笑顔だった。



「あら可愛いお客さん」



 順江が朗らかに微笑んだ。

『源寿司』の客入りのピークも終え、客の数もまばらになってひと息ついていたところだった。



「初めまして、今日はお孫さんのお誘いにやってきました」


「……大和ちゃんのお知り合い?」


「はい。昨日お会いさせていただいたのですが、野球好き同士で意気投合しまして……良ければこれから大和さんのお時間頂けますか?」



 和気あいあいとする順江と撫子の話の流れを見た源一郎は、厨房の奥まった洗い場で皿を洗っている大和に問いかける。



「大和、お前にお客さんだぞ」


「いや、俺はあんな人知らない」


「昨日話してた小夏さんちの娘やろう。わざわざお前を訪ねてきたんやし、無視はいかん」


「俺は暇じゃない。皿もまだ片付いてないし、やりたいこともある」


「大和、お前がどうしようがお前の勝手やが、とりあえず人の話を聞くことも大事やと俺は思うぞ」


「……」



 仏頂面で口を尖らせる大和は、蛇口を閉めた。

 源一郎の話も一理ある。


 まあ適当に話だけ聞いて、追い返そうと大和は心に決めた。



「こんにちは」



 厨房から出た大和の姿を見るにつけ、撫子は瞳に星を瞬かせた。



「こんにちは大和さん! 昨日の話の続きなんだけど、これから午後に野球部の練習があるの。見学だけでもどうかなと思って」


「いや俺は見学なんて――」


「行ってこい」



 断ろうとする大和を、源一郎の言葉が遮った。

 手元の作業から視線を外すことなく、



「わざわざ家ぇ訪ねてまでお前を誘いに来てくれたんや。行ってみるだけ行ってこい」


「いや俺は」


「ええから行くだけ行ってこい」


「……わかった」



 行けばいいんだろう行けば、という言葉を飲み込んで大和は渋々承諾した。

 それを見た撫子の瞳にまた一つ煌めく星が増えたのは言うまでもない。






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